更新:2006年8月6日 22:18
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表題 : 買い物の段取り
ちょっと買い物に行ってくる。ちょっとそこまで。
気晴らしに買い物でもするか。
何か欲しくなったらまず値段を見る。
値札が付いていなければ店員らしき人
(最近は、アルバイト、パート、外国人労働者も多くて
誰に声を掛ければ良いのか迷ってしまう。)
に、まず聞いてみる。それで、それなりの金額を教えてもらったら
財布との相談。優先順位をつけて。
少し高額になれば、特に電気製品はよくするが、
2軒から3軒回って、値段を確認する。
あまり違わなければ店員の応対で購入先を決定する。
ところが、最近の買い物ときたらどうだ。
見積書をもらっても、
ここは未完成なので大概の金額はこれこれこのぐらいでしょう。
今までの経緯からすれば、これを超えることはないとしよう。
支払うのはこちらなのに。
値段の決定権はいつの間にか向こう側に回っている。
前回の話し合いで細部を煮詰めたときに、
では見積書を作り直して持ってきます、と確かに聞いた。
なのに、金額が決定しないまま工事が結局始まる。
何故?
誰が払うかも決まらず、金額も確定せず。
私は○○円を超えた分だけ払う。
○○円は誰が決めた。
何の話し合いもない。
この分は誰が、
この分は誰、ということは一切ない。
昼間不在の人間にどうしろと言うのか。
家にいる人は、
私は何も判らない。
ええようにしてくれるはずよ。
○○に任せといたらええんよ。
そんな面倒いこと言わんでも。
それが今度の工事の原因になったのだ。
ずぶの素人か。
もしくは全く知ったかぶりのできる芸人。
インドでの値決めはいかに値引きするかという交渉らしいが。
それもない。
まるでK劇場。
ご機嫌伺いに行ってちやほやされて有頂天になり
大枚を言われるままはたいて
挙げ句のの果ては散財し
荒れ果て
心も空洞化するだけでななかろうか。