更新:2013年3月23日(2002年11月10日頃開始) このページの最後へ
方丈記(鴨長明、講談社文庫、川瀬一馬注)より
九 方丈(四畳半)の庵室
ここに、六十の露消えがたにおよびて、さらに末葉の
宿りを結べることあり。いはば、旅人の一夜の宿をつく
り、老いたる蚕の繭を営むがごとし。これをなかごろの
住処に並ぶれば、また百分が一におよばず。とかく言ふ
ほどに、齢は歳歳に高く、住処は折折に狭しその家の
ありさま、尋常にも似ず。広さは、わづかに方丈、高さ
は、七尺がうちなり。ところを思ひ定めざるがゆゑに、
地を占めて作らず。土居を組み、うち覆ひを葺きて、継
目ごとに、掛金をかけたり。もし、心に適はぬことあら
ば、やすく他へ移さんがためなり。その改め作ること、
いくばくの煩ひかある。積むところ、わづかに二両。車
の力をむくふほかには、さらに他の用途いらず。
いま、日野山のおくに、跡を隠して後、東に三尺あま
りの庇をさして、柴折りくぶるよすがとす。南、竹の簀
子を敷き、その西に、閼伽棚をつくり、北によせて、障
子をへだてて、阿弥陀の絵像を安置し、そばに普賢を描
き、前に法華経をおけり。
東の際に、蕨のほどろを敷きて、よるの床とす。西南
に、竹の吊り棚を構へて、黒き革籠三合をおけり。すな
はち、和歌・管弦・往生要集ごときの抄物を入れたり。
傍に、琴・琵琶各々一張を立つ。いはゆる折琴。継琵
琶これなり。仮の庵の有様、かくのごとし。
そのところのさまをいはば、南に懸樋あり。岩を立て
て、水を溜めたり。林、軒近ければ、つま木をひろふに
乏しからず。名を音羽山といふ。まさきのかづら、跡埋
めり。谷しげけれど、西晴れたり。観念の便りなきにし
もあらず。
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