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更新:2013年3月10日(2002年11月10日頃開始)  このページの最後へ

 

    方丈記(鴨長明、講談社文庫、川瀬一馬注)より

  
四 福原遷都

  また、治承四年水無月のころ、にはかに都遷りはべり
 き。いと思ひの外なりしことなり。おほかた、この京の
 始めを聞けることは、嵯峨の天皇の御時、都と定まりに
 けるより後、すでに四百余歳を経たり。ことなる故なく
 て、たやすく改まるべくもあらねば、これを、世の人、
 安からず憂へあへる、実に理にも過ぎたり。
  されど、とかく言ふかひなくて、帝よりはじめたてま
 つりて、大臣・公卿皆ことごとく移ろひたまひぬ。世に
 仕ふるほどの人、誰か一人、故郷に残りをらん。官位
 に思ひをかけ、主君の影を頼むほどの人は、一日なりと
 も、とく移ろはんとはげみ、時を失ひ、世に余されて、
 期するところなき者は、うれへながら留まりをり。
  軒をあらそひし人の住居、日を経つつ荒れゆく。家は
 こぼたれて、淀河に浮び、地は、目の前に畠となる。人
 の心、みな改まりて、ただ馬・鞍をのみ重くす。牛・車
 を用する人なし。西南海の領所を願ひて、東北の庄園を
 好まず。
  その時、おのづからことの便りありて、津の国の、今
 の京にいたれり。ところのありさまをみるに、その地、
 ほどせばくて、条理を割るに足らず。北は、山に添ひて
 高く、南は海近くて下れり。波の音つねにかまびすし
 く、潮風ことにはげし。内裏は山の中なれば、かの木の
 丸殿もかくやと、なかなか様変わりて、優なるかたもはべ
 り。
  日々にこぼち、川も狭に運び下す家、いづくに造れる
 にかあるらん。なほ空しき地は多く、造れる屋は少し。
 古京はすでに荒れて、新都はいまだ成らず。ありとしあ
 る人は、みな浮雲の思ひをなせり。もとよりこのところ
 にをる者は、地を失いて憂ふ。今移れる人は、土木のわ
 づらひあることを嘆く。道のほとりをみれば、車に乗る
 べきは、馬に乗り、衣冠・布衣なるべきは、おほく直垂
 を着たり。都のてぶり、たちまちに改まりて、ただひな
 びたる武士にことならず。世のみだるる瑞相と書きける
 もしるく、日を経つつ、世の中浮き立ちて、人の心もを
 さまらず、民のうれへ、終に空しからざりしければ、おな
 じき年の冬、なほこの京に還りたまひにき。されど、こ
 ぼち渡せりし家どもは、いかになりにけるにか。ことご
 とくもとの様にしもつくらず。
  伝へ聞く、古への賢き御代には、憐みを以て国を治め
 たまふ。すなはち、殿に茅葺きても、軒をだにととのへ
 ず、煙のともしきをみたまふ時は、かぎりあるみつぎも
 のをさへ許されき。これ、民を恵み、世を助けたまふに
 よりてなり。今の世のありさま、昔になぞらへて知りぬ
 べし。
 


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