更新:2013年2月10日(2002年11月10日頃開始) このページの最後へ
方丈記(鴨長明、講談社文庫、川瀬一馬注)より
二 安元の災害
予、もののこころを知れりしより、四十(よそぢ)あまりの春秋を
おくれるあひだに、世の不思議をみること、ややたびたびになりぬ。
去ぬる安元三年四月(うづき)二十八日かとよ。
風はげしく吹きて、しづかならざりし夜、戌の時ばかり、
都の東南(たつみ)より、火出できて、西北(いぬゐ)にいたる。
はてには、朱雀門・大極殿・大学寮・民部省などまでうつりて、
一夜の中(うち)に、塵灰(ぢんくわい)となりにき。
火元は、樋口富の小路とかや。舞人をやどせる仮屋より
いできたりけるとなん。
吹きまよふ風に、とかくうつり行くほどに、
扇をひろげたるがごとく、末広になりぬ。
遠き家は、煙にむせび、近きあたりは、ひたすら焔を地に吹き付けたり。
空には、灰を吹きたてたれば、火の光に映じてあまねく紅(くれない)なる中に、
風に堪へず、吹き切られたる焔、飛ぶがごとくして、一・二町を越えつつうつりゆく。
その中の人、うつし心あらんや。或は、煙にむせびて、倒れ伏し、或は、
焔にまくれて、たちまちに死ぬ。或は、身一つからうじてのがるるも、
資財を取り出づるにおよばず。七珍万宝さながら灰燼となりにき。
その費え(ついえ)、いくそばくぞ。
そのたび、公卿の家、十六焼けたり。まして、そのほか、数え知るにおよばず。
すべて都の中、三分が一におよべりとぞ。男女死ぬる者、数十人。
馬牛の類、辺際を知らず。人の営み、みな愚かなる中に、
さしもあやふき京中の家をつくるとて、宝をつひやし、心をなやますことは、
すぐれてあぢきなくぞはべる。
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