やまのはな 日本語だけ  

更新:2013年3月23日(2002年11月10日頃開始)  このページの最後へ

 

    方丈記(鴨長明、講談社文庫、川瀬一馬注)より

  
一三 むすび

  そもそも、一期の月影傾きて、余算の山の端に近し
 たちまちに三途の闇に向はんとす。何のわざをか嘆たん
 とする。仏の教へたまふおもむきは、ことに触れて、執
 心なかれとなり。いま、草庵を愛するも、閑寂に着する
 も、障りなるべし。いかが、要なき楽しみをのべて、あ
 たらときを過ぐさん。
  静かなる暁、この理を思ひつづけて、みづから心に問
 ひて曰く、「世をのがれて、山林に交じはるは、心を修
 めて、道を行はんとなり。しかるを、難事、すがたは聖人
 にて、心は濁りに染めり。住家は、すなはち、浄名居士
 の跡を汚せりといへども、たもつところは、わづかに周
 利槃特が行ひにだにおよばず。もし、これ貧賤の報の、
 みづからなやますか、はたまた、妄信のいたりて凶せる
 か。」そのとき、心さらに答ふることなし。ただ、かた
 はらに舌根をやとひて、不請の阿弥陀仏、両三遍申して
 やみぬ。
  時に、建暦の二歳、三月の晦ころ、桑門の蓮胤、外山
 の庵にして、これを記るす。


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