更新:2013年2月10日(2002年11月10日頃開始) このページの最後へ
方丈記(鴨長明、講談社文庫、川瀬一馬注)より
一二 閑居の気味
大方、このところに住みはじめし時は、あからさまと
思ひしかども、いますでに、五歳(いつとせ)を経たり。仮の庵(いほり)も、
やや故里となりて、軒に朽葉深く、土居(つちゐ)に苔むせり。おのづから、
ことの便りに、都を聞けば、この山に籠りゐて後、やんごとなき人の、
隠れたまへるもあまたきこゆ。
まして、その数ならぬ類、尽くしてこれを知るべからず。
度度炎上にほろびたる家、またいくそばくぞ。
ただ仮の庵のみ、のどけくして、おそれなし。ほど狭しといへども、
夜ふす床あり。昼ゐる座あり。一身を宿すに不足なし。寄居(かむな)は、
小さき貝を好む。これ身知れるによりてなり。鶚(みさご)は、荒磯にゐる。
即ち、人を恐るるがゆゑなり。われまたかくのごとし。
身を知り、世を知れれば、ねがはず、わしらず。ただ静かなるをのぞみとし、
うれへなきを楽しみとす。
すべてよのひとの、住家をつくる習ひ、かならずしも、身のためにせず。
或は親昵(しんぢつ)・朋友のためにつくる。或は、主君・師匠。および
財宝・牛馬のためにさへ、これをつくる。われいま、身のために結べり
人のためにつくらず。故(ゆえ)如何となれば、今の世の習ひ、この身のありさま、
ともなふべき人もなく、頼むべき奴もなし。たとひ、広くつくれりとも、
誰を宿し、誰をか据ゑん。
それ、人の友とあるものは、富めるをたふとみ、ねんごろなるを先とす。
必ずしも、情あると、直(すなお)なるとをば、愛せず。ただ、糸竹・花月を
友とせんには、しかじ。
人の奴たる者は、賞罰はなはだしく、恩顧あつきを、先とす。さらに育み
あはれむと、安く静かなるとをば、ねがはず。ただ、わが身を奴婢とするには、
しかず。いかが奴婢とするならば、もし、なすべきことあれば、すなはち、
おのが身をつかふ。たゆからずしもあらねど、人をしたがへ、
人をかへりみるより、やすし。もし、歩くべきことあれば、みづからあゆむ。
苦しといへども、馬・鞍・牛・車と、心をなやますには、しかず。
いま、一身を分ちて、二つの用をなす。手の奴、足の乗物、よくわが心に
かなへり。身心の苦しみを知れれば、苦しむときは、休めつまめなれば、つかふ。
つかふとても、度度過ぐさず。ものうしとても、心を動かすことなし。いかに、いはんや、
つねに歩りき、つねにはたらくは、養生なるべし。何ぞいたづらに、休みをらん。
人をなやます、罪業なり。いかが他の力を借るべき。
衣食の類またおなじ。藤の衣、麻の衾、得るにしたがひて、肌を隠し、
野辺のをはぎ、峰の木の実、わづかに命を継ぐばかりなり。人に交はらざれば、
姿を恥づる悔もなし。糧乏しければ、おろそかなる報を、あまくす。
すべて、か様の楽しみ、富める人に対して言ふにはあらず。ただわが身一つに
とりて、昔・今とを、なぞらふるばかりなり。
それ三界は、ただ心一つなり。心もし安からずば、象馬・七珍もよしなく、
宮殿・楼閣も、のぞみなし。いま、さびしき住居(すまひ)、一間の庵、
みづからこれを愛す。おのづから都に出でて、身の乞丐(こつがい)となれることを
恥づといへども、帰りてここにをるときは、他の俗塵に馳することを、あはれむ。
もし、人、この言へることをうたがはば、魚と鳥とのありさまをみよ。魚は水に飽かず。
魚にあらざれば、その心を知らず。鳥は林をねがふ。鳥にあらざれば、その心を知らず。
閑居の気味もまた、おなじ。住まずして、誰かさとらん。
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