更新:2013年2月10日(2002年11月10日頃開始) このページの最後へ
方丈記(鴨長明、講談社文庫、川瀬一馬注)より
一一 山居の生活
また、ふもとに一つの柴の庵あり。すなはち、この山
守がをるところなり。かしこに小童あり。時時来たりて、
あひとぶらふ。もし、つれづれなるときは、これを友と
して遊行す。彼は十歳、これは六十。その齢、ことの
ほかなれど、心をなぐさむること、これおなじ。
或は、茅花を抜き、岩梨をとり、零余子を盛り、芹を
つむ。或は、すそわの田井にいたりて、落穂をひろひ
て、穂組をつくる。もし、うららかなれば、峰によぢの
ぼりて、はるかに故郷の空を望み、木幡山・伏見の里・
鳥羽・羽束師をみる。勝地は主なければ、心をなぐさむ
るに障りなし。
歩みわづらひなく、心遠くいたるときは、これより峰
つづき、炭山を超え、笠取を過ぎて、或は岩間に詣う
で、或は石山を拝む。もしはまた、粟津の原を分けつ
つ、蝉うたの翁が跡をとぶらひ、田上河をわたりて、猿
丸大夫が墓をたづぬ。帰るさには、折につけつつ、桜を
狩り、紅葉をもとめ、蕨を折り、木の実をひろひて、か
つは仏にたてまつり、かつは家土産とす。
もし、夜静かなれば、窓の月に故人をしのび、猿の声
に袖をうるほす。くさむらの螢は、遠く真木の篝火にま
がひ、あかつきの雨は、おのづから、木の葉吹く嵐に似
たり。山鳥のほろと鳴くを聞きても、父か母かとうたが
ひ、峰の鹿の、近くなれたるにつけても、世に遠ざかる
ほどを知る。或はまた、埋火をかきおこして、老の寝覚
の友とす。恐しき山ならねば、梟の声をあはれむにつけ
ても、山中の景気、折につけて尽くることなし。いはん
や、深く思ひ、深く知らん人のためには、これにしもか
ぎるべからず。
方丈記のトップへ