やまのはな   Japanese only  更新:2011年9月24日(2002年11月10日頃開始)  このページの最後へ

   引っ越し


  そう、それは
  昭和も40年代前半(昭和41年?)
  夏休み最後の日
  8月31日
  慌ただしくトラックに家財道具一式を積み込んだ
  (積んでもらった)
  幌を掛けたトラックの最後尾の
  タンスの隙間に子ども達は声をひそめて座り込む
  道中はとても眠ることなどできない
  ひどいデコボコ道
  紐でしばった荷物につかまりながら
  何処まで行くんだろうかと心配だった
  堀切峠を越え
  ずっと下って
  左右に曲がり
  何時間走っただろうか
  トラックがようやく停止し、最終目的地に着いたことが判った
  後の幌が開けられたのだ
  次から次へと降りてくる子ども達
  ふるさとの家の近くかどうか知らないが
  土建屋さんの運転手さんに御礼を言い
  荷物を少しずつ新しい家に運び込む
  そこは借家だった
  工業都市のまさに工場前の
  四軒ぐらいが連なった平屋、長屋だった
  非常に風通しが悪く、窓を全開にしてもたまらない
  そうこうしているうちに、すぐ前の部屋に移った
  2軒分借りて、間の壁をぶち抜き、通路にした
  自転車は貴重な移動手段だった
  その頃は、まだ隣近所の付き合いも濃い
  貧しい家族は、お隣からおかずのお裾分けをいつも頂く
  見たこともない肉料理
  おいしそうなにおいはいつもただよっていた
  はじめてざんき(せんざんき、唐揚げ)を食べた
  プリンなるものも給食で
  山での生活では味わうことはないだろうものが次々と現れた
    

  


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