やまのはな   sorry Japanese only

                         更新:2006年7月2日 11:41

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   表題 : どんでん       

     DonDen どんでん 

ファイル名、もみじの由来 平成10年 1998年
 今はもみじの季節、11月9日、
 今年は気温がやや高いこともあって、
 紅葉狩りの季節が若干遅れている。
 秋に不用な物質を葉っぱに凝縮し、色を変え、散っていく。
 冬に備えて、蒸散を少なくするために、
 その本体を守り、来るべき春の輝きを現すために。
 モミジ、S村の元の家の庭にはえていたモミジの色を四季折々楽しんでいた。
 紅葉狩り 三味線にそんな光景の曲があったっけ。(2000年3月20日)

どんでん ・・・新たなキーワードに採用する
        今までは真実一路、OBJ(Old Black Joe)

DonDen S市の産業通りにある喫茶店
平成12年3月19日に初めて入ってみた。
やっぱりどんでんのフランス語だった。
予想したほどではなかった。

どんでん返し 1998.10.18

 物事が正反対に逆転すること・・・国語辞典より
 

 どん 丼鈍曇呑貪ドンどん
 でん 殿伝田電澱佃淀傳でんデン

  ドンがでーんと構えている
  親分が物事をしっかり見極め、適切な対処を適期に行う
  現状がおかしいと感じたら、どんでん返しを考える
  もし、それが正しいと1ヶ月以内に再び感じたら、
  できるだけ速やかに軌道修正を行う

 dome ドーム 親分(ドン)が住む大きな建物のこと

もみじ

紅葉 モミジ もみじ
 S村の家には、もみじが池の端にあった。
 1枚の写真があるはず。家族で写っている写真。
 いったい誰がこの貧しいひとつの家族の写真を撮ってくれたのだろうか。
 見るたびに熱き思いがわき上がってくる。
 秋になれば、色づき、池の水面にいっぱい散りばめられる。
 その葉っぱの陰で蛙がいっぱいうごめいている。
                 


 冬が近くなり、木枯らしが吹く頃になると、暖房用の薪割りが始まる。
1本づつ石の上に置き、斧で割っていく。
割れた木切れを何本かづつ運ぶ。
窓の下に積み重ねておく。
ストーブを使いはじめると、窓を開けて薪を取る。
少しづつストーブの中にくべていく。
良く乾いていないとなかなか火が移らない。
つまり、寒いのだ。
6月頃までストーブが入っていた。
昭和38年か、非常に寒い年、
望遠鏡を反対に向けて覗き、
ストーブの上にかけていたやかんをひっくり返して、
ヤケドをしたのは、通信簿によると六月である。


木の実拾い

 家の回りには、
 柿の木、ざくろ、石梨、グイミ、ビワ、椎の木、栗等の木が生えていた。
 季節季節にその実を食べた。
 取ってもらっていたのだろう。
 いつも何か果物を食べていた。
 あと、椎の実、ドングリなど拾っては食べたり、独楽にしたり。
 緑の実をとっては豆鉄砲を作って飛ばしていた。
 今考えると玉竜であったのだろう。
 蒲公英の種を吹き飛ばした、
 風に乗って遠くに飛ぶのを追いかけた。

干拓

 小さい頃はもっと雨が降っていた。
 夕立のあとにはいつもきれいな虹が空に模様を描いている。
 放射能の雨が降るから、早く家に入れ、
 と常々言われていた。
 ヒロシマの原爆の思いが両親にはあったのだろうか。
 水たまりが大好きな子供は
 いつまでも靴と傘の先っぽで干拓工事をしていた。
 殿様蛙が池の石や岸辺に座っている。

以下は平成12年3月20日加筆

鳳仙花 ほうせんか ホウセンカ

 山の家の庭先に播かれていた小さな草花
 毎年、たねの入った袋を指で挟んでパチンと割るのが楽しみだ。

叱咤激励

 元気がないとき、声をかけて気分を上向きにすること。
 人だけでなく、自分が落ち込んでいるときはどうするのか。
 それは 歩くこと。
 新緑の小径を一人で歩くのは気分爽快になる。
 ただ、その散歩が終わると厳しい現実に戻ってしまう。
 それをいかに乗り越えるか。
 いままでは運動で気分を晴らしていた。
 中学一年から平成8年まで。
 さてさて、これからはどうやって気晴らしをするのだろうか。
 きれいな美術展を見るか。
 写真を撮るか。デジカメでやたらに撮り回るか。
 メールを送るか。家族とおしゃべりするか。

 でも、それはお金がないとできません。

夕鶴

 大学時代の数少ない思い出。夕鶴。つう チルドレン よひょう
あのころの人たちはいったいどこに行ったのだろうか。
 what’ll do? 
 この台詞は忘れようにも忘れられない淡い一瞬のドラマ。

 この時代も前後して脈絡のない文章はどうしようもない。
 頭の整理がつかないのだ。


昨日 N市に行って

パーキンソン病

 結果をW県に聞きに行ったらどうなん。
 言っては行けないことをまた母親に言ってしまった。
 判っているのに。
 親父は和歌山に行かせたくない。
 自分をほったらかしにして。
 3週間も入院して、病院と同じなら
 お金が掛かってしんどいだけ。
 病院に入っていたら楽なのに。
 時々戻ることもできる。
 父ちゃんの世話をしなくていいだけ楽なのだ。
 こっちの医者と同じならわざわざ行くことない。
 大阪も不景気で流行らないから、
 兄にも金をださんと連れて行ってくれん。
 病院に行ったら目の手術をせないかんと言われた。
 家族と相談しなさい、とのことだったらしい。
 別の病院で見てもらったらなんでもないのならしなくて良いので、
 結局手術はしないことにしたらしい。(平成12年3月19日に)

テレビ

 N市に行ったら、
 いつもテレビのボリュームを大きくしている。
 近所迷惑でないのだろうか。
 心配になってくる。
 耳が少し遠くなったので大きくしているのだろうか。
 でも、普通に話しているのでは、聞こえているのだが。
 足下がおぼつかなくなっている。
 歩けんようになったらいかんけん、
 早う医者にかかって
 すねが痛い原因を知りたいのだ、という母。
 何もせず、テレビを見る父。
 困るのは誰か判っているのだろうか。
 テレビと新聞しかないのだ。
 このまま老いさらばえていくのだろうか。
 何もせずに。
 行くとお金と病気のことが主になってしまう。
 Hに来ることはできんし。
 Oに行くこともできん。
 Tに行くか。
 そんな話もしないんだろうな。きっと。

6年前の作文・・・

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