2003年1月23日、乳ガンの告知を受けました。その五日前にシャワーを浴びているとき、
左の乳首が陥没していることに気づき、三日後、総合病院でマンモグラフィ、エコー、細胞診の検査を受けました。
そしてその日、一人で結果を聞きました。ガンである確率は100、大きさは2.7cm、温存の範囲内だけれど、
乳首の根元なので、乳首は残せない……
そのときの私の気持ちは、「そうか!そう来たか!」という感じでした。私は両親とも数十年前にガンで亡くしているので、
自分もいずれガンになるだろうと、若いころから覚悟していました。ですから、医師から説明を受けている間も、
重要な仕事をまかされて、なんとかそれを成功させるぞ!と決心したときのような、気合いの入った状態でした。
それと、仕事を休む段取りをなんとかしなければ、という気持ちが先行していましたので、「落ち込む」とか「泣く」とは、ほど遠い心理状態でした。
告知の直後に夫と子供たちに、翌日には「直接自分の口から伝えたい」と思った友人たちに知らせました。
「隠しておく」という発想は、まったくありませんでした。この日以来ずっと、まわりの方々から数え切れないほどの応援をいただき、
ガンになったことよりも、「自分がいままで、こんなに大きな温かいパワーの中で生かされて来たのだ」ということに、
大きく心を動かされ続けました。
それでも、乳ガンについて情報を収集するうちに、「なぜもっと早く検査しなかったのだろう」、「すでにあちこちに転移しているのではないか」と、
いろいろな想いがわいてきて、気を張って続けていた最後の仕事が終わったときに、パニックになりそうになりました。
そんなときに助けになったのが、友達に教えてもらったe?クリニックでした。「ガン細胞は、自分の細胞が変化したもの。
それには理由があるはず。そのことに気づいて考え方と生活を変え、必要なことを自分の選択で続けていけば、治る可能性は広がる」
e?クリニックのこの考え方が、パニック寸前の私の胸の奥に届きました。「ガンを作ってしまった私の過去は変えられないけれど、
未来はまだ何も決まっていない。自分の人生は自分で生きよう。自分のガンは自分で治そう」
そう思えたときに、初めて前に道が見えました。
転移、再発の確率が低いと思われること、術後に放射線治療をしなくてすむことを考えて、乳房の全摘手術を選びました。
前向きの気持ちになってからの入院手術でしたので、一度もマイナスの気持ちに陥ることもなく、食欲がなくなったこともありませんでした。