ひめゆり学徒隊・沖縄県立第一高等学校の生徒(年齢15・6歳)と沖縄師範学校の生徒(年齢18・19歳)約200名で編成され沖縄戦
の時時看護助手として入隊し日本軍の傷病者の介護や食事のお世話その他いろいろお手伝いを致しました。しかし昭和20年5月
頃最初に配置された南風原陸軍野戦にも米軍が接近した為生徒達は南風原野戦病院から南部へ軍とともに撤退しました。
200名余りの生徒が第一外科豪・第二外科豪・第三外科豪・本部豪として分かれてました。ひめゆりの塔のある伊原第三豪には
45名の生徒が配置されたといわれています。しかし昭和20年6月19日早朝米軍によってその豪にガス弾が投げ込まれて多数
の生徒や軍人・民間人が犠牲になりました。その豪には96名の人間がおり45名の生徒もいて奇跡的に生徒5名が助かったと
いわれています。
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