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>>過去のマルタケ

 近所のお宅に招かれて、応接室で打ち合わせをした。家の主はマツタケの会のメンバーで、気の置けない間柄である。その部屋の中に、私の興味を激しく引いた品物があった。サイドボードの中におかれていたスコッチウイスキーの「ボウモア」である。

 この地の人たちは、ほとんどウイスキーを飲まない。私の個人的な印象であるが、まず間違いないと思う。飲み会にウイスキーが供されたことは、これまで一度も無い。ウイスキーを話題にしようとしても、乗ってくる人は居なかったし、日常的に飲んでいるという人も見たことが無い。逆に、酒好きを自称しながら、「ウイスキーだけはダメだ」という人もいたほどである。

 私を応接室に招いた主は、仕事柄いろいろ貰い物があるらしい。サイドボードにも、それと思われる高級ウイスキーやブランデーの瓶が並んでいた。しかし、ジョニ黒は納得できるとしても、ボウモアは解せない。届け物と言うのは、相手が喜ぶ物、あるいは相手が価値を認める物でなければ意味が無い。ウイスキーと無縁の社会で、限られたマニアしか名前を知らないようなウイスキーを贈ることは、的外れとしか思えない。

 打ち合わせが済んでから、私はこらえきれなくなってその事を切り出した。「良いお酒がありますね」と口火を切り、ボウモアがスコットランドのアイラ島で産するシングルモルト・ウイスキーであることを述べた。そして、スモ―キーな甘い香りに特徴があり、日本でもファンが多く、私も大好きなウイスキーの一つであると伝えた。

 すると主は、「大竹さん、そんなに好きなら持って行ってよ」と言った。その方は、二年ほど前の健康診断で内臓疾患が見つかり、医者から酒を禁止されている。私は心の中でガッツポーズをした。完璧に、私が描いたストーリー通りに事が運んだのである。酒飲みとは、かように意地汚い者なのである。

 そのボトルには、まだ手を付けた事が無いと言った。それは、ますます良い。しかし、続く話を聞いて、私はギョッとした。外国帰りの人からお土産に貰った物だが、それは24年前の事だったと言うのである。そして、そんなに古くても飲めるだろうかと言った。

 私は、以前国産の高級ウイスキーでかなり古いものを飲んだことがある。人から貰った時点で40年経っていた。酒を飲まない人が放ったらかしにしていた物である。それを面白がって、さらに10年置き、50年の節目を迎えた時に、酒好きの仲間のパーティーで披露した。ボトルのコルク栓はしっかりしていたが、アルコール分はすっかり抜けていて、とても飲めない代物だった。そんな話をしたら、ボウモアの持ち主は、ちょっと味を見てくれと言った。

 紙製の丸箱から瓶を取り出して見ると、液位が明らかに低かった。栓を抜くことは出来たが、コルクが傷んでボロボロしていた。グラスに注いで口に含むと、ボウモアの香りは間違いなかった。しかし、アルコール分はあらかた抜けている感じだった。

 貰って自宅に戻り、あらためて飲んだが、やはり若い娘の溌剌たる輝きは失われ、老婆のような渋い味だった。アルコール濃度を上げるために、普段飲んでいる安ウイスキーを加えて飲むことにした。好物のボウモアであるが、さすがに手が伸びない。時折思い出したように飲む程度だから、二ケ月経った今でもまだ残っている。

 それにしても、24年も経ったボウモアを飲んだ人は、世の中に少ないと思う。興味を覚えた人には、「アルコールは抜けていたが、香りはやはりボウモアそのものだった」と伝えることにしよう。