毎週火曜日発行
>>過去のマルタケ

 この夏に出産里帰りで滞在していた次女。時々神戸から旦那が来て一緒に過ごすことがあり、手打ち蕎麦を振る舞った。食べ終わった後、誰からともなく「ずいぶん細いね」という言葉が聞こえた。蕎麦の太さのことである。私は、「このところ、だんだん細く切る傾向になっているんだよ」 と答えた。

 蕎麦を切るのは、けっこう難しい。初心者の頃は、うどんのように太くしか切れなかった。経験を重ねるうちに、少しずつ細く切れるようになった。そうなると、細く切るのが技量の証しのような気になった。また、打った蕎麦を誰かにあげると、「ずいぶん細く打てるんですね」などと褒められる。それで、いつの間にか、細切りを追求するような習慣が身に付いてしまった。

 世間一般で見ると、蕎麦の太さは様々であり、1ミリ以下から数ミリまで、作り手の流儀によって違いがある。極細の蕎麦は、趣向を凝らした食べ方のジャンルに見られ、逆に極太の蕎麦は、田舎蕎麦など地域伝承のものに多い。そんな中で、あえて標準的な太さというものを定めるなら、江戸風の蕎麦の太さである1.3ミリということになろうか。生地の1寸を23回で切ることで得られる太さで、「切りべら23本」という業界用語がある。

 そういう知識はあったので、当初から1.3ミリを目指して練習をしてきたという経緯はある。実際に生地を切る機会は数日に一回しか無いので、毎日の練習は方眼紙とカーボンペーパーを使ってやった。「畳の上の水練」のようなものである。その練習では、おおむね1.3ミリで切る感覚を掴めるようになったが、実際に生地を切ると勝手が違う。ずいぶん期間を費やして、ようやく生地を細く切れるようになったら、目標の1.3ミリを通り越して、さらに細く切るようになってしまった。先に述べた「細切り至上主義」みたいなものがあったからである。

 話は戻るが、冒頭に述べた「ずいぶん細いね」という言葉に加えて、「蕎麦じゃないみたい」という感想も聞かれた。私自身、最近蕎麦を打つ際に、それが気になっていたと言えなくもない。しかし、普段は自分で食べるだけだから、それをことさら問題視することは無かった。ところが、身内とは言え、他の人の口からそのような感想を聞くと、「これで良いのか?」という気になった。

 私もこれまで、故意か偶然か、いろいろな太さに出来上がった蕎麦を食べてきた。そんな中で、1ミリ以下と言うような、あまり細いものは好みでなかった。箸で取って口に入れると、もっさりとした食感で、ツルツルとすすって口に運ぶ粋さが感じられないからである。その一方で、2ミリを越えるような太さのものは、ボソッとしてしなやかさが無く、やはり粋な感じがしない。

 今回、テクニック偏向の細過ぎる蕎麦を反省し、適正な太さで切ることを目標とすることにした。とりあえず、王道とも言うべき1.3ミリに狙いを定めた。

 それが、実際は簡単でない。まず1.3ミリという切り巾を、数値で確認することが難しい。切った蕎麦をノギスで計っても、麺は軟らかい物だから、正確な測定は難しい。それに、作業中にいちいちノギスで計るというのは現実的でない。いろいろ試した挙句、蕎麦を切る際に、折りたたんだ生地の向こう側に自作のスケールを置き、10回切ったら13ミリ、20回切ったら26ミリと言う具合に、包丁の進み方で確認することにした。切っている間に生地が動いてしまっては、正しい計測ができないから、それもチェックできるようにした。

 そんな道具立てでやってみても、実際はなかなか上手く行かない。これまで細い巾(たぶん1.1ミリくらい)で切ってきた癖が付いているので、均一に1.3ミリで切るリズムが掴めない。人の手の感覚で、0.2ミリの違いなどを切り分けることは、突然やれと言われても無理な事なのである。しかも、スケールを見ながら切ると、包丁を持つ手の動きがぎこちなくなり、切り巾が乱れる。

 どんどん練習をしたいと思っても、出来た蕎麦を食べ終わらなければ次が打てないから、チャンスが訪れるのはせいぜい一週間に一度。そんなペースでは、なかなか一度付いた癖を直す事はできない。

 11月の中旬になって、新蕎麦に切り替わる時期となった。昨年の蕎麦粉を使ってしまおうという事で、週に数回蕎麦を打つ機会があった。短期間に集中して作業を行ったので、ある程度新しいやり方に慣れることができたように思う。

 この年末は、「切りべら23本」で揃えた年越し蕎麦を食べられそうである。