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フォルクローレのライブ演奏で、毎回1曲くらいはボンボ(大きな太鼓)をやらされる。やらされると言うと聞こえは悪いが、私はボンボを習った事が無く、ちゃんとした練習をしたことも無い。それでも、やれと言われるからやる。そんな状況なので、そのような表現が似合っている。
フォルクローレでは、一人の演奏家が何種類かの楽器を持ち替えで演奏する事が普通である。私も、ケーナ、チャランゴ、サンポーニャを演奏する。しかし、ボンボはレパートリーに入っていなかった。だいたい楽器を持っていない。そんな私に役目が回って来たのは、太鼓が必要だけれど楽器の構成から他のメンバーが使えず、簡単なリズムで誰でも出来るから、あんたがやってくれ、というような流れだった。楽器はライブハウスに有るので、その気になれば誰でも叩ける。
最初に演奏したのは、一年ほど前だったか。当日のリハーサルで、突然頼まれた。単純なリズムだったので、すぐに覚えて本番に望んだ。終わった後「私のボンボはどうでしたか?」と訊ねたら、ほとんど褒めることをしないバンマス(先生)は、「ただ叩いているだけの演奏だったな。打楽器と言う物は、他のメンバーの演奏を盛り上げるものでなくてはダメだ」と言った。つまり、可も無く不可も無く、であった。
その後も時々頼まれるようになった。たいがいは、本番一週間前のリハーサルの際に、リクエストが入る。難しいリズムの場合は、ボンボを借りて帰って、自宅で練習をした。また、借りずとも、自作の太鼓で練習をしたこともあった。我が家には、自作のバウロン(アイリッシュ音楽出使う、胴の浅い太鼓)に段ボールを巻いて作った、ボンボに似た形状の太鼓がある。
回を重ねるうち、ライブが終わると先生の方から、「今日のボンボ良かったよ」などと言われるようになった。どういう風の吹き回しだろうか。
ところで、一つ思い出す事がある。
中学生の頃、音楽の授業でリズムを取る学習があった。たしかラベル作曲のボレロだったと記憶しているが、そのリズムを叩いてマスターするというもの。数回の授業で練習をし、最後に生徒が一人ずつ演奏をして、先生の評価を仰いだ。上手に出来る子もいたが、そうでない子もいた。中には混乱して、「あれっ」とか言いながら、全く的外れな叩き方をする生徒もいて、気の毒だった。
私の番になった。普通にやり終えたと思ったが、先生から、「とてもリズム感が良いです。合奏をするときに、こういう人が一人いると、全体が良くなり、他の人が助かるものです」と、思いがけない事を言われた。何の授業であれ、先生から褒められることなどほとんど無かった私である。その先生の言葉が、とても印象に残った。
今から思えば、趣味のつたない楽器演奏を現在まで続けて来られたのは、あの先生の一言が励みになったのではないかと思う。私にも、この方面では、多少の才能があるのだと。
あのような方を、立派な教師と言うのだろう。