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 教会の野外礼拝で、八ヶ岳自然文化園へ出掛けた。広々とした芝生の広場の木陰で、賛美歌を歌い、聖書を読み、説教を聞いた。すがすがしい晴天に恵まれ、素敵な祈りの時間を持つことができた。

 礼拝が終わった後の自由時間に、施設内にある自然観察科学館に入った。事前にネットで調べたところ、アポロ宇宙船の指令船の実機が展示されているとあったので、ぜひとも見たいと思った。

 私が今でも時々録画で観る映画に、「アポロ13」と「ゼロ・グラビティ」という宇宙ものがある。前者は約50年前に起きた実話に基づいたもの、後者はフィクションだが、いずれも宇宙空間でトラブルに見舞われた宇宙船を舞台にしている。搭乗員が、たいへんな苦難の果てに、無事帰還するという筋書きであるが、実にリアルであり、深刻であり、そしてラストは感動的である。そのアポロ宇宙船に触れることが出来るというので、ちょっとした興奮を覚えた。

 指令船は、思ったより小さめだった。こんな小さな円錐形の物体に、3名の飛行士が乗り込み、長さ100メートルの巨大なロケットで打ち上げられたのである。映画での打ち上げシーンが思い出された。ロケットが点火され、発射台から離れ、上昇して行くときの激しい振動の中で、飛行士たちが感じた不安は、いかばかりだったか。

 船内に入った。すごく狭かった。上向きに3ヶの座席があり、その一つには宇宙服を着た人形が横たわっていた。私も座席に着いてみた。上も下も横も、壁面は様々な形をした計器類とスイッチで埋め尽くされていた。操縦棹のようなものもあったが、それは姿勢制御に使うものだろう。これだけ多くの計器やスイッチを操作しなければならないとは、宇宙飛行士も大変だったろう。逆に言えば、これだけ多くの電子機器を使ってコントロールしなければ、宇宙空間を飛ぶことはできないのだ。この狭いスペースが、完全に現実離れした場所のように感じられた。

 宇宙船を飛ばす事が、人類にとって本当に意味があるのか否かは、疑問の余地があると思う。そういうことはさて置き、こういう最先端の装置を目の前にすると、感慨を禁じえないのは、元技術屋の性だろうか。こういうシロモノを開発し、実現させ、目的を達成した人々に対して、「凄いな」と正直に思う。その人々は、かつて人類が経験しなかった未知の分野にチャレンジすることに、大きな喜びとやり甲斐を抱いて取り組んだのであろう。そう思うと、羨ましくもある。

 皮肉な言い方をすれば、壮大な道楽である。道楽だから、人々を夢中にさせ、情熱を持って取り組ませるに値したのであろう。そしてその道楽を支える経済力が、当時の米国にはあったということだ。今ではもう、そのようなことは出来ない。月旅行は、過去の物語になってしまった。小さな宇宙船は、日本の田舎の片隅で、ひっそりとその物語を回想しているようだった。

 科学者や政治家の道楽だったとしても、原発のように負の遺産を残さない点では、まだ良かったかも知れない。福島の原発施設は、50年後にどのような姿になっており、どのような物語を回想するのだろうか。