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>>過去のマルタケ

 孫娘のHちゃんは、小学5年生だが、自動車が苦手で、乗り物酔いをする。松本空港から我が家までの、1時間足らずのドライブでも、かなり辛そう。ビニール袋を手に、青い顔をして耐えている様は、傍目に気の毒なくらいである。

 乗り物酔いというのは、年齢的なものもあるようだ。私が小学生の頃も、学校行事のバス旅行となると、必ず数名は酔う子が出た。車中で、先生がその手当に翻弄されるのが、お決まりのパターンだった。中には、バスに乗っただけで、動き出す前からグッタリとする子もいた。

 私はと言えば、バスのように大きい車は大丈夫だったが、自家用車やタクシーは苦手だった。それこそ、乗り込んだ矢先に、狭い空間と車内の臭い(たぶん、シートのビニールの臭い)に気が滅入り、嫌な予感に苛まれたものだった。実際、車の中で吐いて、迷惑をかけたこともあった。

 そんな私が、乗り物酔いから解放されたのは、大学に入って酒を飲むようになってからだと思う。大学のサークル活動に飲酒は付き物だと思うが、私が入った山岳部もかなりひどかった。そのサークルで、酒にまつわる喜怒哀楽を叩き込まれた。父親の家系は酒好きの傾向が強いが、私がその血を引いている事を認識したのも、その頃であった。後年、母はよくこのようにこぼしていた、「收さんは、小さい頃はおっとりとして品が良い子だったのに、大学の山岳部に入ってお酒を覚えてから、すっかり荒くれた人間になってしまった」

 酒を飲んで激しく酔っぱらうことを経験するうちに、乗り物酔いなど気にならなくなったようである。科学的な理由は不明だが、たしかにその頃から、車に対する苦手意識は消え去った。母は悪口ばかり言っていたが、山岳部の酒乱行為が、良い結果をもたらした部分もあったと言える。

 ところで、母方の祖父(母の父親)は、穏やかで品の良い紳士だったらしい。祖父は母が若い頃に病気で他界したが、母の理想の男性は、生涯を通じて祖父だったようである。酒に関わる話を母から聞かされた事が無いので、祖父は全く酒を飲まない人だったか、せいぜいたしなむ程度だったのではないかと思う。そんな家庭に育ったから、母は結婚して父と生活をするようになり、ずいぶん驚いたのではないかと想像する。

 それはともかく、祖父はめっぽう乗り物酔いに強い人だったらしい。仕事柄旧満州との行き来があり、船に乗る機会が多かった。ある時、乗り込んだ客船が外洋で大しけにあい、乗客は皆ひどい船酔いになって、船室から出られない状態になった。そんな中、夕食時に食堂の席に着いたのは、祖父と船長の二人だけだったそうである。

 酒を飲むようになって乗り物酔いが無くなったなどと言う話を、母に聞かせたことは無かったが、もし聞かせれば、母は「ふふん」とせせら笑っただろうか。