驚異の木工品


 
ときどき出掛ける映画館は、山形村の巨大なショッピングセンターの中にある。センターの入り口から映画館へ至る通路の途中に、海外の民芸品を売っている店がある。映画を見に行くときは、この店に立ち寄ることが多い。ほとんど買うことは無いが、珍妙な品物を見るだけでも楽しい。

 先日も映画を見に行った帰りに立ち寄った。例によって、怪しげな品物で埋め尽くされている店内には、いかにもエスニック風な香の匂いが立ちこめていた。

 ぐるっと店内を一周したら、今まで見たことのない品物に目が止まった。手の平で包めるほどの、小さな木工品である。一見しただけでは、何のために作られた物か分からない。ただ、極めて不思議な形をしているので、興味を引かれた。

 一つの木材から加工した、切り抜き細工のようなものである。切り抜かれた三つのピースから構成されているが、各々がリング状の部分で繋がっていて、分離することはできない。こういう一木作りの細工は、例えば鎖のような形をしたものなどは、現代の木工クラフト作品に見たことがある。しかし、そのようなものと比べて、この民芸品は実に複雑な形をしていた。

 手に取っていじり回しているうちに、この品物が小さな台座の形に組み立てられることが分かった。三つのピースを、正三角形になるようにして開くと、それぞれがもたれあって位置が決まり、三脚の形の台座となった。要するにこれは、携帯式の台座だったのである。

 何か宗教的な物体を載せる台座ではないかと思った。地面に直接置くことを憚られる物体を、この台座に載せるのではないか。しかも携帯に便利なように、折りたたみ式になっているところから察すると、巡礼の僧侶などが使う道具かも知れない。例えば托鉢の器を載せる台座とか。

 それはともかく、これは木工品として驚異の品物である。

 一つの木の塊から、このような機能を有する品物を作り出すのは、容易なことではない。この品物を見ながら、同じものを作れと言われても、その加工の複雑さから、絶望的な長さの時間を要するであろう。ましてや、品物の概念だけを伝えて、ゼロから考え、作り出すことを課題として与えたら、仮に高額な懸賞金を掛けたとしても、最後までやり遂げられる木工家が、何人いるだろうか。

 作りは荒削りである。いかにも手作業で作られた品物である。部材の先端には、犬の顔のような簡単な細工が施してある。反対の端には、脚のような彫り物がなされている。まるで子供が作るような、素朴で無邪気な雰囲気の品物である。しかし、その発想の斬新さと加工の巧みさ、そして立体造形感覚の秀逸さは、ため息が出るほど素晴らしい。

 私は異国の地のどんな人が、どのようにしてこの作品を作ったのか、思い描いた。そしてその優れた工芸家に敬意を表すべく、一度会う機会があればと、かなわぬ想像を巡らした。

 この品物を買い求めた。レジの若い女性は、無造作に「370円です」と言った。




(Copy Right OTAKE 2009.2.9)