木割り木工
南会津の山奥で、伝統的な木工技術を取材したことがある。
ブナの産地であるこの地方は、昔からブナ材を使った生活用具の製作が行なわれてきた。取材をしたのは、杓子作りの名人の仕事。杓子とは、鍋料理の具をすくうのに使われる道具で、現代では金属製の「おたま」に取って代わられていることが多い。しかし、煮えて軟らかくなった具を崩さずにすくえるとか、味見のために口に当てても熱くないとか、使い勝手はなかなか良い。
取材のポイントは、丸太の木割り。杓子作りは、丸太を板状に加工するところから始まるが、その板を作る伝統的な技術が木割りである。そして、それが一番難しいとのことであった。手順としては、まず丸太を杓子の丈より少し長めの30センチくらいで切断する。それの木口(年輪の見える面)が上になるようにして床に置き、鉈を当てて槌で叩き、所定の厚みに割る。直径40センチくらいの丸太なら、30枚ほどの板が取れる。つまり杓子が30ケ作れるのである。このようにして割る作業自体は、別に難しいことではない。問題は、割り易い木を見定めることである。
割れ易い材だと、割裂面が鉋をかけたように平らで、しかも滑らかになる。それが割れ難い材だと、全く割れなかったり、たとえ割れたとしても、曲ったり凸凹になったりして、良い板が取れない。良い板が取れないということは、その後の作業がやり難くなり、余計な手間がかかるということになる。また原材料から取れる製品の数が少なくなる、つまり歩留まりが悪くなることでもある。丸太を割ることで板を作るという、きわめて能率の良い加工方法で支えられているのが、この杓子作りである。木割りが上手くいかないということは、製作体系そのものが崩れることを意味する。
取材の現場には、長さ2メートル程度の丸太が、二十数本積まれていた。名人はその全てを入念に調べ、最終的に一本だけを抜き出して、上手く割れそうなのはこれだけだと言った。しかも、その丸太も、途中から先は枝分かれの痕跡が見られ、上手く割れないだろうとのことだった。割れ易い材というのは、それほど少なく、手に入り難いのである。
割れ易いかどうか、丸太を見立てるにはいろいろなノウハウがあるそうだ。樹皮を剥がして材面の模様を見たり、断面の木目を調べたり。しかし、それらのノウハウを駆使しても、確実なことは分からない。上手く割れるかどうかは、結局は割ってみるまで分からないとのことだった。これが丸太ならまだしも、立ち木の状態で見極めるのは、たいへん難しいことだそうである。立ち木の選木で間違えば、後の作業が全て無駄になり、製作者としてはたいへんな時間の損失となる。だから、木を見るのは真剣勝負だと言う。「なにしろ生活がかかってるからね」この言葉が、名人の口癖のようであった。
永年の経験によって材を見定め、手作業ながら能率良く製品を作る仕事が、会津の山奥で綿々と続けられてきたのである。ここには、木を利用する人間の知恵の、一つの形がある。そして、使えない木は切らないという、自律的な環境保全の姿勢もうかがえるのである。
ところで、ブナの産地として知られてきたこの地方でも、最近はブナ材が全く出なくなったと聞いて驚いた。昨今の癒し系のブナ林ブームで、この地でもブナの伐採が批判を浴びるようになったと言うのである。自然保護団体、特に野鳥の会などが、強硬な姿勢でブナの伐採を禁止するよう申し入れた。そして営林署は、ブナの伐採を全面的に止めることにしたのである。
この取材で使われたブナの丸太は、民有林にあった支障木ということで、特別に切り出されたものだった。杓子作りの名人にとって、久しぶりの仕事となった。しかし、ごく僅かな量の材でしかない。これが終わってしまえば、名人の技術が見られる日は、二度と再び訪れないのだろうか。
(Copy Right OTAKE2009.9.15)