プロの刃物は安来鋼


 東京浅草にある水平屋は、私がいろいろな刃物を購入した道具店である。昔から東京下町の木工職人が道具を求めた老舗である。現在の店構えは、コンクリート造りになっており、一見したところ歴史のある道具屋という雰囲気は無い。店内に入っても、工務店向けの電動工具が所狭しと並んでいて、いかにも今風の工具店である。その奥の一角に、伝統的な手道具のコーナーがある。私が数年前に訪れた時、大旦那さんは道具の陳列台の向こうで退屈そうにしていた。事実、近ごろは刃物を買いに来る職人がめっきり減ったと、こぼしておられた。もはや現代ではほとんど売れない品物の数々かも知れないが、ここに並ぶ道具たちを見るのは、実に楽しいものである。

 カンナ、ノミ、ノコギリ、キリ、小刀、その他様々な手道具が、様々な用途向けに揃っている。僅かづつサイズの違う刃物が、大から小まで整然と並んでいるのは圧巻だ。使い方が分からないような、奇怪な形状をしている道具も有る。それ自体、工芸品のように手の込んだ作りの道具も有る。見ているだけでうっとりするような、道具たちのラインナップである。

 店に入って手道具コーナーの前に立つと、大旦那が「なんだい?」という顔つきでこちらを見る。「ノミが欲しいのだが」と切り出すと、大旦那は「上物かい、それとも並物かい?」と聞く。「仕事に使うので・・・」と言うと、ではここら辺からと、道具箱を取り出し、中身をカウンターの上にバラバラと並べる。そうして、これは青紙だからとか、これは白紙なのでとか、講釈を始める。青紙はグラインダーにかけると、その火花で見分けが付くとか、白紙は長切れの点ではどうか、などと説明してくれるのである。始めの頃は、青紙とか白紙とか言う言葉の意味が分からなかったが、折に触れて知るようになった。それらは、刃物に使われる鋼の名称なのである。

 上等な刃物に使う鋼は、国内でほぼ一つに限られている。それは安来鋼(やすきはがね)である。木工刃物に限らず、包丁、剃刀、ハサミなど、鋭い切れ味を求められる、プロが使う刃物には、安来鋼が使われている。この鋼は、島根県安来市にある日立金属安来工場で作られる。安来節で有名な安来市である。古来出雲特産の砂鉄を使い、「たたら製法」によって和鉄、玉鋼を生産することで知られた地域である。

 一時期人気を呼んだアニメ映画「もののけ姫」の舞台は、この出雲地方であると私は思う。青銅器の文明は、鉄器の出現によってあっと言う間に衰退した。製造し易い青銅器は、生活用具としては役に立ったが、武器としては硬い鋼の敵ではなかった。瞬く間に武器は鋼製品へと変わっていったのである。その鋼を作るには、近代以前には砂鉄と多量の燃料木材を必要とした。良質の砂鉄が取れた出雲の地に、「たたら」が建設され、周辺の森林を伐採して燃料となる木を確保した。その森林破壊に怒った森の神と、人間との争いを描いたアニメが「もののけ姫」である。鋼の主な用途は刀や槍、そして種子島(鉄砲)といった武器であった。人の争いが武器を生み、武器が戦争を誘い、また自然を破壊する。現代にもそのまま当てはまる、人間の業のようなものを、私はこのアニメ映画に見た。

 鉄や鋼と言えば、何千トンもの生産能力を持つ、巨大な製鉄所で製造されるものと、誰しも考える。しかし実は、巨大な製鉄所で作られる鉄鋼製品は、工業社会の主要な用途に的を絞った品質となっている。例えば、橋梁やビルを作るための鉄骨や、自動車、船舶などを作るための鋼板などである。そのような用途の鋼を、そのまま刃物の材料として使えるわけではない。安来鋼は、刃物の材料として特別に作られる鋼である。その生産量は僅かなものであるが、それが国内はもとより、海外までも含めた、手道具刃物の需要に応えているのである。

 青紙、白紙というのは、安来鋼の商品名である。私が水平屋で求めた刃物は、青紙が多かった。青紙は合金鋼の性格を帯びた鋼で、硬く、耐久性が有る。この鋼で出来たノミで、マカバなどの硬く、ち密な材を切削すると、チリチリとした手応えで切れる。素晴らしい切れ味である。価格は高めだが、一生使えるものだから、手に入れてけっして損は無い。

 私の知り合いに、金属工学が専門の大学教授がいる。教授室には、いろいろな金属の見本がころがっている。玉鋼のサンプルも有った。鍵の掛かった引き出しの中から、先生は「たたら製法」で作られた和鉄で出来たナイフを取り出して見せてくれた。材料を提供して、刃物鍛冶に作らせたものだそうだ。不思議なことに、このナイフは錆びないと言われた。研究室のコンパで、学生たちが料理を作るときにこのナイフを使ったりするのだが、雑に扱ってもいっこうに錆びないと言うのである。その理由はまだ分からないとのことだった。さすがは日本刀の文化の流れだと、感心したものである。


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