木を焚く


 小中学生だった頃、林間学校や臨海学校の目玉と言えばキャンプファイヤーだった。「燃えろよ燃えろよ、炎よ燃えろ・・・」などと歌いながら、巨大な炎を見上げたときの興奮は、かなりのものだったと思い出す。

 木を燃やしたときの炎の印象は、燃やす規模によって随分違って来る。キャンプファイヤーのように、大量の木材を一気に燃やす場合は、炎がメラメラと空中に立ち上がるようになる。そのダイナミックな燃え方が興奮を呼び、思い出に残るのだが、この現象は炎の規模が大きいと高温になり、木材の中の揮発成分が蒸発して空中に放散され、それに火が付くということが断続的に繰り返すためだと思われる。

 薪ストーブの中でも同じようなメラメラ現象が観察される場合がある。十分に薪を入れ、良く燃えている状態で空気の入り口を絞ると、火勢は序々に衰えて、暗くなった火室内に青みがかった炎がメラッメラッと現れたり消えたりするようになる。なかなか幻想的で美しい光景である。これも、高温状態で木材から抜け出した揮発成分が、空中で燃えているわけだが、空気の量が絞られて少ないため、燃えたり消えたりを繰り返すのである。これで完全に空気を断てば、炎は消滅して蒸し焼き状態になり、揮発成分が抜けて炭素だけが残る。木炭の製造はこのようなプロセスによる。

 私は中学生の頃、東京の中野近辺に住んでいたのだが、ある年の正月が明けて間もない日に、近くの材木屋が火事になった。突然聞こえ出したサイレンの音が、次第に大きくなり、近所が騒然としてきたので表に出ると、夕暮れの空の下が赤く染まっていた。道路には人々が「火事だ」、「○○らしいぞ」などと叫びながら、その赤い色に向かって走っていた。我が家も野次馬根性丸出しで、現場へ駆け付けた。私は後にも先にも、こんなに立派な火事を見たことはない。初荷の札が貼られた材木が、丸ごと束になって燃えていく。あまりに凄まじい炎なので、周囲に風が起こる。その風が炎に向かって吹き込み、大量の火の粉を巻き上げる。日が暮れ、暗くなった空に、ちりばめられたように舞い踊る火の粉の点々が美しかった。

 米国のどこかでサミット(先進国首脳会議)を開催したとき、会議の場となったお城ふうのホテルのラウンジで、暖炉が実に見事に燃えていたことを思い出す。薪の組み方や炎の回し方に特別のノウハウがあるのだろう。たぶん、そのホテルでも一番の火付け名人が担当したのだと思う。その暖炉の炎だけで、完璧にその場の雰囲気を演出していた。開拓によって国土を広げた米国である。荒野の夜に暖を取り、野獣から身を守ったのは焚き火の炎。その炎に対する思い入れや郷愁というものは、米国人の中に脈々と残っているのだろう。そんな米国の文化と言うようなものを、あるいは米国らしさを、あの暖炉の炎は堂々と演じていた。

 そのサミットの会場の暖炉で、何の木を燃やしたのか、知るよしもないが、木には美しく燃えることで評判のものもある。北欧などでは、カバ材が薪の中で一番だと言われているらしい。それは炎が美しいからとのことである。たぶん他の樹種には無い成分が含まれているのだろう。国内でも、シラカバの皮をお盆の迎え火に燃やす風習がある。また、鵜飼いの松明に使うのは、やはりカバの一種のウダイカンバの皮である。この材の名称は、そこから来ているそうである。

 木の中には燃え難いものもある。その中でも良く知られているのがクリである。炭素と水素で出来ているのだから、いずれは燃えて無くなるのだが、なかなか素直に燃えてくれない。条件が悪いと自燃しない。つまり、他の材種の薪と一緒でなければ、燃焼を持続しないのである。

 我が家では薪ストーブを使っている。工房から出る家具作りの廃材は、とても良い薪となる。完全に乾燥しているから火つきが良い。薄い板ならマッチ一本で火がつくくらいである。また、広葉樹なので火力が大きく、火もちも良い。

 余談だが、世間の中には、乾いていない薪の方が火力が強いと考えている人もいるようだ。恐らくゆっくり燃えることから、十分に火力を利用できるような錯覚を持つのだろうが、それは違う。実際には水分を含んだ木の方が乾いた木よりも発熱量は低い。その理由は、湿った木はその中の水分を気化するためにエネルギーを奪われるからである。気化した水分は、回収されずに大気中に放散される。つまり、気化エネルギーの分だけ損をすることになるのである。

 さて、工房から出る廃材だけでは、一年ぶんをまとめても、我が家が冬場に必要とする薪の全てをまかなえるわけではない。従って、別に薪を手配する必要がある。

 この地域で薪ストーブを使っている連中が集まって、薪を手に入れるためのグループを作っている。その名は「アップル・ギルド」。主としてリンゴ農家から出る廃木を狙った活動である。

 安曇野はリンゴの産地である。リンゴ農家は、長年を経た樹を伐採して、新しい樹に植え替える。不要となった樹は、敷地の隅に集めて処分する。灯油をかけて燃やしてしまうのである。そこに目を付け、伐採情報を収集し、焼却処分となる前にリンゴの樹を戴きに参上するのが、アップル・ギルドの活動である。場合によっては、チェーンソーを使って伐採作業も行なう。リンゴ農家にしてみれば、不要木の片付けをやってくれるのだから、有り難いことなのだろう。こちらはお酒一本程度の謝礼で良い薪が手に入るのだから、これも有り難い。

 薪ストーブを使う者は、年間を通じて薪の準備に気を配らなくてはいけない。冬が来る直前になって薪を買おうとするのは、素人である。また、現在ではそのように直ぐに使える薪、ひと束いくらで売っている薪は手に入り難くなり、従って値も高い。上に述べたリンゴの廃木の利用などはベストだが、そうまでしなくても、山里の林業家からトラック一杯の丸太を購入し、自分で短く切って斧で割り、薪をこしらえるくらいはしたいものである。そのようなやり方だと、かなり安価に薪が準備できる。もちろん加工する手間は、自分で負わなければならないが。

 リンゴ農家が伐採をするのは、冬の時期、1〜2月頃である。その材を引き取ってきたら、直ぐに切って割って薪にする。そして雨がかからないようにして積み上げ、乾燥させる。そうすれば、その年の終わり頃には薪として使えるようになる。丸太を購入するケースでも同様である。薪作りは冬場の仕事である。そして、出来た薪を一夏かけて乾かし、次の冬に使うのである。薪ストーブを使う生活というのは、一年間のサイクルで取り組まなければならないのである。

 丸太を短く切るには、チェーンソーを使う。馬力から言えば断然エンジン式の方が有利だが、自宅で使うのに騒音などが気になる場合は、電動式でも良い。チェーンソーの刃も、切れ味が落ちてきたら目立てをする。普通は使う者が自分で目立てをするのだが、これが上手くできるか否かで、作業能率は格段に違って来る。しかし、刃物全般に言えるように、チェーンソーの目立ても、慣れるまでは難しいものである。

 ともあれ、チェーンソーという物は、男の道具として格好良い代物である。騒音や振動があり、危険性も高い。そして頻繁なメンテナンスも必要だ。クルマやバイクと同じで、いかにも男性好みの世界である。それに対する憧れもあるのだろう。あまり使いもしないのに、外国製の高価なチェーンソーを大事に抱えているのは、都会から越して来たアウトドア派に多い。

 ストーブに入る長さに切ったら、斧で割る。斧で割る目的は、サイズを小さくして扱い易くすることよりも、薪を早く乾燥させることにある。丸太のままの木は、例え細いものでも、中まで乾くには相当の年月を要する。丸太は割って内側を露出させることによって、乾燥が格段に進むのである。

 灯油のストーブや電気ヒーター、エアコンなどに比べれば、薪ストーブは使う人自らに多大な手間が掛かる。薪の準備のみならず、煙突掃除などのメンテナンスもしなければならない。スイッチ一つで消火できる便利な暖房器具と比べれば、薪ストーブは火の始末の危険もあり、不安もある。それでも、ひとたび木を焚いて暖を取ることの楽しさを覚えた人は、やみつきになる。

 夜更け、照明を落とした室内で、ストーブの中であかあかと薪が燃えるのを見るのは、なんとも瞑想的で気持ちが安らぐひとときである。木が燃えるのを見ることが、人にとって何故このように特別の感情を起こさせるのか、まことに不思議な気持ちを抱きつつ、炎に見入るのである。



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