材木を買うということ
材木が無ければ、木工家は仕事ができない。簡単に言ってしまえば、材木は木工家にとって最も大切なものである。仕事を続ける限り、絶えず材木を購入し、補充しなければならない。しかし、材木を手配するということは、これでなかな厄介なところがある。
材木は生物(なまもの)である。私が普段やっているように、丸太の状態で買う場合は特に、その点に気を使わなければならない。
丸太がどの季節に伐採されたものかを知ることが大切である。と言うのは、季節によって樹木の中に存在する水分が異なるからである。春から夏にかけての季節は、樹木が盛んに成長する時期でり、根から大量の水分を吸い上げている。それに対して、秋から冬にかけての季節は、樹木の活動は低下していて、水分が少なくなっている。葉は樹木の中を通って来た水分を蒸発させる役割を持っているが、その葉が落ちて無くなっている時期は、樹木は地中の水分を吸い上げないのである。
樹木を切り倒して丸太を取る場合、水分はなるべく少ない方が良い。水分が多いと乾燥に時間がかかるということもあるが、それ以上にいろいろな問題がある。水分を多く含んだ丸太は、木材腐朽菌が入り易い。要するにカビが入ったり、腐ったりしやすいのである。樹種によって耐朽性に差はあるが、例えばカバやトチといった樹は腐り易い。水分の多い丸太を気温の高い時期に一ケ月も土場にころがしておけば、内部の深いところまで腐れが入ってしまう。製材して板にしてみたら、一面に変色が出ているということになる。丸太はなるべく早く製材するのが良いとされるが、その理由はこういうところにある。
春から夏にかけて伐採した丸太は、たとえすぐに製材して板にしても、材の色や艶が悪いと言われている。材の内部の水分が、やはり影響しているのだろう。私の経験でも、丸太によって板にしたときの材の表情がまるで違うことがしばしばあった。同じ材種でも、材の色や艶が全く違うのである。その理由が樹の個体差によるものである可能性もある。健康な樹と、元気が無い樹では、材の質に違いが出てもおかしくはない。しかし、見慣れてくるにつれて、その原因が伐採時期の違いによる水分の差から来ているように感じるようになった。極端なカビや腐れの跡が無くても、夏に伐った材木は質が悪いのである。その樹を半年後に伐ったなら、はるかに良い質の材木が取れただろう。伐採の時期を変えるだけで、材の価値は全く変わってしまうのである。
このように、丸太を買う場合は、それがどの季節に伐ったものであるかが重要なのだが、外見ではなかなか分からない。真直ぐでまん丸の、一見優良な丸太を手に入れても、製材してみたらスカだったということがある。だから伐採時期がはっきりしている丸太を買うようにしたいのだが、これが不明なことも多い。材木市で山と積まれている丸太の中には、何時何処で取れたのか特定できないものも多いのである。
最近になって、樹の伐採に適する時期は秋から冬というだけでなく、その時期の中でも新月の日が一番良いという説が発表されて、物議をかもした。その書物の著者はオーストリア人のエルヴィン・ト−マ氏である。新月の日に伐採した樹は、カビや菌に犯されにくく、また虫が付かないと言うのである。月の満ち欠けの周期が生命体に及ぼす影響については、古来いろいろなことが言われて来た。それが、樹の性質にも関係しているとする説である。一見信じ難いような説であるが、実は日本でも同じようなことが、木材を扱う業者の中で一部に伝えられて来た。私自身、樫の材を扱う原産地の業者と面談した際に、「新月の日に切った樹は虫が付かない」と聞かされて、耳を疑った記憶がある。
さて、適切な時期に伐採した丸太でも、家具材として使えるまでにはいくつものハードルを越えなければならない。
先に述べたように、丸太を買ったらなるべく早く製材しなければならない。製材所に持ち込んで、指定した厚みで挽いてもらうのである。そして板になったものを工房へ運んで、最初にやらなければならないのが皮むきである。製材所によっては、樹皮を剥ぎ取る機械で皮をむいてから製材するところもあるが、それでも完全に取り切れない場合がある。樹皮が材の端に残っていると、木食い虫が卵を産みつける。そして卵から孵った幼虫が、樹皮を食料にして成長し、次第に材の中に入っていくのである。だから、木食い虫の温床となる樹皮は完全に取りきらなければならないのである。私も駆け出しの頃はこのことに気がつかず、樹皮が付いたまま板を積んでおいて、あるとき虫に食われて材がぼろぼろになっているのを発見して愕然としたことがある。
皮を剥いた板は、桟積みをする。板を水平に置き、桟木と呼ばれる角材を交互にはさみながら積み重ねるのである。そして板が全て積み上がったら、一番上にトタンを被せて、古タイヤなどの重しを乗せる。桟積みはなるべく風通しの良いところが良い。桟積みをしておくことによって、材の水分は少しづつ抜けて行く。これを自然乾燥あるいは天然乾燥と呼ぶ。こんなことで本当に材の内部の水分が抜けるのかと思うかも知れないが、実際に乾くのである。まず材の表面が乾き、そこに材の内部の水分が移動して蒸発し、ということを繰り返して、最終的には材の奥まで乾くのである。完全に乾くまでどれくらいの時間がかかるかと言えば、およその目安として、厚さ一寸あたり一年と言われている。厚さが二寸の板なら最低二年は置いておく必要があるということだ。
桟積みの状態で材は乾燥していくのだが、その過程でなるべく割れがはいらないよう、桟積みをした時点で板の木口に割れ止め剤を塗布する。また、桟木のところまでは割れが入るという説があるので、桟木を板の両端ぎりぎりの所に入れたりする。人によっては、板の両側の樹皮がついていた部分をスッパリと切り落とすことで割れを防ごうとする。割れそうなところにカスガイ入れる人もいる。乾燥過程における割れの発生は、要するに材の一部が乾いて縮むことによる。全体が乾いてしまえば、もはや割れることはない。材の部分的な乾燥による内部応力の発生を、いかにマイルドに進行させるかが、割れを防ぐためのポイントである。
桟積みの状態で起こるトラブルもある。トタンに穴が開いていて、雨水が漏れ、板が傷んでしまうことがある。樹皮が取り除いてあっても、木食い虫が付くこともある。桟積みをしておけば、年月が経つにつれて材木の価値が自動的に上がるばかりとは限らないのである。私の工房を訪れて、材木の桟積みの山々を目撃した文科系の会社員の中年男性は、「これは金利だけでも大変でしょう」と述べたが、生物(なまもの)の保管の大変さは、そんなことだけではないのである。
さて、丸太で買う場合は、リスクが伴う。丸太の内部には、樹が成長する過程で生じた節や割れなどの欠点が存在している場合が多いのだが、それらは外見ではなかなか分からない。先ほど述べたように、腐れが入っている場合も、見た目では分からない。外見では立派な丸太でも、製材して板にしたら欠点だらけでガッカリということがある。すなわちこれは、一種の賭けである。
魚河岸などでは、マグロの善し悪しを判断するのに、尾ビレを切り落とした断面を見て判断するという。丸太も、断面を調べればある程度のことが分かると言われている。しかし、丸太の断面などというものは、伐採した直後ならまだしも、流通に日数を経たものは、材面が汚れたり、乾燥して質感が変わったりして、品質の判断材料にはなりにくい。丸太の木口を、チェーンソーで舐める(薄く切り落とすこと)ことによって、綺麗な断面を見ることはできる。しかし実際問題として、買うかどうかも決めていない丸太に関して、そのようなことをリクエストするのは、現場の感覚としては難しいことが多い。結局、よく分からないまま決断を下さざるをえないのである。
北海道の材木市で、カバ材の丸太一本に数百万円の価格が付いたことがあったそうである。買い手は突き板業者。突き板とは、合板の表面に貼る厚さ0.2ミリ前後の薄い板のことを言う。安い南洋材を芯にした合板に、カバ材の突き板を貼れば、見た目にはカバ材そのもののような板が出来上がる。その突き板は、丸太をダイコンのカツラ剥きのようにして薄く剥いて作る。良い丸太であれば、一本から膨大な量の突き板が取れるので、値が釣り上がる。しかし、外見は良くても中に節でも有れば、突き板は取れない。数百万円の値で落札するときの業者の心理状態はいかなるものであろうか。
丸太で買うことのリスクを避けるために、製材された板の状態で買うという手もある。そのような木材の売り方をしている業者を銘木店などと呼ぶ。銘木店には、品質の良い板が並べてあって、眼で見て確かめて買うことができる。これはリスクの無い安全な買い方である。しかし、当然のことながら、このような材木は値段が高い。本質的に丸太には人間にとって都合の良い部分と悪い部分がある。その都合の良い部分のみを選りすぐって売っているのだから、値段が高いのは当たり前である。丸太買いをハイリスク・ハイリターンとすれば、この銘木買いは手堅いがうま味は無い。
これは木材をどのように使うかという、木工家の製作方針にもよるのだろうが、丸太買いには、ギャンブル的な興味の他にも、気をそそられるものがある。重ねて言っているように、木材は生物であり、また品質の良い部分と悪い部分がある。その全てを引き受けて購入するのが丸太買いである。良いところ取りの買い方では分からない、木の本質が見えてくる買い方である。適材適所の言葉どおり、良い部分と悪い部分とを使い分ける工夫が生まれる。節、割れ、変色といった、様々な変化に対応する能力も試される。そのような木との付き合いから、新しい木工の作風が芽生えることもあるだろう。そういう意味では、丸太買いは面白みのある買い方であり、リッチな買い方と言えるかも知れない。
板になった材木を購入する場合にも、いろいろなケースがある。上に述べた銘木店での一枚単位の買い方の他に、一束いくらで買う方法もある。これがなかなか曲者であって、トラブルの原因になることがある。木材は品物を見て買うということが原則だが、束になった木材を、一枚づつばらして確認するということは、現場の作業としてはなかなかできない。売り手は製材のときに中身を全て見ているわけだが、買い手は表に見えている板の状態くらいしか確認できず、後は信用ベースとならざるをえない。質の悪い木材業者なら、見えるところに良い板を置き、悪い板は束の中に押し込んでおくというようなことをする可能性もある。木工家が工房に材を運び、使い始めたらひどいのがボロボロ出て来たなどということも、有り得ない話ではない。
米国は広葉樹の流通が日本と比べてはるかに盛んなので、木材の等級付けの制度が確立している。板となった材木を取り引きする際に、一枚ごとに品質のランク付けがされている。私が聞いたのはFASグレーディングと呼ばれる等級付けである。板の両面に全く節が無い最上級ものをセレクトという。それ以下のものは、片面に節が面積当たり何個有るかとか、両面に何個あるかとかでランク付けされる。木材を束で買う場合も、どの等級の材で揃えてあるか、はっきり表示している。このようなシステムであれば、安心して買うことができる。国内でも、建築用の針葉樹材に関しては、品質等級の規格があるようだが、広葉樹については聞いたことがない。どこかには存在するのかも知れないが、制度として運用されているのを見たことはない。
私がまだ駆け出しだったころ、ある先達から「材木屋の番頭には中元、歳暮を欠かしてはいけない」と聞かされたことがある。そのようにケアすることで、良い材木を回してくれるようになると言うのである。そこまでするかは別として、確かに材木屋と仲良くし、良好な関係を保つことは大切であろう。馴染みの材木屋と喧嘩別れするようなことは、木工家にとって死活問題になりかねないのである。
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