不思議な組み手の箱


 ここでひとつ、特別に珍しい物をお目にかけよう。写真の小箱がそれである。一見何の変哲も無い箱に見えるが、四隅の組手に注目して頂きたい。良く見てみると、なんとも不思議な構造になっていることに気が付くだろう。

 以前ある展示会にこの箱を出品したことがある。来場者の中の男性の一人が、この箱の前に立って30分ほど動かなかった。そして最後に「うーん、わたしにはこの組手の仕組みが分からない」と言われた。後で聞くと、デザイン学会の著名な先生だということであった。

 また、東京銀座のデパートで展示会をしたときのこと。展示会が終わって半年ほど経った頃、一人の男性から電話がかかってきた。展示会でこの箱を見て、組手の構造を不思議に思ったのだが、その後考えれば考えるほど謎が深まった。どうしても気が納まらないので、工房へ行ってもう一度見せてもらえないか、と言うのである。私は了解し、その人は千葉から車でやって来た。せっかく遠くから来てくれたのだから、私は箱を見せただけでなく、分解模型を示して、組手の仕組みを説明した。その人は、「これで落ち着いて眠れる」と言って、帰って行った。

 何が不思議なのかと言うと、この箱はどのようにして組み立てられたのか、見ても分からないのである。4枚の板を組合わせて箱にしてあるのだが、それらの板をどのように指したり入れたりすれば組み立てられるのか理解できない。現物を目の前にしてもなお、この箱が存在することは不可能であるように感じられるのである。

 実はこの箱、江戸指物「国政流」の秘伝の技である「逆ほぞ」を使って組まれている。「逆ほぞ」にもいろいろ種類があり、その内のこれは「水の逆」という技法である。組手の模様を横にして見れば、漢字の水という字に見える。それでこの名前が付いていると聞いた。江戸指物では、長火鉢を組み立てるのによく使われたそうである。火鉢は火事の原因になり易い。そこで縁起をかついで、水の名が付いた組手を使ったとのことである。

 この組手、見た目に面白いだけではない。その構造を力学的に検証してみると、実に優れた強度を持っていることが分かる。ドライで組んでも、つまり接着剤を入れずに組んでも、一度組んだら分解することが出来ないくらい、頑丈な構造なのである。その意味でも長火鉢に使われたことがうなずける。火鉢は内部で火を焚くので、温度の条件が厳しい。火鉢の外側を木で作る場合には、板が熱で反ったり曲ったりする恐れがあるので、よほど頑丈な作りでないと壊れてしまう。この組手は、強度の大きさの点からも、うってつけなのである。

 私が開業当時からお世話になっている、工業デザイナーの阿部蔵之氏という方は、13代続いた国政流の末裔である。阿部氏は父親まで続いた木工流派の技を世間に紹介しようと思い立ち、1985年に東京のギャラリーで展示会を行なった。曰く「門外不出の秘伝とされてきた13代国政流変形ほぞ・逆ほぞの組手系譜を公開」。この展示会は、私が脱サラする前の出来事だったから、もちろん私は見ていない。その後、阿部氏と知り合ってから、その展示会のポスターをいただいた。ポスターにはイラストで描かれた36種類の組手の技法が、一面にちりばめられていた。

 私は何年もの間、自分の工房の壁に張られたそのポスターを見ながら、これは何かの冗談、まやかしのようなものだろうと、勝手に解釈していた。このような組手は、物理的に不可能だと感じていたからである。こんなものは出来るはずがないから、恐らくトリックやマジックの世界の物だろうと考えていた。本当は純粋に木工の世界の物であり、真面目で真剣な伝統技能の世界の物であるということに、気が付かなかったのである。

 それがある日ある時、ふとしたきっかけで、とある木工技術の連想から、この組手の仕組みに気が付いた。それを発見した時の驚きは、まさに鳥肌が立つようであった。私はやりかけていた仕事を放り出し、発見した技を実際に試してみた。こうして出来上がったのが、この小箱である。

 この小箱に使われている「水の逆」は、例のポスターで見ると、国政流36種類の技の中の19番目である。つまり、あまり難しくない部類なのである。私がこの組手を選んだ理由は、機械加工で作れると判断したからであった。試作の段階では、手作業で組手を加工してみた。しかし、このように極端に高い精度を要求される加工は、相当の訓練を積まない限り無理であることが分かり、諦めた。結局機械の精度に大幅に頼って作ったのが、この小箱である。たまたまこの組手は機械で作れたが、国政流の組手の中には、手加工でしか作れないものも多い。それも当然である。江戸時代には木工機械など無かったのだから。

 実用的な強度の大きさと、力学的に秀逸な機能を有し、同時に見た目の面白さ、粋とも言ってよい美しさを兼ね備えた組手が、「国政流」の組手である。しかも三次元的に複雑な構造を持った、優れたデザインでもある。このようなものが江戸時代に出現したというのは、誠に凄いことだと思う。しかも、これは構造や意匠のアイデアだけでなく、それを実現するための巧みな技能と、優れた道具が、その当時存在したことを意味している。どれが欠けても型にはならないのである。言わば、総合力を要求される世界である。先人の知恵と工夫と技能の高さには、大きな驚きを禁じ得ない。

 私はこの小箱が出来上がってから阿部氏にお見せした。そして、これを商品として使って良いかと訊ねた。私としては、これで一儲けしようと考えたわけではない。ただ、このように優れた木工文化を、例えモデル的な品物を通してでも、世の中に知らしめることができれば、意義のあることではないかと思ったのである。それに対して阿部氏は「止めといた方が良いと思う」と言われた。「止めろ」と強制しないところが微妙である。氏の意見では、私が作ったものは、国政流に似て非なるものである。見た目には似ているが、本質的なところでは何も受け継いでいない。そんなものを商品としては、恥ずかしいだろうと言うのである。「登山というものは、足で登るから意味がある。ヘリコプターで山頂に降り立っても、何の意味もないだろう」とも言われた。

 氏の意見に、私は一言も無かった。そして、この組手を商品化することは諦めた。私を改心させたものは、阿部氏の意見というよりは、国政流そのものだったと思う。実は、氏に相談する前から、胸の中にはもやもやしたものが有ったのだ。そのもやもやを、氏はずばりと言い当てた。伝統的に脈々と続いて来たものには、ある種の力がある。逆らいようのない迫力というものがあり、また品格というものがある。その力と品格の大きさに気づかない者は、軽く見てぞんざいに扱うかも知れない。しかし、ひとたびその本質に触れた者は、恐れ多いものを感じ、自らの小ささを知る。国政流の偉大さが、私にはひしひしと感じられた。知れば知るほど、理解すれば理解するほど、それは大きく重くなった。能率と効率を優先する現代的センスで扱おうとしたことが恥じられた。
  
 私には残念ながら、伝統的な手作業で国政流を再現することはできなかった。しかし、その素晴らしさを体感することはできた。自分一人で感じたそのささやかな喜びをもって、この話は終わりとした。

 

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