木は太陽エネルギーの缶詰


 木は主として炭素、水素、酸素から出来ている。火を付ければ、木は燃える。木が燃えるとは、どういうことだろう。

 炭素が、それ自体燃える物質であるということは、誰でも知っている。バーベキューの燃料として活躍する炭はほとんど炭素そのものだ。ダイヤモンドも炭素の固まりであり、火を付ければ燃えるらしい。水素も、燃える物質である。ある比率で酸素と混ぜ、火を付ければ爆発的に燃える。酸素は、それ自体燃える物質ではないが、逆に他の物を燃やす役割を持つ。そのように、燃える物、燃やす物が組み合わさって出来ている木材なのだから、燃えるのは当たり前だと思うかも知れない。確かに当たり前なのだが、もう少し突っ込んで考えると、それが結構おもしろい。

 炭素は燃えると言っても、炭素がもともと地球上に燃える形で存在していたわけではない。太古の昔、まだ植物が地球上に誕生する前は、炭素は二酸化炭素の形でのみ存在していた。二酸化炭素は燃えない物質である。いや、燃えることによって発生する物質、つまり燃え残りである。水素も、自然の中に単独で存在することはほとんど無い。存在したとしても、高熱下で酸素に触れればすぐに燃えて水蒸気に変わる。太古の地球は、そのような二酸化炭素と水蒸気によって覆われていたのである。

 では、燃える物質とは、どこからどのようにして来たのだろうか。それは、植物の出現により、その光合成によって始めて地球上にもたらされたのである。植物は、二酸化炭素を炭水化物に変え、自らの体を作る。不燃物から可燃物を作り出すのである。その物質変化のプロセスが光合成であり、それに寄与するのが太陽エネルギーなのである。

 炭水化物は燃えて熱を発生する。そして、二酸化炭素と水蒸気に変わる。つまり、炭水化物は燃えて二酸化炭素に変る際に、エネルギーを発生する。と言うことは、その逆の現象を起こそうとするなら、エネルギーを投入しなければならない。二酸化炭素から炭水化物を作るにはエネルギーが必要なのである。植物が光合成を遂行する際に太陽エネルギーを必要とする理由は、物理的に見ればこのような説明となる。

 地球上の、植物以外の燃える物質も、もとはと言えば植物から作られている。動物の体も燃える物質であるが、これは植物を食することによって生成されるものである。動物のみを食する動物もある。生態学で言う食物連鎖のピラミッドの上の方に位置する生物である。しかし、その肉食動物も、連鎖をたどれば草食動物につながっている。地面の中から取り出される石油や石炭、天然ガスにしても、もとは植物、あるいはプランクトンである。プラスチックなどの化学物質は燃えるが、これも石油などの化石燃料から作られているものであり、もとをたどれば植物の光合成によって太陽エネルギーが固定されたものである。

 その意味では、地球上の全ての燃える物は、太陽エネルギーが姿を変えた物だと言える。その変換に唯一関与しているのが、植物である。地球上に植物が無ければ、太陽光線は地球に当っても、反射して宇宙へ飛散するだけで、地表面に留まらない。植物があるから、太陽エネルギーの一部を、地球の表面に固定できるのである。

 植物が蓄えた太陽エネルギーは、燃えて熱や光に変わるだけではない。食物として他の生物に摂取されて、その生物の生きるエネルギー源にもなる。つまり、植物の光合成は、全ての生物の生命活動の基本になっている。そのことを考えれば、地球上の全ての生命活動は、太陽エネルギーが姿を変えた物だとも言える。古今東西、太陽を神として崇拝する太陽神信仰が存在したが、科学的根拠から見ても、それはうなずける事なのである。

 地球上のエネルギーは、人が利用できるものもできないものも、ほぼ全て太陽のエネルギーに因っている。火力発電は、化石燃料を燃やしているわけだから、元を辿れば太陽エネルギーだ。水力発電は水の落差を利用するものだが、水を高いところへ移動させるのは、つまり蒸発させるのは、太陽光の熱である。風力発電だって、風が生じる原因は太陽光の熱による空気の対流である。最近注目されている燃料電池のような、ハイテク発電システムにしても、発電に必要な原料を得るには別のエネルギー源が必要である。そのエネルギー源をたどれば、結局太陽のエネルギーが根本的な役割を演じている。

 地熱発電のエネルギーは、現在の太陽の恩恵は受けていないが、もともと太陽系の発生の時点で地球に与えられた、持参金のようなエネルギーである。地球の大きさを1ケのリンゴに例えると、表皮の厚さはおおむね地殻の厚さに相当し、それを剥けば、表面温度が1500〜3000度の高熱の球が現れる。地球とは、宇宙に浮かんでいる、薄皮に包まれた灼熱の球なのである。しかし、そのエネルギーを地球上の広い範囲で自由自在に活用するのは難しい。

 唯一太陽エネルギーと関係ないのは、原子力エネルギーである。これは、核反応という、太陽の内部で行なわれている現象、つまり太陽エネルギーの源となっている現象を、地球上で人為的に発生させるものである。地球の回りには、磁場と大気の層があり、太陽から飛んで来る、生命体にとって有害な放射線を防いでくれている。そのバリヤーの内側で核反応を行なうのだから、原子力エネルギーというのは、危険極まりないものではある。

 太陽エネルギーは、常時膨大な量のエネルギーを地球上にもたらすが、そのエネルギーは言わば希薄なエネルギーである。そのままでは、高い温度を取り出すことが出来ない種類のエネルギーである。人間の生活に役立つ高温、物を焼いたり、湯を湧かしたりするのに必要な高温を、生の太陽光線に期待することはできない。太陽の光をレンズで集めれば、紙に火が付くくらいの高温になるが、レンズでヤカン一杯の水を沸騰させるのは、現実的ではない。そのように希薄な太陽エネルギーを、樹は光合成によって凝縮し、物質化する。燃えれば高熱を発生する物質を作り出すのである。人はそれを貯蔵して、好きな時に利用できる。太陽が出ていない曇りや雨の日でも、また日が沈んだ後の夜間でも、人は木を燃やしてエネルギーを取りだせるのだ。


 木の中にどれくらいの量の太陽エネルギーが封じ込められているのか。樹種によっても異なるが、家具に使う広葉樹なら、おおむね1キログラム当り4000キロカロリー程度であろう。つまり、1キログラムの木材を燃やせば、これだけの熱が発生するということだ。

 さて、それでは、木材1キログラムを生成するのに、どれほどの太陽エネルギーが使われたかのだろうか。ちよっと試算をしてみた。

 地上に降り注ぐ太陽光線のエネルギーの値は決まっている。太陽定数と言う。それに樹の葉の面積の合計を掛け、樹が成長する年数を掛ければ、樹が成長するまでに葉が太陽から受けたエネルギーが計算される。そのエネルギーを、樹の成長量で割れば、求める数値が出るというわけだ。かなり乱暴な仮定による計算だが、私の計算結果では1キログラム当り6百万キロカロリーとなった。換算すると、およそ7000キロワット時となる。1000世帯が使う電力7時間ぶんのエネルギーである。これほど大きなエネルギーを太陽から受けて始めて、木材1キログラムが出来るのである。燃やせばすぐに灰になってしまう木材でも、それが作られるには大変なエネルギーが使われていることが、お分かりいただけただろうか。

 木は、太陽エネルギーを閉じ込めた缶詰だと言える。しかも、かなり高価な缶詰である。私の試算によれば、太陽エネルギーが木材の中に固定されるエネルギー転換効率は、0.07パーセントでしかない。最新の火力発電所の熱効率が、40パーセントを越える値であることを考えると、自然界の営みというものは、とても緩慢である。しかし、これが石油の場合、ある資料によると、エネルギー転換効率はなんと1億分の1パーセントしかないということである。しかも、石油は使ってしまえばそれで終わりの、有限資源である。それに比べれば、木は人類と共存しながら再生できる資源である。

 生物はエネルギーを取り込まないと生きて行けない。人間もしかり。私たち人間が、未来永劫に渡って子孫を残したいと願うなら、とりあえず無限にある太陽エネルギーを利用するしかない。そのためには、地味ではあるが、樹木の働きの助けを借りなければならないのである。とかく人間は何でも出来るような錯角を抱きがちである。しかし、本質的に突き詰めて考えれば、木と共に生きるということが、人間に残された唯一の道であることは、疑いようのない真実である。

 

(Copy Right OTAKE 2003)


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