椅子の難しさ


 家具を作っている木工家なら、誰もがオリジナルの椅子を作りたいと願うものである。椅子をデザインし、製作するということは、大変魅力的なことである。椅子のように、直接人体をあずける家具を人体系家具と呼ぶ。人の体を受け止め、人の作業の助けとなり、また休息を与える家具である。重要なだけに、作りがいのある家具だと言える。また、椅子には立体造形としての面白さや、機能美としての面白さがある。サイズも手頃であり、持ち運びし易く、人目に触れ易い。だから、家具作家にとって、椅子は創造性をアピールする上で、格好のアイテムだと言える。

 椅子は手間のかかる品物である。そのわりには値段が取れない。日本人の頭の中には、「椅子は安いもの」という先入観があるのではなかろうか。ダイニングセットとして買う場合には、最低四脚は揃えなければならないから、単価の四倍で利いてくる。だから、高過ぎると売れない。従って、家具メーカーは低めに価格を設定する。その点、テーブルは一ケで済むから、ある程度高くても買い手側に抵抗感が少ない。メーカーとしては、椅子で損をして、テーブルで儲けるという戦略もあり得るのである。かくして、巷に安価な椅子が溢れることとなる。

 家具作家にとって、椅子は価格との闘いである。椅子は安いものという観念が世の中に有る限り、価格は頭の痛い問題である。椅子の文化の歴史が長い欧米では、良い椅子は高いものという認識がある。一脚30万円の椅子も、珍しくはない。それで座り心地や使い勝手が良く、一生を安楽に過ごせるなら、安いものだと彼等は考える。日本ではまだそういう認識が育っていない。家具センターなどで売っている、安価で作りが単純な椅子でも、一応座ることはできる。しかも、日本の工業技術は優れているから、大量生産の椅子でも簡単には壊れない。使えて、壊れなければ、それで十分だという意識が、一般的ではないかと思う。日本人にとっては、椅子はまだその程度のレベルの物でしかないのである。

 自分で納得のいく椅子を作りたいというのは、家具作家の願望ではある。しかし、思い通りに作るとなると、加速度的に手間が掛かって来るのが椅子である。手間が掛かれば価格に跳ね返り、極端な金額になってしまう。それでは商品として成り立たない。新しい椅子の着想も、価格の面で断念せざるを得ないほど、椅子作りは価格との闘いなのである。

 価格を低く押さえるために、簡単で作り易い構造にすることもできる。しかし、そのようなことでは、家具センターに並んでいる大量生産の椅子と同じになってしまい、一品手づくりの意味は無くなってしまう。大量生産の椅子は、実に良く出来ている。良くという意味は、コストダウンのアイデアが網羅されているという意味である。私のような仕事の者が、家具センターに並んでいる椅子を見れば、各々の椅子にどのようなコストダウンの工夫が凝らされているか、手に取るように分かる。もちろん、大量生産システムだから可能なコストダウンも有る。手仕事で椅子を作る者が、そのような大量生産の椅子と価格をめぐって張り合っても仕方ない。

 自分が作り出したい椅子のイメージというものは、自由に頭の中に描くことができる。しかし大切なのは、そのイメージがどれほど秀逸かということと同じくらい、あるいはそれ以上に、どのようにしたら安く作れるかということである。安く作るというのは、安物を作るという意味ではない。品質に見合った価格をどれくらい追求するか、簡単に言えばどれくらいお客にとって魅力的な金額に近付けるかということである。

 写真の椅子は、その意味では随分工夫を凝らした。一時期流行った言葉であるが、「自分自信を褒めてやりたい」と言いたくなるような椅子である。

 私の場合、新しく椅子を作る手順は、おおむね以下の通りである。

 まず、形のイメージをデッサンする。この一番最初の段階で、椅子のコンセプトが決まる。大きさ、機能、制作費など、様々な要素を考慮に入れる。次にそのデッサンに基づいて、三面図を描く。三面図というのは、一つの品物について、正面、側面、平面の三方向の画を備えた図面のことである。この段階では、小さい図面で良い。いきなり大きな図面を描くと、訂正するのが大変だからである。どうせ一発で椅子の形が決まるはずはないので、出だしは使い易いサイズの図面から始めるのである。

 その三面図に基づいて、五分の一のモデルを作る。図面の段階では良い形が出来たと思っても、立体にしてみるとおかしな点が見えて来る。そこでやり直す。つまり図面を書き直し、モデルを作り直すのである。これを納得が行くまで繰り返す。

 図面を描かずに、いきなりモデルを作る木工家もいる。私の場合は、座面の高さや背の傾き角度など、数値で押さえないといけない部分を重要視しているので、図面を先に描く。いずれ最終的には原寸図を描かなければならないので、最初から図面がらみで進めた方が都合が良い。いきなり立体を作り、後になってそれを図面の上に平面化するのは、かえって手間がかかるように思う。

 五分の一のモデルで納得が行ったら、次は原寸化の作業である。まず、モデルの元となった図面を拡大して描き直し、原寸図を作る。原寸図というのは、実物の製品と同じ大きさの図面のことである。原寸図が出来上がったら、それを写し取って型紙を作る。そして、型紙を元にして部材を加工し、原寸大の試作品を作る。五分の一のモデルで満足のいく形だったとしても、原寸大に拡大すると、おかしな点が現れることがある。スケールファクターとも言うべきものがあるのだ。サイズを変えると、見え方が違って来るのである。具合の悪い点が有れば、やり直す。原寸図を訂正し、型紙を取り直し、試作品を作り直すのである。このようなやり直しの作業を、納得が行くまで繰り返す。

 試作品では、形の検討と平行して使用感のチェックも行なう。つまり、座り心地のチェックである。椅子の生命としては、こちらの方が外観の良さよりも大切である。しかし、こればかりは、小さいモデルではチェック出来ない。実際の大きさの試作品に座ってみて、初めて確認できることなのである。ところが、一発で座り心地が良いことは、まず有り得ない。この方面からも、やり直しが必要となる。

 座り心地と外観と、この両面から検討を加え、やり直しを繰り返し、最終的に図面が確定する。ついに一つの椅子の設計が完了したのである。その瞬間は、まことに嬉しいものである。長い道のりを歩き通したような、満ち足りた感情が沸き起こる。しかし、その椅子が将来たくさん売れて、これまでの苦労に報いてくれる保証は、どこにも無い。

 このようなプロセスを経て、頭の中に椅子のイメージが浮かんでから、設計が完了するまで、一ケ月以上かかる。計画の段階だけで、こうである。製作の方は、これからまた開始しなければならない。製作にも様々な問題が付きまとう。工具も工夫しなければならないし、治具(制作に必要な補助道具)も開発しなければならない。最初の一台が出来上がるまでには、まだひと山もふた山も有るのである。

 新しい椅子を作るのは、これほど大変である。だから、新しい椅子を作ってくれ、あるいはこんな形の椅子を作ってくれ、と言うような注文には、簡単には応じられない。たった一脚の椅子のために、設計だけで一ケ月もかかっては、とうてい採算が合わないからだ。逆に、その費用を全て製品に乗っけたら、お客の予算をはるかにオーバーするだろう。だから実際のところ、そういう引き合いが有った場合は、やんわりとお断りするようにしている。但し、新商品を開発するタイミングに合致した場合は、当座の採算は度外視して新規設計に挑戦することもある。そうでないと、永遠に新しいものは出来ないからだ。

 写真が出たついでに説明しておくと、この椅子は編み座である。ペーパーコードと呼ばれる紙ひもを編んで、座面を作ってある。普通、木工作家が作る椅子と言えば、一枚の板を座に使ったもの、つまり板座が多い。板座は木のボリュームも大きく、また座面のえぐりや周囲の面取りなど、木工芸的価値を見せる部分が多いので、作り手の間でとても人気が有る。私はそういう路線とは一線を画し、編み座の椅子にこだわりを持っている。木工芸品としての見栄えの良さよりも、編み座の持つメリットを取っているのである。

 編み座はソフトである。しかし、柔らか過ぎず、人の重さをしっかりと受け止める。寒い時期でも、お尻がヒヤリとしない。座ぶとんのような物を敷いたとしても、滑りにくい。重量も板座より軽い。などのメリットがある。

 編み座というものは、単に四本の棒を四角に組んで、それにひもを掛けて編めば良いというものではない。出来上がった座の座り心地を良くしようと思うなら、それなりの工夫が必要である。その工夫とは、簡単に言えば座枠となる四本の棒の位置関係と寸法である。座面の縦横の寸法、部材が成す角度の開き具合、部材のお互いの高さの差、そして部材の厚みなどがポイントとなる。これらを適切に選ぶことにより、座って心地よい面が出来るのである。私はそれを試行錯誤で覚えた。その試行錯誤がたいへんである。試作品の段階で、変更するたびに編みに出さねばならず、その都度費用がかかるのである。辛いところではあるが、こればかりは予測のつかないことなので、やむをえない。複雑な三次元的な問題なので、設計図面で予め確認することはほぼ不可能だと言える。やはり試行錯誤に委ねるしか無いのである。

 ちなみに、この座を編む作業は、金沢知之さんという専門の方にお願いしている。編むだけなら私自身でも出来なくはないが、このように上手にはいかない。氏の編みの技術はは、たいへん優れている。いろいろ工夫しているようで、張りの強さも耐久性も、素晴らしく高い。外国製の椅子の編み直しなども引き受けているが、氏が編んだ方がオリジナルよりも具合が良いと言われるくらいである。

 この椅子は、脚の下部を連結する強度部材、ストレッチャーと呼ばれる部材が無い。それが無いから、スッキリとした雰囲気になっている。しかも、部材が少なければ、その分だけ手間がかからないから、制作費を低く押さえられる。この椅子では、ストレッチャーが無いことによる強度の不安を、アームと背板で補っている。アームが無ければ、ストレッチャーは絶対に必要である。だから、このアームは、脚の上部に付いているストレッチャーのようなものである。手を載せて休ませるという安楽効果と、強度部材としての役割の二つを担っているのが、このアームである。

 全ての部材は、ホゾでがっちりと組まれている。なるべくホゾの寸法を大きく取れるように、接続ポイントは膨らませてある。また、膨らませてあるから、滑らかな曲線で結ぶことが可能になる。この椅子の外見的特徴の一つは、滑らかに繋がった、生物のような曲線と曲面であるが、それは強度的要請にも合致しているのである。
  
 このようにして出来上がった椅子であるが、言わば強度的に際どい設計になっているように感じ、不安であった。そこで、実際に自分で使ってみて、強度を確認することにした。木工品は、使用する環境で四シーズン、つまり一年間使って問題無ければ、まず大丈夫とされる。この椅子も、取りあえず一年間は試してみようと思った。私の体重は、その当時85キロくらいあった。その私が座って大丈夫なら、商品として世に出しても問題ないだろう。

 一年間使っても、ガタの一つも来なかった。全く頑丈だったのである。しかし、強度が確認されたことは、一つのハードルを越えたに過ぎない。まだ座り心地とか、形態的な問題とかは残されていたのである。それらを完全にクリヤーするのに、また一年間かかった。こうして、設計開始から製品の完成まで、二年間かかったのである。


(Copy Right OTAKE 2003)


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