ノック・オン・ウッド


 欧米には、木を叩くと良いことがあるという言い伝えがある。Knock on wood と言う。地面から生えている樹木でも良いし、加工された木工品でも良い。それをコンコンと叩くと、その中に潜んでいる精霊が、不吉なこと、忌わしいことを退け、良いことをもたらしてくれるというわけだ。

 我が家では、まだ子供が小さかった頃、この習慣を取り入れた。すなわち、他人の悪口を言ったり、世の中の不幸を笑ったり、罰が当たりそうなことをしてしまった場合に、身近にある木をコンコンと叩くのである。家族で食事をしている時でも、誰かが不吉なことを口走ると、気がついた者が「コンコンしなさい」と言って注意を促す。すると、不吉な発言した者はあわてて木で作られた物、テーブルなどを叩くという習慣である。

 ブラック・ジョークとか、皮肉っぽい話が好きな我が家庭では、頻繁に木を叩く音が聞こえるようになった。サッカーやバスケットボールのレフェリーが、ファールがあったときに「ピー」と笛を吹くように、誰かが「コンコン!」と叫べば会話は中断され、指摘された者は反省の気持ちを込めて木を叩くのである。そのうち「この話はコンコンものだぜ」とか、「これはちょっとコンコンしときましょ」なとどいう言い方もされるようになった。我が家のテーブルは丈夫で良かったなどというジョークも飛び出した。

 ほんの冗談のつもりで始めたことだが、いまだにその習慣は我が家に残っている。不思議なもので、木を叩くと、何だか救われたような気持ちになる。子供が他人の悪口を言ったとき、親は「そんなこと言うものではありません」などと言う。確かにそんな悪口は良く無いと、子供自身も思うだろう。しかし、どうして悪いのかと突き詰めると、けっこう話は難しくなる。「謝りなさい」などと言われても、誰に対して何を謝ればよいのか。

 善悪の判断は、人間が作っているものだから、その本質を疑いだすと、きりがない。それは、人間社会のしくみに関わることだ。その点、木を叩くという行為は、人間社会とは無縁である。相手は木の精なのだから、何のわだかまりも無く、すっと木を叩くことができる。すると、何だか救われた気分になるのである。

 一時期流行った「マーフィーの法則」に、こんなものがあった。

 「幸せを願って木を叩こうとしたとき、身の回りのものが金属とプラスチックだけでできていることに気がつく」

                                                                              (Copy Right OTAKE 2003)                                               

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