絶対に、すぐにでも結婚をしたいと云っていた友人が、公立高校の正教員になった途端、以前のような焦りがなくなった、と言い出した。また、転職をした前の会社の後輩は、いまのまま一生働いていく自信がないから、いつか結婚したいと思っている、と言った。
どちらのことばも、たやすく納得はできるもものの、私を居心地の悪い気持ちにさせる。女性にとって、結婚は、経済的な意味合いがいまだに非常に重い。
専業主婦を選んだ人が自立していないとはいいたくない。自立には経済的な側面以外にも多くの要素があるし、結婚という形式によって、それがない場合よりもよい精神状態を得,安定した生活が可能になるひとも、厳然としているから。
とはいうものの、経済的に自立をしていない場合に精神的に自立するのは、その逆よりはるかに難しいのかもしれない。子供のころを思い出せば明瞭に理解できる。親に全面的に依存しきった状態であるとき、何ができたろうか?
子供のころはそれでいい。子を無条件に愛するのが生物の本能だし、法律的にも親は子供を養育する責任がある。しかし、大人同士の関係では一方的な依存は許されず、give and take の関係がどこかで要請されるようになる。それの一形態が、経済的な依存を、家庭内での従属という形で贖うことだといえる・・・それが性に合う人はいいんだけどね。
「労働力の再生産」という表現は、家庭(特に核家族)というユニットで扱うとどこかいかがわしい。そもそも家庭がいつから安息の場になったのかしら?
|