働くのはなんのため?
 なんにつけ、「誰かのためにどうこうする」というのは少々うさんくさい。それが仕事ともなればますます。生活の資を得るため働くのがまず第一にあって、そのあと、満足できる内容か、やりたいことをかなえているのか、労働に見合った対価を得ているかという判断が続く。

 自分のためでなければ働くべきではない、と思う。誰かのためにやってやっているんだという意識で働いている人に、いい仕事ができるとはとうてい考えられない。行動の基準が外部にある人には、自己責任という意識が希薄で、自らの足元を顧みることがないから、傲慢になる傾向があるのではないだろうか?

 ということで、自分にプラスになる職場でなくなった時点で、転職をするべきだ。なにがプラスなのか、は人によって異なるから一概にはいえない。安定した収入であったり、通勤の利便さであったり、良好な人間関係であったり、やり甲斐であったり、いろいろだ。逆に考えれば、マイナスがこむように感じられたら、転職時期。精神的に負のほうこうに向かうとき、いい仕事はできない。悪い仕事は全方位にむかって悪影響を及ぼすわけだから、問題は個人レベルにとどまらない。適材適所の要諦だね。

 多くのお父さんは妻子のため家庭のため働いているのでしょうか?一部本当にそういう人もいるかもしれないけど、ホントのところ、妻子を養うということをしている自分に満足だからではないのかしら?そうでなければわざわざ結婚なんてしないと思うけど。

 

2004.04.13
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