ピカソ、葛飾北斎、モーツアルト、谷崎潤一郎、ニュートン、アインシュタイン、ジョン・ナッシュ、織田信長、始皇帝・・・
どの人も生活者としては問題ありと伝えられる人たちよね。
天才って、圧倒的で継続的なPowerの代名詞だと思う。そのpowerが向かう先が芸術であれ学問であれ政治であれ、それまでの常識の地平の向こう側まで突き進んでしまう。当然そのときどきの社会通念から逸脱するから、社会に相容れないことが多い。ちなみに、それが原因となって、自ら身を持ち崩したり、その結果病気になって早死にしたりするのは、私からするとちゃんとした天才といえない。
天才は死ぬまで自分自身を超えていく人のこと。決して自足しない人のこと。それができる精神力と、尽きせぬ想像力を持った人のこと。凡人はどこかで自分の限界を引き、保身に身をやつすようになる。もちろんそうしたほうが楽だし得することが多いから。
なあんて、抽象的なことずらずら書いたけど、天才になりたいなんて、なんのてらいもなく言えるのは凄いこどだ。
大概大人になるまでの期間に、子供のころの全能感は修正されちゃう。それは勉強とか運動とか習い事とかでの挫折を通じてだったり、社会の中の序列を認めてのことだったり、大失恋をしたことであったり、自分を客観的に見据える機会を持つことで、自意識が相対化されるからだと思う。で、自意識の相対化ってのは、端的には他者に出会うこと。普通は自己を脅かす体験が他者体験となるんだけども、天才ってのはその他者を自分自身の中に抱えることになる。いつもいつも自分で自分がわからない。もう1人の自分が自分を脅かし、否定しにかかる。それと絶えず戦わなければならない。一種の精神分裂だね(ジョン・ナッシュは分裂病で苦しんでいたよね)。
内なる他者の恐ろしい攻撃と戦って、自己を高めていけた人は「天才」と賞賛され、攻撃に耐え切れなかった人は単なる気違いとして病院に収容されたり、刑務所に入ったりする。
私はあなたはなしていると楽しい。いろいろ忘れてたこと、思い出させてくれるから。Revolutionしよう。精神論でなくロマンティシズムでなく。
天才の人生が楽しかったか、楽しくなかったか本人じゃなきゃわからないのだろうけど、どんなにつらくても人生を楽しめるひとが天才の天才じゃないかしら。
だから、好きなこと、やるのがいいと思うよ。せっかく天才になる意欲があるんだから、あとはどうやって楽しくしてくかじゃない。
人間の脳は、昨日と今日とで細胞レベルでいえば物理的にが変化しているはずの固体の肉体を一貫して変らぬ「自己」と認識すると、養老孟志が「バカの壁」で言っていたと思うけど、それによると自我って脳のことなのよね。また、複数の固体が共同作業をして、分業をしていく際に、それぞれの固体のアイデンティティというのがちゃんとしていたほうが都合がいい。経済的な効率として。
天才の脳は、それを無視するのね。いつもアイデンティティが揺らいでるんだから、そんなに不経済なことはない。
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