近頃、とってもいやなテレビCMがある。
ひとつは、家庭教師のトライ、もうひとつは通信添削のZ会。いやである理由はどちらもに共通していて、自分自身の選択権のまだない子供の人生を「比較」し、自社の商品に関わる片方に絶対的価値を与えているから。
家庭教師のトライでは、それは「塾通いをしている小学生は寂しい思いをしてかわいそう」であり、Z会のそれは、小学生から準備をしなければ、少数の所謂「一流大学」に入ることは覚束ない、というもの。うがった見方をすれば、Z会をやらないで受験を向かえている人はもはや手遅れだ、というメッセージに。
べつにそういったポリシーを会社として持っていてもいいのでしょうけど、CMというのは、不特定多数の広い年齢層が見るものだ。
塾通いをしてい、親が家庭教師を雇っているわけではない子に「かわいそう」という価値を付与するのは失礼ではないかしら?それぞれの家庭にはそれぞれの事情がある。(まあ、なによりいやなのは、「普段はコンビニで夕食」とか「お母さんのご飯は好きだ」とかいう子供に「でも、期待に応えなきゃ」とまで、たどたどしい口調で言わせているところなんだが。「期待に応える」手段としては、家庭教師でもいいわけですものね・・・)
「小学生からZ会〜」と一輪車に乗って「スイスイ」進む小学生に、学ランにハチマキ、牛乳瓶の底眼鏡をした受験生を取り合わせる必要はまったくないのではないかしら? Z会に関しては、多分私の年代で会員だった人が親になって、小学生の子がいる、というのを想定しているのが透けて見える。誰もがZ会を知っている訳ではなかったしね。
自分の子供が人より有利な地位にたつことを望まない親はいないでしょう。ニンゲンは根本的にGreedyだ。でも、それを抑えるのが文化であり、礼儀であったのだと思うのだけど。
------------
その後、Z会のCMは少し変更された。一輪車小学生の集団にとりまかれ、面食らう学ラン受験生の表現がソフトになっていた。クレームが相当あったのでしょうね。
|