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ベルリンの壁が崩壊するなど
考えられなかった頃


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こちらの写真は、1986年に撮影した東ベルリン側からのブランデンブルク門です。
門の向こうに見える壁の向こうに無人地帯があり、その向こうに西側から見える壁があります。
東ベルリンのテレビ塔 東ベルリンにあるテレビ塔(高さ365m)。
何でも東ドイツの威信をかけてつくったんだそーです。(西側には普通にあるので、プライドをかけたのか!?)
上って見ると意外にいい景色です。(特に壁がなくなってからは・・・)

東ドイツの時代の建物はとにかく灰色一色!!という感じで、街全体がグレーのイメージ。

この写真に写っている建物は違うので残念ですが、少しでも明るくしようとのコトで、建物に絵を書いていたりしたそーな。

撮影した日はたまたま天気がよかったので、そーでもないよーに思えますが、どんよりと曇っている日に街を見ると、暗さがよぉーくわかりました。
人がとにかくいない! 当時この周辺にいるののは観光客(と言ってもそんなにたくさんはいない)ばかりで、現地人は殆ど見かけませんでした。
たまーに見かけて、道を尋ねても逃げられてしまって困った覚えがあります。



東ベルリンから西ベルリンに行く切符
当時、西ドイツから西ベルリンに行くには、イヤでも東ドイツを一度通過しなければなりませんでした。

これは、列車で通過した時にくれるビザ。

東に入るときに兵隊さんがわんさか乗ってきて、重苦しい雰囲気の中、延々時間を食って貰った覚えがあります。

左上の写真の右下にDDR(ドイツ民主共和国、つまり東ドイツ)の判子があり、写真ではちょいと小さくてわかり辛いのですが、列車で入った為か、列車のマークが可愛らしくくっついているのが妙に似合わない因みに!


因みに東ベルリンへ入国する他の手段としては、車や電車もありました。
S-Bahnの場合、Friedrichstr.駅に検問所がありました。当時この駅は建てられた当時のままの古めかしいつくりだった為か、駅構内の検問所はよけいに暗い雰囲気に包まれていました。

延々待たされてからやっと1日ビザが取得できます。元々は一つの都市だったので、電車等の交通網は本来つながっていました。

いずれの方法で入国するにしても、当時は東ドイツへの入国ビザ代5DMと、1対1というひどい両替率で25DMを強制両替しなくてはならず、しかもそれを全て東ドイツ国内で使いきらなくてはなりませんでした(っつーか、使い切れなくても西ドイツマルクには両替してくれない)。

通貨の格差があるので、西ドイツで25DMと言うと、その気になれば、あっという間に使い切れますが、東ドイツでの25DMは結構一苦労(ある意味ちょっと金持ち気分!?)です。例えば外国人しか行かないような博物館でも入場料は50pf、外国人専用のレストランに入って散々贅沢して食べても7DM。
食事はともかくとして、コーラが死ぬほどがまずかった覚えがあります・・・(当たり前っつっちゃー当たり前)。でもあるとは思わず、かなりびっくり。

こーやって、とにかく外貨の獲得に勤しんでいたんでしょうね。きっと。

車で入る場合も勿論延々待たされます。入るときはまだいいのですが、東ドイツを出る時が特に厳しく、車体の下に巨大な鏡を入れて亡命者が張り付いていないか見たり、座席の下やトランクに人が隠れていないか見たりと、念入りにチェックしていました。一度観光バスで入国・出国したことがあるのですが、背筋も凍るような緊張感につつまれていました。ワケもわからず、ドイツ語がわからない人でもドイツ語で認識番号(多分人数確認の点呼!?)とやらを強制的に言わされたり・・・。

チェックポイントチャーリー 西側連合国側の検問所である、チェックポイントチャーリー。

東西ベルリンを行き来する軍人の管理、そして外国人観光客がで東ベルリンに入るための入り口でもありました。
1986年撮影壁01 ここからは、1986年代に撮影した西側から見た壁の写真です。
よくもまぁ、これだけ落書したもんだと感心します。
イヤ、落書を通り越して、芸術ですよね。

因みに壁の上部にある丸い土管のようなモノはよじ登り防止。



1986年撮影壁03
1986年撮影壁02
1986年撮影壁04 西側に面している壁と、無人地帯、そして奥にもう1枚の壁があるのが、はっきりわかります。

この壁を隔てて、あまりも違う世界が2つ存在すると実感しました。

写真を見てもわかる通り、西側からは、ひょいと壁を乗り越えればすぐに東側に行けそうですが、東側から西側に行くのは容易でないのがよくわかります。
1986年撮影壁0
1986年撮影壁06
1986年撮影壁07
川の向こうは東ベルリン。
この川の幅だと泳げば渡れそうだと考えるのは亡命者だけではなく、東側の兵士も同じで、しっかり監視されていたようです。

しかし実際に、川を潜って渡り、亡命できた人もいるよーです。
1989年10月撮影01


ここからの写真は、1989年10月に撮影したモノです。
つまり壁が崩壊する1ヶ月前とゆーことなのですが、壁を見る限りでは、特に変わった兆しは見られません。
1989年10月撮影02
1989年10月撮影03
ブランデンブルク門前での撮影。
勿論西側からです。

先述の東側からのものと比べると、西側からだと、ブランデンブルク門のすぐ近くまで行けるのがわかります。

下の写真を見るとよくわかるのですが、この辺りの壁は特に分厚く(奥行き1.2m程)作られていました(だから崩壊したときに皆が壁の上に乗ってお祭り騒ぎをするなーんてコトが出来たワケです)。

このように場所によって、少しずつ壁の分厚さや高さは異なります。


1989年10月撮影04

壁が崩壊した頃、特にこの辺りは取り壊している現場を新聞やニュース等で紹介されました。

崩壊後の現在では、この辺りの壁は全く残っておらず、ブランデンブルク門の下を車や徒歩で自由に行き来できるようになりました。



1989年10月撮影05

西側で撮影。
壁は写っていませんが、この写真のすぐ近くにあります。

東ベルリンから壁を越えて逃亡しようとしたが見つかり、射殺されてしまったそれぞれの犠牲者名と、没年月日(不明と記されているのもあり)が、白い十字架に明記されています。

この壁越えでの死傷者は239人(東ドイツから西ドイツへの逃亡総犠牲者数は938人)とのコトですが、私個人としてはもっといるのでは?と思っています。

この中には、壁崩壊1ヶ月を切ってからの直前に亡くなった方もいらっしゃいました。


因みに1961年8月13日〜1989年11月9日までの間に、5,075人(内574人が東ドイツ軍隊関係者)が運良く逃亡に成功したそーです。
壁博物館


壁博物館の看板。

壁博物館とは、ベルリンの壁に纏わる歴史や壁崩壊前に東ベルリンからどうやって西ベルリンへ逃亡してきたか等の詳細が記されている博物館です。

地面の下を掘ったり、ハングライダーを使ったりと必死の試行錯誤が窺えます。又、実際に逃亡時に使用したモノ(例えば大量の弾痕が生々しく残っている車)等や写真も展示されています。

勿論、壁崩壊後の現在も残っています。機会があれば、是非一度行ってみてください。
(住所:Friedrichstr.43-45 料金:7€)

一見の価値あり!です。


余談ですが、コレと主旨は全く(?)違いますが、同じ様なものが韓国の統一展望台にもあります。しかしこちらは、何故かひたすら「北朝鮮ではこーんなに裕福な生活をしてるんだよーんっっ」といった北朝鮮配布のビデオを流している・・・。うーん、何故だ!?

で、展望台と言うぐらいだから、北朝鮮を遠目で一望することが可能です。で、国境地帯で、北朝鮮が「いい曲だから韓国の人間にも聴かせてやろう」として流している曲(!?)が聴けます。


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