自衛隊イラク派兵違憲訴訟法廷 意見陳述書
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イラク自衛隊派兵違憲訴訟:渡邉修孝証人尋問事項

2005年2月24日(木)13:30〜16:00(尋問時間:主尋問150分そのうちひとりに約1
時間)

 証人の渡邉修孝は自身の著書『戦場イラクからのメール』から拘束当時の様子を抜粋して
証言
第1章 拘束された3日間


主な証言のポイント


@米等占領軍の実態とそれに対するイラク人の不満が高まっていること 
@イラクで日本人・自衛隊への不信が募り続けていること
@日本人である証人が生命・身体の危険に晒されたこと  
 


第1項 ファルージャへ向かって出発するまで 

 
1 拘束されたとき、証人は元新聞記者でフリージャーナリストの安田純
平さんと一緒にいましたが、
安田さんとはいつどのように一緒に行動することになったのでしょうか。

   2度目のサマワに行って戻ってきた3月末頃に、バグダッドで知り合
って一緒にご飯を食べて、その後4月から、バグダッドに置いていた監視
センター兼住居のアパートに一緒に住むようになった。   

2 その後、取材などで安田さんと一緒に行動することが多かったのでし
ょうか。

   はい、一緒にあちこち行きました。

3 拘束された4月14日は、何をしようとしていたのでしょうか。

   米軍によって住民虐殺が行われているファルージャやその周辺の調
査、「誘拐」された高遠さんら3人の情報収集。(p12、14)

4 4月14日は、高遠さんたちはまだ解放される前でしたね。 

   はい。まだ解放されていなかった。しかしNGOなどの情報から、命の
危険は回避でき、解放のタイミングを待つ状況だった。

5 ファルージャ(手前の幹線道路付近)の取材予定は日帰りの計画でし
たか。
   はい、日帰り。

6 取材のための通訳をどのように確保しましたか。

   当初インターネットメールを使って、馴染みの通訳に連絡を取ろうとし
ました。
   しかし急な呼びかけだったこともあって、なかなか見つからず、約束
した通訳も来ないので諦めかけていたところに、ちょうどホテルの前を顔
見知りの通訳が通りかかったので、事情を話して依頼しました。(p12)

7 通訳は、すぐに引き受けてくれましたか。(p13)

   いいえ。いつも「デェヘヘ」と愛想笑いの絶えなかったイラク人通訳
が、突然まじめな顔になって、「今あそこはとても危険なので街の中には
とても入れない」と、最初は引き受けてくれませんでした。

8 どのように引き受けてもらったのですか。

   「街には入らない。手前の道路でよいので、避難してくる住民たちの
コメントと写真がとれればよい」と言って、引き受けてもらいました。(p1
3)

9 4月14日は、何時頃出発しましたか。

   通訳と待ち合わせの場所にしていたバグダッドのアンダレス・パレ
ス・ホテルをちょうど正午頃に出発しました。

10 誰と一緒に出発しましたか。

   私、安田さん、イラク人通訳、ドライバーの4人です。(p13)

11 順調にファルージャまで辿り着けましたか。

    いいえ。バグダッド市内を出るか出ないかという所、時間にし
て10分くらい走ったところで、米軍の戦車がファルージャへ向かう
道路を封鎖していたのでそれ以上西へ進むことができませんでし
た。(p17)

12 それでどうしたのですか。

    正攻法ではだめだと思って、Uターンして別の経路を探すこと
にしました。(p18)

13 別の経路でファルージャまで順調に進むことはできたました
か。

    いいえ。その道もまた米軍が装甲車を並べて阻止線を張って
いたので、進めませんでした。(p18)

14 これは,米軍が,ジャーナリスト,一般人も含めて,ファルージ
ャ方面へ行かせないようバグダッドから西へ向かう道を阻止してい
るということですか。

    はい,それは間違いありません。
  
15 証人はどうしましたか。

    私たちは一旦車を降りて、少し近づいて200メートルくらいの距離
から、装甲車を並べている米兵の様子を見てみました。(p20)

16 米兵は何かリアクションをとりましたか。

    米兵の一人が銃を構えてこちらに歩いてきました。(p20)

17 証人はどうしましたか。(p20)

    面倒なやりとりは避けたいと思って「立ち小便」の格好をして、やり
過ごした。

18 それからまた出発しましたか。

    はい。写真だけ撮って、早く取材を始めるために、また別の経路を
探して出発しました。

19 ファルージャの方から逃げてくる人々とすれ違いましたか。

    はい。ファルージャに向かって進んでいると、家財道具を車に積ん
で逃げてくる人々にだんだん多くすれ違うようになりました。(p20)

20 ファルージャの方から逃げてくる人々と何か話をしましたか。

    はい。米軍の阻止でなかなか西へ進めないので、ファルージャに
辿り着くための道を聞きました。逃げてきた人に、「この先はアリババがい
るから戻った方がいい。」と言われました。(p20)

21 それで証人は戻ったのですか。

    いいえ。先に進みました。「せっかくここまで来て何も見ないで引き
返せるか」と思いました。(p21)   

22 証人は、高遠さんたちが拘束されたということで、日本人ということで
同じように誘拐・拘束されるかもしれない、という心配はなかったのでしょ
うか。

    私たちが得ていた情報では、高遠さんたちが捕まった地域が、バ
グダッドよりかなりヨルダン寄りだったので、地域的に大丈夫だろうと思っ
ていました。しかし実は、西の方をぐるっと回り道して行ったので、かなり
近い場所まで来ていたことが後で分かったのですが。   

23 証人は、日本人であることを隠すように、とアドバイスを受けた
ことがありますか。

    はい。その日、ファルージャに向かう途中でイラク人の通訳
から、安田さんと私は、
    「もし誰かに国籍を聞かれたら中国人であると言え」とアドバ
イスされました。(p21)

24 イラク人通訳は、なぜ中国人だと言うように、と証人や安田さ
んに言ったのですか。

    私たちより前に、中国人8名くらいが人質になりましたが、中
国はイラクに軍を派遣していないということで、8人がすぐに釈放さ
れたということがあったので。

25 イラク人通訳のアドバイスを聞いて、証人はどう思っいました
か。

    どうせパスポートでばれるし、イラク人に嘘をつくのはよくな
い、と思い、そう言いました。

26 それに対してイラク人通訳は何と言いましたか。

   「しかしそうする方がベターだ」と言ってききませんでした。(p
22)

27 結局、証人は、もし国籍を聞かれたら中国人だと答えるように
しようと思ったのですか。

    そうです。


第2項 拘束  



1 その後、何が起きましたか。

  私たちの車を後ろから追い越しざまに,普通車を運転する男が、「どこ
まで行くのか」、「近くに俺の家があるから寄っていけ」と言ってきました。
(p21)

2 あとで振り返ると、これは証人らを拘束した武装勢力の一員だったと
いうことになるのですか。

    そうですね。

3 証人たちはどうしましたか。

  先を急ぐと言って断ったのですが、通訳とその男が、家の前で何か話
をして、「案内しよう」という者が別の車でやってきて先導を始めたので、
ついていくことになりました。(p22)

4 それから。

  5分くらい走ったところで、さらに突然違う車が追い越しざまに私たち
の車の前に出てきて、3,4人の男が車から降りてきて、警官のように「ど
こから来た、IDを見せろ。」と言ってきました。(p22)
  
5 証人はそのときどう思いましたか。

  そのときは、ふつうの警官かそれに類する自警団が身元確認でもして
いるのだろう、くらいにしか思っていませんでした。

6 証人は、どのように答えましたか。

  イラク人通訳のアドバイスどおり、「中国人ジャーナリストだ」と
答え、適当に日本の運転免許証などを見せました。(p22)

7 車から降りてきた男たちは、それからどうしましたか。

  通訳が話をして和やかな雰囲気になった後、「墜落した米軍のヘリコ
プターがあるので案内しよう」と言ってきました。(p22)

8 証人はそれを聞いてどう思いましたか。

  てっきり、地元の住民から取材の許可が下りたのだろうと思い込んで
嬉しくなりました。(p23)

9 安田さんや通訳も同様ですか。

  はい。通訳も嬉しそうに、覚えたての日本語で「マジデ!」とか言って
おどけていました。(p23)

10 それから男たちの車について走ったのですか。

     そうです。(p24)
 
11 それから何が起こりましたか。

  前を先導していた男の車が急にスピードを上げて車間距離をあけて、
路肩に停車しました。それで私たちの車も何だろうということで、スピード
を落として同じように路肩に停車しました。すると、停車した前の車から自
動小銃を持った男たちが4人が降りると銃口を向けて、アラビア語で何か
叫びながら近づいてきました。(p24)   

12 証人は、その瞬間どう思いましたか。      

  騙されたな、自分たちの嘘がばれたかな、などいろいろな意味で失敗
したな、と思いました。
 
13 それで証人やみなさんはどうしましたか。

  まず、イラク人ドライバーと通訳が両手を挙げながら先に車から出て、
賢明に説明しようとしていました。私と安田さんは、車の後部座席に座っ
て動かずじっとしていました。(p25)

14 男たちはどうしましたか。

  ロックのはずれたドアを開けて、私たちに銃口を突きつけながら、私た
ちを外に引っ張り出しました。(p25)

15 停車して、引っ張り出された場所は、一般道ですか。

    はい、そうです。 

16 証人たちの周辺には、ほかに目撃者などはいなかったのですか。

    結構行き来のある一般道で、それまで対向車線からけっこう避難し
てくる車があったのですが、銃を向けられて引っ張り出されたときはちょう
ど車が来ていないときで、周りには誰もいませんでした。

17 証人が乗っていた車の中を点検されましたか。

   はい。前の座席ポケットに隠しておいたパスポートを見つけられまし
た。(p25)

18 なぜパスポートを隠していたのですか。

  「中国人だ」と答える以上は、日本人だと分からないように一応
隠しておきました。

19 パスポートを見つけられて、証人はどうしましたか。

   聞かれる前に「私たちは日本人です。」と言いました。(p25)

20 それを聞いた男たちの反応はどのようなものでしたか。

   やっぱり、という感じで、「ふーん」と素っ気ない返事でした。驚きもせ
ず、答えもせずという感じ。(p25)

21 それから証人たちはどうなりましたか。

   男たちが手荷物を回収した後、私と安田さん2人を銃口で促し、私た
ちに目隠しをして、自分たちの車の後部座席に押し込んで発進させた。

22 手足を縛られることはありましたか。

     なかった。

23 拘束されたのは,だいたい何時頃ですか。

     午後2時半頃。   

24 目隠しをされたまま車に押し込められて、どのくらい走りましたか
   (p26)

     30分くらい。



第3項 1番目の拘束場所 

 
1 1番目の拘束場所となるのですが、どこに連れて行かれましたか。(p
26)

  最初目隠しで分からず、車から降ろされて手を引かれて十数歩歩いた
ところでひんやりしたところで座らされた。目隠しを外されて、アラブの一
般的な民家の大広間のようなところだった。

2 どんな部屋ですか。(p26)

    絨毯とクッションだけ。

3 そこには証人と安田さん以外に、誰がいましたか。

  拘束したメンバーはおらず、ハッタという布をすっぽり顔に巻き付けた
「ミイラ男」みたいな覆面が4,5人自動小銃を持って私たちを見張ってい
た。

4 イラク人ガイドとドライバーはどうしたか。

  一緒には連れてこられませんでした。後で分かったことですが,別の
ところで拘束されていたそうで,解放された後はすぐ,真っ先にメディアに
知らせて解放のため協力してくれていた。

5 それから。(p27)

    覆面の1人が所持品検査を始めました。

6 それから。(p28)

  その後、覆面をしていない一般人と思われる年配の男性たちが入って
きた。そのうちの1人の老人が英語で話しかけてきた。

7 どんな話をしてきたか。

    「君たちがイラクに来た目的は」など聞かれた。(p28)

8 証人はどう答えましたか。

   「米軍によるファルージャ攻撃の実態を確かめるために来た、連日の
攻撃で罪もない女性や子どもたちが殺されている様子を日本の人々に知
らせるために来た」(p28)

9 それを聞いた老人の反応はどうでしたか。

     ただ、黙って頷くだけ。疑っているようだった。(p28)

10 証人は,高遠さんたち3人のことを逆に尋ねるということがありました
か。

   はい,私はすぐ,「先に拘束されている3人のことを知っているか」
と,その老人に聞きました。(p28)

11 老人はなんと答えましたか。(p28)

   「今は私が質問する時だから黙っていて」「3人の日本人は問題な
い」と。

12 それからどのようなやりとりがありましたか。

   覆面の男たちが安田さんのビデオを指して、指示し、証拠画像を撮
りたがっているようだった。しかし,録画ボタンの使い方も知らない様子
で、ぎこちなさそうだった。(p28)

13 録画はしたのですか。

   覆面の男たちがカメラに向かって何かしゃべっていたが、即興で数
秒程度思いつきでしゃべっているようだった。私も、安田さんもビデオ撮影
された。

14 どのような気持ちだったか。

   そのときはまだ事態をそんなに深刻だと思っていなくて、「これが日
本で放映されたら恥ずかしいな」とか思っていた。

15 まだそのとき事態がそれほど深刻でない,と思えたのはどうしてで
すか。

   高遠さんたち3人についても「大丈夫だ」と言っていたし,私たちに対
しても,「すぐ返すから。すぐ返すから」と言っていたので。


第4項 2番目の拘束場所  


1 その後移動しましたか。

  はい。午後4時くらいにもう一度目隠しをされ車に乗って、2,30分
走った。(p29)

2 どこを走っていたか見当はつきますか。

  目隠しをされていたので,山道や舗装された道路を走っているな,くら
いは分かりますが、どこら辺を走っていたのか全く見当がつきません。

3 2番目の拘束場所となりますが,どこに連れて行かれましたか。

  目隠しのまま連れ出されて、建物の中に入った。目隠しをとられると、
また別のふつうの民家だった。(p30)

4 部屋には誰がいましたか。

   家の主のような男。(p30)

5 その男性は,証人に話しかけてきましたか。

   はい。アラビア語で話しかけてきた。
侮蔑したような態度をとっていた。私が持っていたパレスチナ・ストールを
見つけるとわしづかみにして引っ張り出し広げて見ていた。(p30)

6 証人は,その男性とどのようなやりとりをしましたか。

  ストールに描いてある文字「血と大地」のこととか、丸めて投げ返す、
にらみ返す、挑発、などなど(p30)

7 これらのやりとりの後、証人はどのようなことを考えましたか。

  イラクの人はアメリカのコントロールで動いている日本を憎んでいるだ
けで,私たちがどのような人間なのか,試していると思いました。下手な
ごまかしは通用しないと思いました。

8 それから証人はどうしましたか。

  「あのストールは私がパレスチナの友達からもらったものだ」 と怪しい
アラビア語でゆっくり説明しました。(p31)

9 その男性はそれに対してどう反応しましたか。

  理解したらしく、すまなそうな顔で大きく頷いた。

10 ほかに部屋に誰がいましたか。

  子どもたちも含め家の人々だけで、覆面男はいなかった。

11 証人や安田さんは,家の人々と話をしましたか。

  はい。身振り手振りでコミュニケーションを図りました。
  家の人々は安田さんにハッタの巻き方を教えてくれました。家の人々
もおもしろがって喜んでいた。  

12 夕食はどうしましたか。

  主、年長の子どもたち、家の男たちと一緒に大皿を囲んで食事をし
た。(p33)
   
13 夕食はどんなメニューでしたか。(p33)

  ライス大皿山盛り、鳥の丸焼き、トマトとレタスのサラダ、トマトの煮込
みスープ、ホブスという平べったいパン。 典型的なイラクの家庭料理。

14 夕食の雰囲気は

     食事も美味しくて,和やかな雰囲気でした。
   
15 翌朝,4月15日は何時頃起床しましたか?

     午前9時頃。(p34)

16 起きたとき,部屋には誰がいましたか。(p34)

     私たち以外には、不寝番の男と3歳くらいの子どもだけ。

17 証人と安田さんは,その日は何をして過ごしましたか。

   午前11時頃部屋を移ってごろごろしていました。まもなく部屋に置
いてあったテレビを見るために,近所の人までぞろぞろ集まってきた。(p
34)

18 テレビではどんな放送が見られるのですか。

   イラクの地上波放送。

19 そのときテレビでは何をやっていましたか。

  先に拘束されていた高遠さんら3人が解放されたニュースをやって
いました。

20 アラビア語だと思いますが,高遠さんたちのニュースであることは分
かりましたか。 

     はい。高遠さんら3名の顔が画面に映っていて, 

21 それを知って,証人どう思いましたか。

     一安心。
   
22 証人と安田さんが拘束されたニュースは,テレビで報道されていまし
たか。

  11時30分を過ぎた頃、2人の日本人が拘束された、というニュース
が報じられた。 

23 なぜ証人と安田さんが拘束されたニュースだと分かりましたか。

     安田さんの顔写真が画面に映っていました。

24 1番目の民家で撮影したビデオは放映されましたか。

      いいえ。

25 その報道を見た近所のイラク人たちの反応はどうでしたか。

     ニュースになっていることを確認して安心した,という感じ。

26 その後はどのように過ごしましたか。

  監視役の若者や子どもたちとコミュニケーションを図ろうとしました。子
どもたちに英語の教科書を持ってこさせることができた。簡単な単語を探
してアラビア語で読んでもらって覚える。

27 それから。

   家の主が戻ってきて、子どもたちを追い払った。怒っていた。(p38)

28 それからどのようなやりとりをしましたか。

  何人かの男たちも部屋に戻ってきた。「アラビア語を学んだら」などと
言われて、アラビア語のやりとりをした。私が聞かれていないアラビア語
の名詞を口にして、「何だ、分かるじゃないか、ほんとはどこまでしゃべれ
るんだ」などと冗談を言い合った。(p39) 




第5項 3番目の拘束場所  



1 その場所からさらに移動しましたか。

   はい。時計を取られて時間は分かりませんでしたが,夕方頃また目
隠しをされて移動しました。結構今度は長かった。1時間以上は走った。
(p40)

2 それまではけっこううち解けた感じに見えますが不安はありましたか。

     不安はありました。どこに連れて行かれるのだろうか。

3 3番目の拘束場所ですが、今度はどこに連れて行かれましたか。

  目隠しをとると、今度も別の農家の大広間。あまり使用されていないら
しい暗くて壁のペンキは剥がれ,床には砂埃が若干溜まっていて,床に
はゴザだけの部屋でした。(p40)

4 その部屋の床に座らされていたのですか。

     そうです。

5 その部屋には誰がいましたか。

     覆面男一人と子どもたち。(p40)

6 覆面の男性に何と言われましたか。

     「明日の朝、解放される」と親しげに話してきた。(p40)

7 それを聞いて,証人はどう思いましたか。

   すっかり信用して、安田さんと早速自由になったら何をしようかと盛り
上がりました。(p41) 

8 それから,証人たちは覆面の男たちとどのようなやりとりをしました
か。

  安田さんが、「ファルージャ市内を取材する許可を。」と言った。(p41)

9 覆面の男たちの反応はどうでしたか。

   取材は難しい、と。逆に、「解放されたら、日本大使館のスタッフや
CPAから取り調べがあるだろうが、なんと説明するのか」と聞かれた。

10 ほかにどんなことを話しましたか。

  覆面の男の経歴の話。・・・・ サダムは間違っていた。アメリカ
とつるんでいたから。「主権委譲」後も占領しているアメリカがコント
ロールすることに変わりない・・・など。

11 証人を拘束したメンバーは、日本政府へ声明を出しましたか。

    いいえ。
 
12 それでは,覆面の男たちがなぜ証人や安田さんを拘束したの
か,聞きましたか。

  安田さんが聞きました。「あなたたちは,日本政府に何も要求を
出しませんでしたね。ではなぜ私たち二人を拘束したのか」と。(p4
3)

13 覆面の男性は何と答えましたか。

    「日本人だから。」と。(p43)

14 確かに「日本人だから」と言ったのですか。

    はい。「ヤバーニ」と言いましたので。

15 それを聞いて証人はどう思いましたか。

    何か冗談のように聞こえて、「日本人だから?それだけ?」と言って
笑ってしまった。(p43)

16 その晩は,その部屋で寝たのですか。

   はい。解放されると聞いて,安心感からか早く眠りにつきました。 



第6項 4番目の拘束場所 

 
1 翌朝、4月16日は何時頃起床しましたか。

  午前9時頃。

2 その部屋から移動しましたか。

  はい,朝食後車で迎えがあり,また目隠しをさせられて車に乗せられ
ました。

3 その時,証人はどんな気持ちでしたか。
 
  いよいよ解放されると期待して,目隠しも「どうぞどうぞ」という感じでし
た。

4 どこまで、どのくらいの時間、どのように連れて行かれたか。

  1時間くらい、後部座席に横になって。(p44)

5 到着先で何が起こりましたか。 

  車の外で何人かの足音が近づいてくるが分かり突然ドアをがた
っと開けられて,固い筒先を胸に押しつけられたと思ったら,流暢な
英語で,しかもそうとう乱暴な調子で,「お前はアメリカと一緒に働
いているのか。ファックユー,アメリカ!」と言われながら,わしづか
みで車外に引っ張り出されました。(p44)

6 4番目の拘束場所になるわけですが、どんなところでしたか。

    12畳ほどの広さの黒板があり,机の並んだ学校の教室だった。
    机が小さかったので,小学校ではないか。(p45)

7 誰がいましたか。

  銃を持った覆面姿の男たち5,6人。

8 覆面の男たちは,どのような様子でしたか。

  目しか見えないが、殺気立っていた。若い声の男が語気を荒げ
て命令し「後ろの角の椅子に座れ!」と。銃のセーフティレバーを外
してボルトをスライドさせてから銃口を私たちに向けて構えました。
(p45)
 
9 証人は,どんな気持ちだったか。

  今度はショックが非常に大きかった。解放する、解放する、と言
われていたので、激しい扱いを受け,がたっと気持ちが落ちた感じ。
期待していただけに,落胆と恐れは大きかった。
   
10 覆面の男たちは,どのようなことを証人や安田さんに言ってき
ましたか。(p46)

  「お前たちはいい役者だなぁ!たいしたものだ」「農民や子ども
たちは騙せても,我々は騙せないぞ! お前たちはFBIか?あおれ
ともCIAか?」と恫喝が始まった。

11 証人は,それを聞いてどう思いましたか。

  農家で,子どもたちとコミュニケーションを図ろうとしたことや,ア
ラビア語が多少話せること,ファルージャの取材を希望したことな
ど,全て報告されていることが分かり,もう取材どころではなく,私も
安田さんもかなり参りました。

12 それからどうなりましたか。

  安田さんと別々の部屋に入れられて,覆面男たちの尋問を受けた。

13 尋問でどのようなことを聞かれましたか。

  名前や年齢、誕生日などから始まって、独身か,父親の名前は,仕
事は,最終学歴は,イラクへ来た目的は,宿泊先は,などいろいろ。(p4
8)

14 証人は当時、「自衛官。米兵ホットライン」という市民グループ
で活動していましたが、そのことは話しましたか。 

    いいえ。

15 それはなぜですか。

  私たちを拘束した覆面の男たちが,尋問の中で,「なぜ、日本の
政府はアメリカのいいなりになっているのか。自衛隊をイラクに派兵
したのはなぜか。」と聞いてきた。
  私は日本政府を批判する見解を彼らに述べていたので,下手に
「米兵」とか「自衛官」などと言ったら,話がややこしくなると思って。
(p48)

16 そうすると,覆面の男たちは,日本政府が自衛隊をイラクに送
ったこと,アメリカの言いなりになっていることに対して,非常に怒り
を持っている様子でしたでしょうか。

     はい。

17 証人は,自分の活動についてどのように説明したのですか。

  コミュニスト。(p48)反体制派だと伝えるのには分かりやすい
と思ったからです。

18 他にどのようなことを聞かれましたか。

   「もし日本政府は、君が拉致されたと知ったらどのような対応を
すると思うか」と聞かれました。
 
19 証人は何と答えましたか。

   「もしあなたたちが私を殺そうと思っているならどうぞ殺して下
さい。しかし,それは恐らく日本政府にとって、喜ばしいことになるで
しょう。なぜなら私は政府にとっては反体制派だからです。」と述べ
ました。(p48)

20 覆面の男たちは、証人のイラクでの活動内容に興味を持って
いましたか。

     はい。私はサマワでの活動を説明しました。

21 自衛隊について,覆面の男たちは,何か言いましたか。
 
  はい,「われわれは日本の軍隊にも撤退を要求している。いず
れ、わわれは日本軍にも攻撃を仕掛けるだろう。」と言っていまし
た。(p48)

22 尋問はどのくらいの時間続きましたか。

      1時間半くらい。(p49)

23 それからどうしましたか。

   さらに安田さんと交代して,私が別室で尋問を受けました。(p49)

24 別室はどんな部屋でしたか。

   小さな部屋で,入り口の脇に「鉄パイプ」が立てかけてあり,拷問
か,と思いました。実際に拷問を受けることはなく,心理的プレッシャーを
与えるための小道具だったようです。拷問に本当に使われないように,私
は慎重に行動しました。

25 別室には誰がいましたか。

   若そうな覆面の男が待っていて,向かい合い「雑談」をした。(p49)
 
26 覆面の男は,証人にどんなことを聞いてきましたか。

   記者でなくて学校の教師のボランティアで来ればよかったのにとか。
しかし,わざと入り口に立てかけてある鉄パイプを触って「カラカラン」と音
を立てていました。(p49) 

27 その後,どんな尋問を受けましたか。

    名前から,宿泊先から,先程と同じような内容でした。(p49)

28 その尋問が終わった後,どうしましたか。

   私は元いた部屋に移されて,また安田さんと一緒になり,男たちが
マットレスと毛布を持ってきて,「くつろぎたければ好きにしろ」と言いまし
た。(p50)

29 その後、覆面の男たちと何か会話をしましたか。

   はい。一番殺気立っていた覆面の男が,「俺は米軍に捕まっ
たことがある」と言って,米兵から受けたことを,怒りに満ちた表情
で語りました。

30 その覆面の男が語った内容を話して下さい。

   「・・・友達と車に乗って帰る途中,米軍の検問にさしかかった
とき,車を停められて,『お前たちは不審者だから逮捕する』と突然
逮捕された。勿論抗議したが,連中は,突然俺たちに目隠しをし
て,訳の分からないところに連れ去った。コンクリートの狭い部屋に
まとめて閉じこめられて,2,3日くらいかけて拷問しながら取り調べ
を行った。勿論家族にさえ連絡は行かず,俺のいない間家族も心配
した。俺たちは眠ることさえ許されなかった。7時間立たされた後に
7時間しゃがむだけの繰り返し。それを3日以上続けた。当然糞尿
は垂れ流し。最後には服を脱がされてホースで水をぶっかけられ
た。米兵が尻の穴にホースを突っ込みやがった。その後米兵は,俺
たちを釈放するときは何事もなかったように,へらへら笑いながら,
『途中でタクシーでも拾って帰れ』と施設から放り出した。俺はあの
ときの仕打ちを許さない。」

31 その覆面の男の憤りを目の当たりにして、証人はどう思いまし
たか。

  今朝までの楽観的な状況認識の甘さと彼らの私たちに対する蓄
積された不信感から来る感情のギャップに打ちのめされた。「もしか
したら,このまま帰れないのではないか」と,不安がどんどん募って
きて食事を出されたが,とても喉を通る状態ではなかった。(p52)

32 それから何がありましたか。

  覆面の男たちが15人くらいぞろぞろやってきて,5,6人が教室
の中に入って来て,「お前たちを敵のスパイだと思っている」と告げ
られる。

33 それを聞いて,証人はどう思いましたか。

  非常に落胆。自殺したくなるような気持ちだった。いくら取り調べ
であれほど自分の立場を説明したのに,真意が伝わらないのか,
敵意がない,ということを話しても,それを証明する情報が外部から
もたらされなければ意味がないのか,と失望する気持ちだった。(p
52)

34 証人は,「死」を意識しましたか。

  はい,それから待っている間,名前を呼ばれるか呼ばれない
か。死刑の執行を待つ囚人になったことはないが,心境としてはそ
んな気持ち。(p52)

35 そんな証人の気持ちをますます不安にさせることを,覆面の男
が何か言いましたか。

  若い覆面が,すぐ,「ムスリムは死ぬと天国に行くが,仏教徒
は死ぬとどこに行くんだ」と聞いてくるので,その度に,死を覚悟さ
れられる感じだった。

36 あなたは,どのようにその後の時間,待っていましたか。

     頭を垂れながら,マットに座って待っていた。

37 それから,何が起こりましたか。

  覆面の男たちが何人か部屋に入ってきて,「ジュンペイ、お前は
明日解放する」と言った。これまで,覆面の男たちが何か命じるとき
は,私たちに「ジュンペイ,ワタナベ」と2人の名前を並べて呼んで
用件を伝えていたのに,このときは「ジュンペイ」しか言わなかっ
た。聞き間違えかと思ったら,「ジュンペイ,荷物は明日返す」と言っ
たので,安田さんだけ解放されると思いました。(p53)

38 それを聞いて,証人はどう思いましたか。

  頭が真っ白になった。人生を振り返る。本心はまだ死にたくな
い,やり残したことがある,そういった気持ちが頭の中を駆けめぐっ
て,最期の覚悟を決めかねていた。(p57)

39 証人は,覆面の男に何か言いましたか。

  はい,私の傍に歩み寄って,煙草あるかと聞いてきた覆面の男に,煙
草を1本あげて,「どうして自分をスパイだと思うのか。」と尋ねた。(p57)

40 覆面の男は何と言いましたか。

  答えず、「なぜ君は昨日は元気があって今日は元気がないのか」など
とぼけた。(p57)

41 証人はその後の待っている時間をどう過ごしましたか。

  限界に堪えていた。顔を洗いたくなって,外に出て,汲み置きの
水を使って石鹸で顔を洗った。 

42 その後どのくらいの時間、待たされましたか。

     何分か分からない。しかしとても長く感じた。
    
43 安田さんと待っている間,2人で何か話をしましたか。

  2人きりにされていて,2,3言葉を交わしたかと思いますが,す
ぐに話すこともなくなって2人で黙っていた。

44 証人は,待っている間,どんな気持ちで,どんなことを考えてい
ましたか。

  絶望のどんぞこだった。一方で,神経は張りつめて周りの動きに
敏感になった。どうやって死ぬのかな,庭に引っ張り出されて銃殺
されるのかな,などと想像していた。



第7項 5番目の拘束場所 


1 「解放する」ということは,どのように告げられましたか。

   教室に10人ほど覆面の男たちが入ってきて、「これからジュンペイと
ワタナベを解放する」と。(p58)

2 それを聞いたときはどんな気持ちでしたか。

     すごくうれしくて,涙が出ました。

3 所持品はどうなりましたか。

   男たちが,「カメラ,所持金も頂戴する」などと言うので,安田さんが
返してくれると約束したではないかと抗議すると,「カメラと命とどっちが大
切だ?」と言われ,また殺されそうになったらかなわないと思って指示に
従うことになった。

4 それから移動しましたか。

     はい,目隠しをさせられ、車に乗せられました。(p58)

5 解放されるかどうか、最後まで不安だったのではないですか。

   はい,不安あり。またどこかに連れ去られるのではないか,と不安も
残っていた。

6 5番目となるのですが,どこに連れて行かれましたか。(p59)

  狭い民家の客間。監視役としてついてきていた若い覆面男の実家の
ようだった。父親らしき初老の男性もいた。(p58)
   
7 証人は,監視役の若者と何か話をしましたか。

   はい,片言英語で話をした。若い覆面男は格闘技に興味があるよう
で,空手や腕相撲でうち解けました。(p59)

8 その夜は,その家で寝たのですか。

    はい。

   

第8項 解放


1 翌朝の4月17日,移動しましたか。

     はい,また目隠しをさせられて移動しました。(p60)

2 どのくらい走りましたか。

     1時間以上。(p60) 

3 目隠しで車に乗せられている間,どのような気持ちでしたか。

  不安と期待と。車外から,たくさん車が行き交う騒音やクラクション音,
人のざわめきなどが聞こえるのですが,全て紙一重のところで手が届か
ない,という思い。(p60)

4 どのような場所で,どのように解放されたのですか。(p61)

  静かな場所で「座れ」と言われ、その場にしゃがんだ。車の発進音、
3台くらい。鳥の鳴き声。目隠しを取ってみると,広いサッカーグラウンド。
すぐ後ろの民家の住人が手招きして家に入れてくれた。「行方不明の日
本人2人を届けに行くからウラマー協会まで連れて行って欲しい」と連絡
があった,と伝えられた。信じられなそうにしていた私たちに,そのイラク
人は「君たちはもう自由だ」と言った。迎えの車,目隠し、ウラマー協会(イ
スラム聖職者協会)に移動。

5 イスラム聖職者協会までの移動状況を簡単に説明して下さい。

  1キロくらいは目隠ししていてくれ,と言われた。しばらく走って
目隠しを取ると,高速道路に出た。米軍車両と否応なしにすれ違
う、ボディーガードやドライバーがそのたびにひやっとしているのが
分かった。「君たちの顔はテレビで知れ渡っているから,まだ解放
が公表されていない間米軍のチェックポイントに引っかかったりした
ら大変,すまないが回り道させてくれ」と,複雑な市街地を回り道し
た。(p63)



第9項 記者会見  


1 イスラム聖職者協会に到着して、クベイシ氏の歓迎を受けましたね。

      はい。
     
2 日本政府関係者にもすぐ会いましたか。

    はい,クベイシ氏のスタッフが,「日本大使館係官に連絡を入れた
ので,すぐに迎えにくると思うが、いいか」と聞いてきた。一緒には行きた
くないなぁと思っていたら,窓の外に,もうすでに上村参事官が来ていて,
あれっと思う間に執務室に挨拶しながら入ってきました。

3 すぐインタビューが始まりましたか。

     そうこうしている間に,報道陣があっという間に入ってきてカメラを
セッティング。まずアルジャジーラのスタッフがインタビュー。

4 証人は、最初のインタビューで何を話したか。

   ファルージャのこと。「今,ファルージャでは,大勢の人々が死
んでいます。米軍の攻撃によって,大勢のイラクの人々が死んでい
るのです。これは問題です。」と伝えた。

5 ファルージャのことをまず伝えたのはなぜですか。

     ファルージャ周辺に取材に行った理由だから。(p65)

6 証人はインタビューで,拘束した男たちからのメッセージを伝え
ていましたが、どのような内容でしたか。

   「我々は,今後もアメリカ・イギリスと戦闘を続ける。我々は自
衛隊の撤退を望む。日本人は私たちの友人なので,傷つけたくない
から、これ以上イラクに来ないで欲しい。」(p65)

7 このメッセージは、いつ誰からどのように聞いたのですか。 

  学校で解放されるとき,覆面の男から。(この点,安田さんと私
と聞いた内容は一緒なのですが、私は「NOTICE」すなわち「通告す
る」,と聞いて,安田さんは「NOTE」すなわち「書き取れ」と聞いた。
ちょこっと食い違っているのですが。)

以上
                                                             



その他: 渡辺修孝尋問レジュメ 



<まとめ>

1、証人や安田さんは、なぜ武装勢力に拘束されたと思われますか
 A.イラクでの自衛隊の存在がクローズアップされ、自衛隊への反感が
高まり、日本人は自衛隊に関係があると思われたからだと思います。

2、なぜ、証人と安田さんは解放されたと思われますか
 A.自衛隊への支援や関与をしていないと理解されたからだと思います。

3、幸田さんや橋本さんらは殺害されていますが、それら殺害事例とあな
たの事件の違いはどこにあると思われますか
 A.基本的には、アメリカの攻撃弾圧が強化され、日本がそれに加担す
るということで、日本人など外国人に対する憎しみが大きくなったからだと
思います。日本人以外の殺害された事例では、拘束されたイタリア人や
アメリカ人がピストルを持っていたからだということを聞いたことがありま
す。

4、米兵自衛隊ホットラインには、どのような声が届けられていますか
 A.自衛隊内部ではイラクへの派兵に異議が出ないように上官が配慮し
ているが、隊員の中には不安がありどうなるのかと聞いてくる人もいま
す。(具体的なことを言えれば、それを証言してください)

5、日本で今回の事件について自己責任論が言われましたが、これをど
う思われますか
 A.高遠さんたちも含めて、リスクは覚悟しているとはいえ、それなりの使
命感を持ってやっている者に対し、国の政策に反対するものは放っておく
と言われるのは納得いきません。安全確保対策が不足していたといわれ
ることについて、それはおかしいと思います。

6、証人が行かれた当時のイラク入国者の最良の安全確保方法とは、ど
ういうものでしょうか
 A.武装した警備員で安全確保しようということは反感を招いて警備員の
殺害と遺体損壊という結果を招いていますし、護身用のピストルを持って
いた人質が殺害されたこともあります。最も安全を確保する方法は、イラ
クでのボランティア活動や平和運動をしていることを理解されることであ
り、高遠さんたちは、その活動のおかげで助かったのです。

7、今後の自衛隊や日本に対する危険についてどう考えられますか
 A.今では、危険ということでボランティアでも入国さえできません。米軍
の攻撃と自爆テロはますます増加し、今年1月のサドル派のコミュニケ
で、米国と日本は同視するという発言にもあるように、日本にとっての具
体的危険も増加すると思います。

8、その対策として、どのような方法がありますか
 A.武力による解決は憎しみの連鎖で、真の解決ではありません。全て
の人による非戦への努力しか平和への道はなく、自衛隊の撤退がその
流れを作るのに最大の効果を発揮すると思います。私は東京で自衛隊の
撤退や日本へ帰るときの運賃の支払責任がないという裁判をおこしてい
ます。そのほか、海外の情報を集め、日常活動の中で市民の目線でこつ
こつと非戦の道を広げていくつもりです。





自衛隊イラク派兵違憲訴訟法廷 意見陳述書
2004,7/2 2004,9/10 2004,12/13 2005,4/22 2005,12/16


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