日野・市民自治研究所の「つうしん」122号(2012年1月1日発行)に原稿を書きました。
日野市の中の軍事
殉国忠霊塔を知っていますか
鷲尾 由紀太
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「九条と基地を考える研究会」では、「防衛費の研究」というのをしています。いったい日本の「防衛費」はいくらなのか。防衛省の予算だけが「防衛費」なのではない。例えば、米軍基地を受け入れた見返りに行われている公共事業の予算は国土交通省の予算の中にも含まれているはずですし、軍人恩給は厚生労働省の予算に含まれます。それらを全部合計すると、いくらになるのか? ところで、日野市のやっていることの中には、軍事や「防衛」に関することはないのでしょうか? 靖国神社、護国神社、忠魂碑 お金をかけるだけでは戦争はできません。国民の意識をまとめ上げ、それを戦争の方へ仕向けていくことが必要です。その装置が靖国神社です。「戦争で死ぬのは不幸ではない。無駄死にではない。名誉の戦死だ。英雄だ。あっぱれだ」と戦没者遺族を慰め、納得させる装置です。そして、この靖国神社の地域版が、町や村に建てられた「忠魂碑」なのです。つまり、国レベルの靖国神社―都道府県レベルの護国神社―町村レベルの忠魂碑という三層構造でもって、戦没者を「英霊」と祭り上げ、人々の心を縛ってきたわけです。 矢の山公園の「殉国忠霊塔」 日野の忠魂碑は、矢の山公園にあります。日野駅から線路の東側の宝泉寺の前の緩い坂道を上り、坂下地蔵のところで左折して、曲がった急坂を上りきったところにあります。この公園には「殉国忠霊塔」がそびえ立っています。
その碑文は次のとおりです。 「世界恒久の平和はわが建国の理想であるが複雑な国際情勢は時に戦を誘発しかの満州事変は支那事変に拡大しさらに第二次世界大戦と展開したのであった。この間わが日野町にあっても祖国に身命を捧げまた戦禍に殉した郷友三百六十有余名に及ぶ。ここにその英霊を祀るため聖域御野立松のほとりを選び塔を建て永く芳名を伝える 昭和三十三年一月 日野町慰霊塔建設協賛会」 憲法上問題ではないのか 碑の前には線香置きがあり、花がたむけられており、今も礼拝や信仰の対象になっています。この「殉国忠霊塔」は、遺跡、文化財ではなく、現役の施設です。 私は、このような十五年戦争での日本の侵略性を覆い隠し、戦争責任を覆い隠し、政教分離の原則も守られていないも施設が、日野市が設置している公園にあること自体が憲法上問題だと思います。
この「殉国忠霊塔」を管理しているのは、日野市遺族会です。これは、首相の靖国神社公式参拝を要求している日本遺族会の日野支部にあたります。日野市は矢の山公園の一部を無償で日野市遺族会に提供しているわけです。この日野市遺族会の連絡先はどこかというと、日野市役所の福祉政策課です。市役所の代表電話番号に電話して「日野市遺族会をお願いします」というと、内線で福祉政策課に繋いでもらえます。なぜ、福祉政策課なのかというと、戦没者遺族の援護は福祉行政の範疇に入るからです。 私は、この「殉国忠霊塔」は、市有地からは撤去されるべきだと思います。 「福祉」も戦争を支えた ときどき平和運動の中で「福祉と戦争は両立しない」という言い方を聞くことがあります。しかし、それほどものごとは単純ではありません。 「日本国憲法第25条が先に作られ、その規定を実現するために後に厚生省が設置された」などという歴史的事実はありません。厚生省が設置されたのは、昭和13年、つまり戦時中です。頑強な兵士を確保するためには、国民の体力向上が必要だ、結核等伝染病への罹患防止も必要だ、出征兵士の留守家族(実質的な母子家庭)や傷痍軍人(障害者)や戦死者の遺族に関する行政も必要だ、というのが厚生省設置の理由でした。 「福祉と戦争は両立しない」という言い方はものごとの半面を捉えてはいます。しかし、もう半面では「福祉も戦争を支えた」のです そして、今でも日野市遺族会の連絡先になることは、日野市役所の福祉政策課の仕事なのです。さて、みなさん、これでよいのでしょうか。 |
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