わしお由紀太のリンク
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わしおが参加している団体 まちづくり、地方自治、憲法について研究・学習するNPOです。 水源地の森に巨大なごみ処分場をつくる愚かな政策を変えるために。 フィリピンの経済特区の労働者や元「従軍慰安婦」ロラ団体と交流しています。 戦争しないまち・日野市民の会 (関連するページ → 無防備地域宣言全国ネットワーク) 核兵器も原発もないアジアをめざして。原発輸出に反対 障害者自身が、「私は障害者である前に、まず、第一に(ファースト)、人間(ピー プル)だ」と主張する。私は一般会員です。事務所は日野市内にあります。 東京都教育委員会による強制に反対している団体です。 市民と図書館が共同して、市民にとっての図書館のあるべき姿を模索。 立川・町田の朝鮮学校支援ネットワーク「ウリの会」 (関連するページ → ウリの会を紹介するページ) 「高校無償化」からの朝鮮学校排除に反対する連絡会 → 「『高校無償化』からの朝鮮学校排除に反対する連絡会」を紹介するページ (最近は休止状態) 国政選挙で憲法を守り、生かす共同候補を擁立する団体です。 日比谷公園で08年の年末からひらかれた「派遣村」を受けて、個人・有志が立ち上げました。私は労働相談・生活相談のボランティアをしています。最後のセーフティネットであるとしての生活保護の申請や、「派遣村労働組合」での団体交渉、そして「派遣切りを許さない会」で派遣労働者と支援者をつなぐ活動です。 日野市から(税金から)の補助金と、協会会員の会費で運営されています。国際交 流フェスティバル・異文化サロン・日本語教室・学校への協力・外国語自主講座など。私は在住外国人の生活相談事業のボランティアです。 雑誌『オルタ』を発行。地球の「南」と「北」の人びとの対等・平等をめざして。 日野市民9条の会 「憲法9条」だけを一致点に、さまざまな人が集う市民団体です。私も会員。 三多摩護憲ネット 社民党や労働組合の関係の方々が多い、護憲のネットワークです。私も会員。 脱原発と、環境破壊のない社会をめざして多くの人々が出会える「小広場」として、たんぽぽ舎は運営されています。 みんなで市内の情報を伝え合い、交流する会 (最近は休止状態) わしおを推薦してくださっている政党 1996年3月、政界が総与党化するなかで、護憲・平和・人権・環境を旗印に結成。 友人・知人など 学生の頃からの友人が、仲間の方々と地道に被爆者の話を聞いて残している。 故土本典昭さん(水俣を撮りつづけた映画監督)のことを土本基子さんが書いている。 わしおの仕事 (行政書士) 八王子市内・日野市内に事務所をもつ行政書士が「八王子支部」を構成しています。 日野のまち 特に、わしおの近所 市議会の議事録も検索できます。 TEL:042-581-2677 ミニバス「市立病院」下車 バス「市立病院入口」下車 このホームページから、蔵書の検索もできます。 お不動さんのすぐ近くです。 産科・小児科・保育園・児童館などの情報はがある日野市のページ。 日野市公立保育園父母会連合会によって運営されているページです 私は、ここの校区内に住んでいます。校樹はスズカケです。 私は、ここの校区内に住んでいます。校内に湧き水があります。 南平1丁目から9丁目までを担当する高齢者福祉のセンター。亡くなった父も生前 に介護が必要になり、「すずらん」のお世話になりました。丘陵地での坂道と階段の上の老後は大変です。それを支える公共の手立てが必要です。 ご近所です。新緑、アジサイ、紅葉、除夜の鐘・・・ 私の大好きな場所です。 ご近所です。 日野市・多摩市・稲城市を所管する保健所です。多摩市永山にありますが、電話042-371-7661でも相談できます。 日野は「川」のまちです。浅川や多摩川を管理している役所はここです。 ここにはイチョウとケヤキの巨木、小川、そして鳥や虫がやってきて、土と水と空と草木に触れあえる場所です。 労働組合や職場の問題 労働者の権利は主張しないと実現しません。 水俣病事件 水俣病事件は終っていません。 大学一年生の夏、ここで合宿し、水俣病患者の話を聞いたのが、私の原点です。 水俣市にある「社会福祉法人さかえの杜ほっとはうす」の様子を伝えるブログ。 わしおが以前に働いていたところ 「八王子温泉やすらぎの湯」と「グランド東京」 工事現場で働いた後、ここの駐車場で警備員をして食いつなぎながら、勉強をして 行政書士の国家試験に合格しました。工事現場では、工事が雨で中止になると、その日は一円ももらえなかった。「法令集」を通勤電車の中や昼休みに弁当食べながらも読みました。夜勤(完全徹夜)もありましたが、警備会社の時給は安かった。しかし、工事現場と違って、駐車場の警備員は雨の日も仕事があるので助かりました。 鉄道車両部品を作る、日野市内の町工場「(株)誠製作所」で10年近く働きました。この会社はもうありません。旋盤・フライス盤…。下請・中小企業労働者の悲哀を知りました。解雇されそうになり、地域の労働組合に一人で入りました。組合として社長と団体交渉をして、解雇予告を取り消させ、同じ職場で働き続けました。行政書士をしている今も、私の魂は「労働者」です。 一番初めの勤務先は神保町の出版社でした。ちょうどバブルの頃で、地上げ屋が「立ち退いてほしい」と会社に連日来ました。大家さんから30坪の土地と3階建ての雑居ビルを20億円で買収した会社が、即日にそれを40億円で転売しました。神保町の地域社会と町並みが壊された時代です。 出身校 中退しましたが、出身校には違いない。人文学部人間関係学科。地域社会学や社会 教育論などを学びました。もちろん、恋もしました。敷地は町田市と川崎市の境界にまたがります。 在学中は、「エコロジー研究会」に参加しつつ、合唱団にも参加していました。 2003年卒業の9期生。生徒会役員をしながら、コーラス部にも参加していた。 同窓会のサイトです。 渡り鳥の鴨が飛来する高源院がある、烏山の「寺町」の近くです。 子どもの数がどんどん増えて、私が小3の時にこの新しい小学校が開校しました。日野市も「万願寺小学校」を早く作るべきです。 大きな団地があり、児童数が多いマンモス校でした。私は「公団久我山住宅10号棟」で育ちました。ですから日野にもある公団住宅(今のUR)に子どもがあふれていた頃の雰囲気や、マンモス校の問題は生活実感としてわかります。 |