「白い日赤く染まる」
始まりは何気なかった。
子供の頃よく食べていた飴。それを見つけた時、懐かしさも手伝って、何気なく買った。ただそれだけ。
しかし、のちに『赤い日』と呼ばれ語り継がれる日の、おそらくはそれが始まりだった。
「ほわいとでい? なんだそれは」
「うんとね、飴をあげる日なの」
珍しく酒を飲まずに出かけようとしていた芹沢を、土方が呼び止める。そういう時は、たいていよからぬ事を企んでいるからだ。
そして返ってきた答えは、『ホワイトデーだし』というものだった。
「よく分からないが?」
「男の子が、好きな女の子に愛の言葉と共に飴をあげるんだよ。じゃ〜ね〜」
「………な!?」
一瞬の虚をついて、走り去ってしまう。しかし、今の土方にとっては、芹沢の台詞の内容の方が重要だった。
「新選組の副長たる者、時には町の様子を見ておかないとな。近藤、留守を頼んだぞ」
キョロキョロと辺りを見回し、誰もいないことを確認すると、咳払いをしてそんなことを言う。勿論、近藤に聞こえないくらいの声で。
そして、もう一度辺りを確認すると、いそいそと出かける。
「トシちゃん? カーモさん?」
近藤が二人の不在に気付いたのは、それからしばらく経っての事だった。
一方その頃、原田・永倉・沖田・藤堂の四人は、巡回中にばったり出会い、茶屋で休憩しながら話をしていた。
「ホワイトデー? なによ、それ」
「今日は男の子が好きな女の子に飴をあげる日なんだって」
「そうなのか? アタイ、初めて聞いたぞ」
「う〜ん。この辺だけの風習なのかもね」
たまたま聞き込んだ話を藤堂がして、残り三人がそれを聞くと言う状態になっている。もっとも、その内容自体には、皆余り興味がなさそうだが。
「で、それがどうしたわけ?」
「ううん。ただ、さっき誠が飴を買ってたの見たから、なんとなく思い出して」
瞬間、微妙な沈黙が落ちる。沖田はいつも以上に激しく咳き込んでいたが。
「…ちょっと、用事を思い出したわ」
「アーッ! アタイとしたことが、忘れ物しちまった! 取って来る!」
「けほけほ。ちょっと、お手洗いに…」
そう言うと、それぞれどこかへ行ってしまう。
「………あれ?」
藤堂が取り残されたことに気付いたのは、しばらく経ってからだった。―――伝票ごと。
そんなことがあったとは露知らず、袋いっぱいの飴を抱えていた島田は、通りすがりのおまちにからまれていた。
「島田さん! その飴、勿論くれますよね! ジュティームって一言添えて」
「いや、飴をあげるのは構わないけど、ジュティームって…?」
何も知らない島田は、飴を一つ取り出す。その時―――、
「そこまでよ!」
と、辺りに声が響き渡る。聞き覚えがあるような、できれば無いほうがいいなーって声が。
「一つ! 人よりナイスバディ!」
「どこ!?」
付き合いのいいおまちが、辺りを見回す。その間も、口上は続く。
「二つ! 不埒なテクニシャン!」
「!? そこね!」
上を見上げて指差すおまちに、ついつられてそちらを見てしまう。と、そこには予想通りの姿が。
「三つ! 魅惑のミラクルボイスで、魅了してくれよう、カモちゃん仮面!」
商家の屋根から飛び降りた芹沢は、よくよく見ると、いつもの恰好に妖しい仮面といかがわしいマントを着けていた。
「なにしてるんですか、カモちゃんさん…」
「アタシはカモちゃんさんじゃなくて、カモちゃん仮面なの! それはそうと、島田君に近付く不貞の女は、このアタシが成敗してあげるわ!」
ビシッとポーズを決めると、背後に爆発が起こる。
「!?」
よく見ると、背後ではなく直撃だった。驚いて発射地点に視線を移すと、そこにはカモちゃん砲の横で肩を怒らせる土方の姿が。
「何をしているんだ、あんたは!」
「いや、土方さんが言えたもんじゃないと思いますけど…」
本能で突っ込みを入れる島田。その横に、何故か無傷の芹沢が並ぶ。
「歳江ちゃんってば、そんなこと言って、島田君から飴を貰えるんじゃないかって来たんでしょ」
「私はあんたを止めに来たんだ!」
マジに殺気立った様子でにらみ合う二人。どうしたものかと立ちすくむ島田のところに、息を切らせて永倉がやって来る。
「永倉、ちょうどいいところに…」
「島田! 何も言わずにアタイに飴をくれ!」
二人を止めてくれと頼もうとした島田に皆まで言わせず、凄い剣幕でそう言う。
「飴? 永倉も飴を?」
困惑する島田。その眼前を、見慣れた槍が飛んで行く。
「やってくれたわね、アラタ…」
恐る恐るそちらを向くと、何故かボロボロになった原田が立っていた。その横には、無傷ではあるが、刀に手をかけて臨戦態勢な沖田が。
「何も知らないお兄ちゃんから、無理やり飴を貰おうとしてたんでしょ。…させない」
槍を取りながら、原田も頷く。いつの間にか、その輪に土方と芹沢も加わっていた。
「…? 一体何が…」
当事者でありながらブッチギリで置いてけぼりにされてる島田を尻目に、ついに五つ巴の戦いが始まってしまう。
新選組の幹部たちによる真剣バトルは、到底止められるものではない。遠巻きに見てるしか無くなった島田だった。
「誠、こっちこっち」
と、脇道で藤堂が手を振っていた。
「へー! 助かった、俺には何がなんだか…。みんなを止めてくれ。おまちちゃんはあっちで焦げてるし…」
「うん、任せて。必殺技のおーかは、直線状の敵にまとめてダメージを与えるから」
「…そこはかとなく、聞いてはいけないことは聞いたような…。って言うか、なんか怒ってないか、へー?」
見かけはいつも通りのニコニコ顔だったが、どこかゾクリとする凄みが感じられていた。
「そんなこと無いよ。伝票のことなんて、ちっとも」
「伝票?」
「何でも無い。誠はここから離れてた方がいいと思うよ」
刀を抜きながらそう言う。どうやらこれ以上は突っ込まないほうが無難なようだ。
「わかった。俺は屯所に帰ってるよ」
「うん。後でね」
後は、お互い振り向かずに分かれる。背後で叫び声と衝撃音が聞こえてきたのは、屯所まであと少しというところだった。
「ただいま」
「あ、お帰りなさい、島田君。今、お茶の用意してたんだけど、島田君も飲む?」
「いただきます」
たまたま通りかかった近藤に誘われ、縁側でお茶をすする。
「静かだね」
「そうですね…」
さっきまでのことを考えると、確かにここは静かで天国のようだった。
「トシちゃんもカーモさんも、どこに行ったのかな?」
「さあ…」
さすがにあの事を話す気になれず、曖昧に答える。
「そうだ、近藤さん飴食べます? お茶に合うと思いますけど」
「うん、貰おうかな」
そうして、二人でお茶をすすり飴を食べながらのんびりと過ごす。
結局、今日の事は島田には何も分からないままだった。原因と思しき飴もすっかりなくなった今では、まさにどうでもいいことだったが。
某年三月十四日、当事者たちは何も語らず、記録も残されず、何でも無い一日として記されているこの日。
しかし、町の人々は、この恐るべき一日を『赤い日』と名付け、長く語り継いだと言う―――。
<あとがき>