「小さな小さな狂想曲3」
一夜明け、とりあえず巡回に出た島田は、すぐ傍に別の気懸かりがあることに気付いた。
斎藤だ。
しっかりとした足取りで、黙って歩いているが、その顔には明らかな緊張と興奮が見られた。目つきもギラギラしていて、とても尋常な様子に思えない。
「なあ、斎藤」
「ななななななに!?」
思い切り不自然かつ過剰な反応に、島田はますます心配げな顔をする。
「お前、熱でもあるのか?」
「な、無いよ、全然、まったく」
呆れてため息をつく島田の脳裏に、昨夜の光景が思い出された。そういえば、原田の見張りに残した斎藤の様子がおかしい。と、いうことは…。
「そうか! 伝染病だ! 沙乃の不機嫌と斎藤の異常が、これで結びついた!」
「いや、それは違うよ。全然結びついてない」
不意に素に戻って、斎藤が突っ込む。
「…まあ、ほんとに病気じゃないんだな」
「うん」
「無理しないで、調子悪かったら寝てろよ。さ、今日はこれで終いにしよう」
そうして、二人は屯所に帰った。
帰隊した島田は、道場の裏手で永倉を待つ。沙乃の様子を探るよう、頼んでおいたのだ。
待つほどしてなく、永倉がやって来る。
「どうだった?」
「う〜ん、相変わらずだけど、昨日よりマシだったかな?」
「そうか。実はこっちでは、斎藤の様子がおかしかったんだよなぁ」
「なに!?」
島田の台詞に、永倉が反応する。
「二人とも、変なもの拾って食べたのか!?」
「おい!」
「ひょっとして、島田から変な病気をうつされた!?」
「誰がだっ! …ん?」
素っ頓狂な仮説を並び立てる永倉と、逐一突っ込みを入れる島田に、異常な気配が伝わって来た。一般的に、殺気といわれるものだ。
「…永倉!」
「おう!」
殺気は、すぐ傍の道場から出ている。わざわざ道場の壁を破壊して中に踊り込んだ二人が見たのは、対峙する原田と斎藤の姿だった。
突然の轟音に驚いた様子も無く、むしろ、それが合図になったかのように、斎藤が動く。
すばやく踏み込んでの胴突き。原田の反応がわずかに遅れ、間合いへの進入を許してしまう。
初撃は凌いだものの、斎藤の攻撃は止まることを知らない。刀と槍とのリーチの差を知っている斎藤は、最初に埋めた距離を離すつもりは無かった。
原田も、詰められた間合いを離そうとする。斎藤の連撃を前に、押し返すことができない。である異常、後ろに下がるしかないが、それを分かってる斎藤は、巧みな足裁きと踏み込みで、有利な間合いを保つ。
戦場は、何も無い平地ではなく、狭い道場の中。いつまでも下がり続けられるわけも無く、原田は壁へと追い込まれる。が、それは原田が待っていた状況でもあった。
壁を打つと、その間僅かに隙ができる。それを無意識に思ってしまった斎藤の突きは、それまでよりも劣っていた。
「このぉっ!」
それを見越していた原田は、かわしながら薙ぎ払った槍で、斎藤の体を弾き飛ばす。手元に近い部分での、強引な力技だった。
だがそこに、原田の心に大きな隙が生まれた。吹き飛ばされた斎藤は、間髪いれずに起き上がり、一足で跳び込んで、原田の頭に打ち下ろしを決めた。
練習用の刀とはいえ、頭にまともに食らえば、最悪命を落とす。が、崩れ落ちたのは斎藤の方だった。
突きと打ち下ろしでは、当たるまでの時間が違う。咄嗟にそれを判断した原田が、石突で、斎藤の鳩尾を下から突き上げたのだ。それが、打ち下ろしの威力を弱めた。
だが、斎藤の一撃があれほど出なければ、二人とも死んでいただろう。それなのに、まだやる気だった。
「まだ…まだだ…」
ゆらりと立ち上がる斎藤に、それまで呆然と立ち尽くしていた島田と永倉が、止めに入ろうと動く。が、それよりも早く、凄まじい一喝が響いた。
「やめんか!!」
四人の視線が、一斉にそちらの方を向いた。
「局中法度『一つ、私の死闘を許さず』。まさか、忘れたわけではあるまい」
土方だった。視線一つで四人の動きを止めると、ゆっくりと告げる。
「原田、斎藤、両名は自室謹慎を命ずる。追って沙汰があると思え」
黙ったまま、身体を引きずるようにして、二人は道場を去る。
「そして、島田、永倉…」
土方の視線は、島田らから微妙にずれた位置を見ていた。
「お前らは壁を直せ。直るまで飯抜きだ」
『えーっ!』
期せずして、二人の声がはもる。
「そんな、あれは誰か他の人に知らせようとして…」
「そろって呆然と立ち尽くしていた言い訳にはならん。いいか、直るまでここから出るなよ」
そう言い渡すと、さっさと背向ける。
「あいつらは…あいつらはどうなるんです?」
島田の問い掛けに、振り向きも答えもせずに、土方は去って行った。
「ふう…」
近藤の部屋に入ったところで、土方はホッとしたため息をつく。
「お疲れ様、歳江さん」
お茶を差し出しながら、山南が労う。
今、近藤の部屋には、近藤・土方・芹沢・山南の、局長・副局長四人が勢揃いしていた。
「ヤレヤレ、想像以上だったな」
土方にしては珍しく、思い悩んだような声で呟く。
「いやまったく。せめて、僕らに相談していてくれればねえ」
「貴様がそれだけ頼り無かったのだろう」
「これは手厳しい」
おどけた口調で肩を竦めながら、山南はこっそりと近藤に合図を送る。
「ねえ、トシちゃん。みんなで、温泉に行かない?」
「な、何をいきなり言い出す」
「ほら、しばらく激務が続いてて、みんな疲れてるじゃない。その息抜きにさ、ね」
「アタシもさんせ〜い」
近藤の提案に、芹沢も乗ってくる。
「こんな時に…」
「けーこちゃん様も、いいって言ってくれたよ。『京都の治安を守ってくれてる御褒美だ』って」
見事な包囲網だった。初めから自分以外の三人が示し合わせていたことを、土方は悟った。が、新選組一疲れている土方にとって、それは魅力的な提案だった。
「しかし、あいつらの…」
「それ、沙乃ちゃんのこと、あたしに任せてくれないかなぁ」
相変わらず、御気楽気に扇子を広げ、芹沢が言った。
芹沢と土方の視線が、正面からぶつかる。刹那の後、土方が目を逸らした。
「分かった。原田のことは任せた」
「ありがと、土方」
いつもは隠した真剣な目で言うと、芹沢は部屋を後にする。それに合わせて、山南も立ち上がる。
「それじゃあ、斎藤君のほうは、僕に任せてくれたまえ」
「貴様に…?」
芹沢のとき以上に不審な目で睨む。が、山南はそれを軽く受け流した。
「僕は、君達より長く生きている分、知っている事がある。その中には、君達にはできないが、僕にはできることだってあるんだ。彼のこと、悪いようにはしないよ」
芹沢も近藤も、それ以上何も言わず、黙って見送った。
「さ〜のちゃん」
いきなり部屋に入って来た芹沢に、瞬間訳の分からない顔を見せるが、すぐにまた、元の無表情に戻る。
「ふ〜ん。もう、覚悟は決まってるって事かな?」
「そうです」
素っ気無く答える。が、芹沢は引っ込まなかった。背を向けた原田に対し、厳しい口調で言う。
「嘘」
ビクッと原田の身体が震える。
「そんなの嘘。何の覚悟もできてないでしょ、あなたは」
それでも、振り向かない。だが、身体の震えは大きくなっていた。
「分かってるのよ、何であんなことしたか。覚悟ができてないんでしょ。今だってまだ、そうなんでしょ」
「何が…分かってるんですか?」
身体だけでなく、声もまた震えていた。
「女だもん」
笑って答える。そして、後ろから、ソッと抱き締める。
「行動しないで諦めると、後悔するよ。後悔するのって、つまらないよ」
囁く様にして言う。原田も、もう反論しようとしなかった。
「ね、泣いちゃえ」
黙って身を震わせていた原田は、涙を溢していた。声を出さずに、泣いていた。
しばらくそうしていた二人だったが、原田がやや落ち着いたと見るや、耳元で告げる。
「明後日ねえ、みんなで温泉旅行に行くことになったから」
「…は?」
赤く腫らした目で、茫然と答える。
「とってもチャンスでしょ!」
「あ、の、えーと…」
「じゃあね〜」
カラカラと笑いながら、芹沢は出て行った。あとには、訳が分からず固まった原田が残されるだけだった。
「やあ、頑張ってるかい?」
道場に山南が現れたのは、夜の十時を過ぎたころだった。二人のことが心配で、修理は遅々として進んでいない。
「山南さん、あいつらは?」
「ああ、大丈夫だよ。稽古に熱が入りすぎたって事になったから」
気楽に言うが、そう処理することがどれだけ大変だったかは想像に難くない。山南が今ここに現れたもの、そう決まったことをすぐに二人に告げるためだろう。それはとりもなおさず、処理にこれだけ時間がかかったということだ。
「山南さん、ありがとうございます」
頭を下げた島田に対し、イヤイヤと手を振る。
「歳江さんも、彼らを殺したくなかったんだよ。そうでなければ、僕らに処分を任せようとはしなかっただろうね」
『僕ら』が山南と芹沢であることは、すぐに分かった。そして、身近にいながら何もできず、山南たちに迷惑をかけたことが心苦しかった。
「そうそう。明後日から、温泉旅行に行くことになったんだが…」
「へ?」
唐突な展開に、間抜けな声を返す。
「道場の修理が終わらないと、連れて行くわけには行かないな。君達は、留守番かな?」
「え? え?」
「それじゃあ、修理頑張ってくれたまえ」
ニッコリ笑うと、そそくさと立ち去ろうとする。
「ちょっと、山南さん、それはいったい? …だったら手伝ってくださいよ」
「わしはもう歳じゃからのぉ」
適当なことを言うと、山南は全速力で逃げて行った。
道場の修理は、一晩という異例の速さと完璧さで終わった。
<あとがき>