第三話 Near Dark
気が付くと、山崎は屯所内の医務室に寝かされていた。ゆっくりと体を起こしストレッチをする。蝦蟇の毒は完全に抜けたようだ。
「煙管は片付けましたよ」
山崎があちこちを見回しているのを見た沖田が、意地悪そうに言った。
「吸わんと頭が回らんのやけどな」
「山崎さん、ここは禁煙だって自分で言ってたじゃないですか」
「ああ、そうやったな…」
山崎は面倒そうに頭をがりがりとこすった。
気だるい。
ベッドから起き上がり、近くにあった隊服を身にまとう。
「そーじ、ちょっと出てってくれんかな。考え事したいんや」
その申し出に沖田は快く応じた。
沖田が立ち去ると、山崎はベッドに手をかける。彼女は、何者かの気配があるのを、察知していた。しかし、微笑んでいる山崎には余裕がある。自分の見知っている人間だと分かっているからだろう。
「覗き見いうんはええ趣味やないですな」
山崎の目の前の壁が、しゅしゅ、と盛り上がると、小さな老人の姿となる。名は果心居士、伊賀の忍びで幻術を操る老人だ。
さて。
内密な話であろう。二人は場所を移すことにした。
「いったい何が起きてるんや」
「…」
「確か、根来の忍びは五十年前に、幕府を転覆しようという陰謀が発覚して、伊賀と甲賀の忍びによって壊滅したいう話やったやろ?師匠から何度も聞かされたで…」
五十年前のその時、御庭番(公儀隠密)から伊賀と甲賀に指令が下った。根来に不穏な動きがあるから調査せよというのだ。
そしてそれは、伊賀と甲賀の連合軍対根来という、一大戦争へと発展した。この戦いで根来衆は壊滅的打撃を受け、首領の暗闇鬼堂ほか幹部たちが次々に倒され、本拠地である根来寺も爆破された。今もう再建されていない。
しかし、一部の根来の残党が徒党を組んで、なにやらよからぬことを企んでいるという話が出ては消え、消えては出た。
山崎も伊賀に居た頃、元根来の忍びで、全国のあちこちで陰謀を巡らそうとした改造忍者たちを倒したことがある。しかし彼らはあくまでも個人であり、組織化されたものではなかった。
「亡霊が蘇った、としか思えん」
「そんな阿呆なことがあるかい!」
いらだった山崎は思わず、老人の首に手をかけようとした。
「おやおや、穏やかではありませんね」
物腰の柔らかな声が中空よりかかる。山崎は手を後ろに隠した。近くの道から、度の厚そうな丸眼鏡をかけ、商人風の服に身を包んで、髪の毛を後ろで束ね、腰の辺りまで伸ばした、物静かな背の高い男が姿を現した。
「お師匠はん…」
思わず山崎はひざまずいた…いつもの習性だ。
「おお、枕返しの東風か」
老人はその背の高い男に声をかけた。
小野東風。両親を惨殺されて孤児となっていた山崎を拾い、伊賀・鍔隱れの里に匿わせ、忍びとして、また鍼医者として、彼女を育てた人物だ。師匠というよりも、山崎にとっては父親も同然の男なのである。
『枕返し』の二つ名は、殺した相手がまるで眠っているように見えることから、人が眠っている間に現れるという妖怪、枕返しに例えたのだろう。
「今、伊賀鍔隱れ、甲賀卍谷の忍びたちが合同で、根来の忍びの行方を追っています。いずれあなたの元にも話が伝わるでしょう」
「それなら、すぐに分かりますね」
「いいんですか?」
師の目は穏やかだが決して笑っていない。
「天竺徳兵衛。天草四郎。明らかに二人にはつながりがある…。新選組が、これに手をつけたということは、どうなるか。新選組を、根来との戦いに巻き込んでしまいますよ」
その言葉に、山崎は沈黙した。
忍者の能力や武器は多彩だ。新選組は確かに剣豪集団としては一流だが、あくまでも、人間同士の戦いに強いだけだ。忍者…いや人外と言っても語弊はあるまい…。彼らと戦って、果たして、勝てるのか。
いや、それは、もしかしたら愚問かもしれない。
おそらく、近藤も、土方も、芹沢も、他のみんなも、こう言うだろう。
「治安を乱すものとは戦うだけだ」と。
その頃屯所では、吸血鬼に対する勉強会が開かれていた。
会場には『吸血鬼対策会議』と大仰な看板が、下手な字で、まるで警視庁捜査一課のように掲げられている。居るのは、近藤、土方、芹沢、沖田、原田、永倉、武田、山南の幹部連、そして、書記として島田と斎藤。西坂機関の説明者として、ジュリア。
「吸血鬼の弱点というのがあるなら教えて欲しい」
土方がそう切り出した。ジュリアは頷いて、
「我々の持ってる武器だな。祝福儀礼が施された武器。聖水。十字架。銀製のもの」
強力そうだが、これでは新選組がキリシタンの集団になってしまう。無理だ。
「他には?」
「まあ…杭を心臓に打ち込むとか、首を斬るとか…あと、ニンニクも有効だ」
「なるほど」
「後は、火に弱いし、日光が嫌いだから昼間は外に出ない」
しかし、我々にとって脅威には違いない。そう誰もが認識していた。ちょっとした攻撃ではすぐに再生してしまう。霧や狼、蝙蝠に姿を変える。一度噛み付かれてしまえば、同じ吸血鬼になり、しかも相手の僕となってしまう。非常に厄介な相手だ。
「あのー、歩いてくる死体はどうすれば…」
島田が手を挙げて言うと、ジュリアは面倒そうに額を掻きながら、
「弱点は頭だ。狙えば確実に死ぬ。塵になる」
「…厄介だけど、殺し尽くせることは分かったわね」
沙乃の発言に、皆、黙って頷いた。
対吸血鬼用装備の準備をしなければならない。
ちょうどその後、ジュリアの元へ中浦からの呼び出しがあった。すぐに佐賀藩邸へ来て欲しい、という。ずいぶんと焦っている風だった。何か分かったのだろうか。
到着すると、ジュリアは羽織っていた服を取り、修道服に身を包む。西坂機関が借りている部屋には、一人の年老いた男が、中浦と相対していた。この男はジュリアも見覚えがある。隠れキリシタンの里にいくつかある、教会の神父だ。
「私が彼と初めて出会ったのは五十年前だ…」
そう、神父は話し始めた。なんのことだ?ジュリアは小声でそう伝えると、中浦から思いもよらぬ発言が返ってきた。この神父は、ある重要事項を握っているというのだ。ジュリアは何も言わず神父の告白を聞くことにした。
「年の頃は…十二、三の幼い、ちっぽけな少年だった。髪の色は銀色で…目の色は金色…西洋の彫刻のような美しい風貌だった…」
「なるほど、なるほど。そして、あなた方は、その少年の言う計画に…」
「そうだ。私は…」
神父は頭を押さえた。
「やるしかなかったんだ…私は…ああ…」
まるで教会の懺悔室のような風景だった。
「私は彼らに、天草四郎が封印された場所を教えたんだ」
ジュリアは、つばをごくり、と飲み込んだ。
島原の乱により処刑された天草四郎。
敬虔なキリシタンだった彼は、この世の全てに絶望し、悪魔に魂を売り渡して蘇った。そして宮本武蔵や荒木又右衛門などの剣豪を蘇らせ、幕府を転覆させようとした。しかし、野望を知った柳生十兵衛によって阻止され、天草四郎は十兵衛の刀によって倒れた。
しかし。彼のどす黒い怨念は、自らの体を吸血鬼と変化させるほど、凄まじいものであった。西坂機関は、死闘の末に天草四郎をある場所に封印した。原城。かつて四郎が戦った場所だ。そしてそのことを、決して周囲に口外してはならないと掟にしたのである。
その掟を、この神父は破った。
「仕方が無かった…私は言わなければ殺すと脅迫されて…」
神父は、出ない声を喉から絞り出すようにして、言った。
「違うね」
中浦は神父を睨みつける。蛙のように、神父は眼を見開いて、がたがたと震えた。
「その少年は、お前を永遠に生きられる吸血鬼にしてやると言った。そうだろ」
「な、中浦…た、助けてくれ!頼む!命だけは!」
「助けてくれ?神を裏切ったあなたが、生きていいわけがないでしょう?」
金属音がしたかと思うと、神父の首筋に冷たいものが走った。小太刀だ。神父は、口を何者かの手によって塞がれた。ジュリアはもがいている神父を、まるで獲物を捕らえた獣のように、慰めるような、しかしそれでいて、楽しむかのような、そんな目つきで見つめた。もう我慢の限界だ。ジュリアは中浦を見つめて、「よし」の命令を待つ。
「インフェルノへゆきなさい、神父様」
中浦のこの言葉と共に、ずぶっ!と、ジュリアが刃を首筋に差込み、一気に引き抜いた。血しぶきが中浦の顔一面に降り注ぐ。既に神父は事切れていたが、ジュリアはすぐさま二の太刀を入れて、神父の首の骨を折り砕き、首を中空へと飛ばした。神父の首は驚いた顔のまま、テーブルへ、ごろん、と転がった。
「五十年前、か」
中浦は、顔に付いた血を拭きながら、そう呻いた。
翌日。
山崎は、なぜかジュリアに請われて、八坂神社近くの森に来ていた。以前、西坂機関と邂逅した場所だ。山崎は煙管を吹かしつつ、ジュリアと共に歩いていた。彼女の挙動を見ながら、相手が何を考えているのかと考えたが、まったく読み取れない。ジュリアは少し早く歩いて、山崎の前に来ると、山崎の方を向いた。
無音だ。人気も無い。
「お互いに、知ってることを交換しようと思ってね」
「…うちは上方やで。タダで教えるわけにゃいかへんな」
「あ、そう?」
ゆっくりと、ジュリアは手を伸ばして、腰に下げている小太刀に手をかける。冗談ではない。山崎は煙管を咥えたまま、隠し持っていたクナイを逆手に持った。
「私が勝ったら教えてもらう」
「分かりやすいなぁあんたは…」
「敵を前にして退くなど、我々の教義ではない。我らの歴史は戦いの歴史だ」
山崎が煙管を吐き出した。それが、地上に落ちると同時に、二人は突撃する。山崎は飛び上がり、回転するとジュリアの後ろを取った。背後からクナイで突き刺そうとしたのを、ジュリアは一本の小太刀を捨てて、素手で、そのクナイを受け止める。いや…自らの手に突き刺したような形になった。その行動に山崎は意表をつかれ、動きが鈍った…その瞬間、ジュリアの足が山崎の腹に命中する。地面に激突する前に、山崎は回転して、着地した。
クナイの傷跡が痛々しい血まみれの手を、ジュリアは山崎に見せつけた。その手が、白煙を上げたかと思うと、みるみるうちに血がひいていき、傷口が塞がってゆく。
「なっ…!?再生、いや、治癒能力…?」
山崎の反応に何も言わず、ジュリアは山崎に近寄ってきた。山崎は後ずさりしたが、まだ、腹の痛みが激しい。山崎は飛び上がって手裏剣を投げる。しかし手裏剣はジュリアに刺さることは無かった。いつの間にかジュリアの周囲には、文字が書かれた紙が浮かんでいた。それの数枚が盾となって、手裏剣を防いだのである。山崎は袖からいくつもの手裏剣を投げたものの、それらは全て紙に塞がれ、空しくも地に落ちた。
山崎は地上に降りたが、先ほど蹴られた腹の痛みが激しい。山崎は腹を押さえつつ、クナイをジュリアへと投げた。ジュリアの影は、クナイが刺さったものの、彼女の姿は消えて文字が書かれた紙だけが残された。
「変わり身の術…!?」
山崎は、自分自身に言い聞かせるようにそう呟いた。忍法風に言えばそうなる。うしろで、カチリ、という音がした。刀を抜いた音だ。山崎が後ろを振り向くと、ジュリアが長めの刀を抜いて、山崎の目の前に剣先を突き出していた。
「だからー、うちは争う気ぃなんかないんやってば」
山崎は首を振りながら面倒そうに両手を挙げる。
「うちはな、タダで何かするの嫌いやから、あんたも何か出せ言うてるん」
「…」
「それにな、うちは忍び相手にしか忍法つかいたくないんや」
「…」
「まあ、美学みたいなもんやな。理屈やない」
ようやく、ジュリアは刀を戻した。よくこんな説得で通じたものだ、と、山崎は、ほっと息をついた。
そして、二人はお互いの情報を交換し合う。
五十年前に天草四郎の封印が解かれた事。
同じく、五十年前の忍びたちの戦い。
「銀髪のガキっちゅうんが怪しいな」
山崎は頭を掻いた。どう考えても怪しすぎる。恐らくは根来の忍び…。あるいはそれに協力する何者かではないか。時期がぴったり重なるだけに、気持ちが悪い。
奇妙な形の絨毯が浮かび上がった。
梟だ。
巨大な梟の爪先の下には、球体が移っている。地球儀。その地球儀を梟がわしづかみにしている。その地球儀の中心には「卍」が描かれていた。かつて、根来衆が僧侶の集団であったことの名残である。その挑発的な絨毯が敷かれた部屋では、安楽椅子に座った、年の頃十二、三、銀色の髪を短くマッシュルーム型に切りそろえ、黒い服に身を包んだ少年が、懸命に水晶玉を見つめていた。水晶には、新選組の様子、ジュリア、天草四郎。それぞれの様子が映っていた。少年は、突然はじけたように笑った。ぱちんぱちんと両手を叩いて、まるで、好きなアニメや特撮を見ている無邪気な子供のように。そして、右手を顔につけて、狂ったように笑うのだった。
それとは対照的に、隣の中年男は、真面目な顔でその映像を見ている。
「新選組と天草四郎がぶつかる時も、もうすぐだね。藤波君」
ひとしきり笑った後で、少年は、思い出したように呟いた。
「それはいけません。四郎は我々と違い旧式ゆえ、調整が必要です。すぐに回収しなければなりません」
「脳の血液を交換しなきゃいけないんだっけ?」
「違います」
意味も無い少年のボケに、男はすぐに突っ込みを入れる。
「朧様。四郎は、あれを飲んでおりません」
朧、と呼ばれた少年は、頬杖をついて、うーん、と考えていたが、突然、頭の電球が光ったのだろうか、目を大きく見開いた。
「…そうだったね。さすが藤波君、蘭学を学んだだけのことはあるね!天才だよ藤波君」
「は…ありがたき幸せ」
「そうか、僕らで飲み尽くして、なくなっちゃったもんなあ…“あれ”」
少年は、いかにも残念だ、という風に、呟いてからため息をついた。
二人の背後に、人の気配がする。
「徳兵衛君、戻ったんだね」
天竺徳兵衛は少年の後ろで平伏した。
「朧様。ただいま、戻りました」
少年は振り返ると、徳兵衛の言葉ににっこりと微笑んだ。この世には無いと言いたいほどの柔らかい美しい笑顔。しかし徳兵衛には、その笑顔が恐ろしかった。
「話は、おうちでゆっくりと聞こうか?」
少年が力を抜いたのだろうか、水晶玉に映っていた像は消えた。
そう、戻るのだ。仲間たちの待つ、麗しい住処へ。かつて我々を討ち果たし、忘却のかなたへと追いやった物たちへ。いや、この世の生きとし生けるもの全てに、復讐をするために…。
(おまけのSS by 若竹)
[※対策会議終了後]
【近藤】トシちゃん、何をしてるの?
【土方】対吸血鬼用の装備を調達して来た。
【近藤】わあ。
【土方】ふっ。ペンタグラムのアミュレットだ。ちゃんと全員分あるぞ。
【沖田】
【原田】装備する場所は『装飾品』の所で良いのね。
【藤堂】ドラクエみたいだね。
【芹沢】でも歳江ちゃん、これって晴明神社のお守り・・・。
【土方】
【近藤】島田くんは何をしてるの?
【島田】刀を対魔コーティングしてるんです。
【斎藤】島田、それ銀メッキ。
【島田】対魔コーティングの方がカッコ良いだろ。
【土方】日本刀の切れ味を残しつつ、吸血鬼に効果があり、かつ銀を節約出来るアイデアが素晴らしいぞ。
よし、島田。モチをやろう。
【永倉】アタイのハンマーもメッキしてくれよ。
【原田】ハンマーは木だからメッキは無理よ。
【永倉】真空蒸着してもらってやる〜(泣きながら去る)
【島田】
【土方】近藤は銃にスコープでも付けてるのか?
【武田】懐中電灯です。
【藤堂】紫外線LED使用で長寿命なんだよ。
【近藤】これで虎徹も対吸血鬼用のUV光線銃に早変わり〜。
【沖田】化け物を一気になぎ払えますね。
【土方】よし、これだけ準備をすれば、吸血鬼、恐るるに足らず!
【近藤】一気に殲滅よ☆
【原田】西坂機関はどうするの?
【土方】無視だ、無視。我々だけで
【芹沢】新選組の強さを世に知らしめるのよ!
【ジュリア】あんたら、勝手にストーリーを変えてんじゃないわよ。