第二話 Underworld

 夜も更けた丑三つ時。
 大きな屋敷の中にシスターが入っていく。見張りの者たちをちらりと見て、シスターは屋敷の扉を音も無く開けた。屋敷に染み付いた黴の臭い。この臭いが、シスターはあまり好きではない。もちろん、そんな臭いを好きな者はあまり居ないだろうが、シスターにとってそれは、故郷の嫌な記憶を思い出させるものだったからだ。故郷の家の臭気。戻りたくも無い臭い。
 自分たちにあてがわれた部屋に入ると、まだ部屋には明かりがともり、一人の青年が安楽椅子に座って本を読んでいる。髪の色は黒いが、髷を結うことなく、ただ伸ばすままにしたような感じだ。扉が開いたのに気づいたのか、青年はシスターのほうを振り返った。かけている丸眼鏡がきらりと光る。
「長官。まだ起きていたのですか」
「当たり前だ。お前のような奴を連れていればそうもなる」
 神経質そうに、青年は、ずれてもいない眼鏡のフレームに指をかけた。シスターは戸を閉めると、その場に正座した。青年は、足の膝の辺りにひじをつき、眼鏡をいじりながら、
「いいか、もう一度言うぞ。我々が、なぜ長崎の隠れキリシタンの里から出るという危険行為を犯したのか、分かるか」
「…我々が封印したはずの吸血鬼が、蘇って京に居るという不確定情報が、佐賀藩の上層部から入ったからです」
「そうだ。だから、私は、西坂機関の長として、切り札であるお前をつれてきたんだ」
 キリスト教を信仰する者はキリシタンと呼ばれているが、秀吉政権、そして今の江戸幕府は、キリシタンを弾圧した。特に江戸幕府の弾圧は厳しく、激しい拷問の末に磔にされた信者も多い。
 そして元和八年に、長崎の西坂で、信者五十五名が火刑と斬首によって処刑された。『元和の大殉教』と呼ばれる。しかしその後も、キリシタンたちは日本各地に潜み、隠れキリシタンと呼ばれながら、しぶとく生きてきた。西坂機関は、その元和の大殉教の地の名を取った、悪魔祓い、異端審問、異教徒絶滅を目的とした実働部隊である。弾圧の歴史の中で、唯一、キリシタンが研いできた、反逆の牙だ。
「しかし、今日のお前は楽しそうだな」
 と、青年は話題を変えた。シスターは、その言葉を聞くと、舌なめずりをし、にやりと笑う。
「新選組と戦いました」
「…京の治安を守るとかいう部隊のことだな」
「この前は、死者との戦いの最中に現れて、鬱陶しいので殺してやりましたが…。今日も現れました。今度は三人も」
「ほほう?」
「新選組の副長の、土方歳江とかいう奴が、強くて、久々に楽しみました」
 青年は頭を掻いて、やれやれ、とでも言いたげに、腕組みをする。
「困ったことをしてくれたな。異教徒が一人死のうが千人死のうがどうでもいいが、新選組は、下手をすると我々と共闘することになるかもしれん」
「本当ですか?」
「肥前守様が忠告してくれたのだよ。“怪しいことに首を突っ込むのが彼らの任務”とな」
「…」
「その場合は、そうしろ」
「…」
 青年は、シスターが目の前に居るにもかかわらず、爪を噛む。癖なのだろう、何回も噛まれた指は赤く染まっていた。
「うまく利用しろ」
「…分かって、おります」
「父と子と精霊の名において」
「アーメン」

 三日後。鍋島肥前守直子は、新選組の屯所をお忍びで訪れていた。
「お久しぶりね。少しは、西洋の力って物が分かったかしら」
 鍋島は、そう呟きながらすぐに葉巻を咥えて火をつけた。
 鍋島直子とは一度、合同で演習を行ったことがある。その鍋島の皮肉を知ってか知らずか、近藤は笑顔で、
「はい、とても強いですね、向こうの武器は」
「うん、まあ…そういうことだけどね…」
 得意げな鍋島の顔が一気に歪む。近藤の傍らに居た土方がにやりと笑いつつ、
「肥前守様。実は…」
 と、三日前の顛末および、生きる死者、ゾンビについて、鍋島に問うた。歪んだ鍋島の顔が更に歪んだ。「佐賀藩の改革は、鉄と血によって成される」という演説をぶったことで、「鋼鉄の処女」「鉄の女」などと噂されている彼女も、嫌なことはあるらしい。
「そのシスターは、西坂機関のジュリアって子ね。ま、洗礼名だけど」
 と、鍋島は、西坂機関のこと、隠れキリシタンの里のことを話したのである。これには近藤も土方も度肝を抜かれた。キリシタンを匿っていると知られれば、佐賀藩は間違いなく取り潰しだ。
「ど、どうしてそんなことを…。幕府に知れたらどうなるか…」
「それに、なぜ鍋島家がキリシタンを匿うんです?何か意味が…」
 と、近藤と土方の口から同時に出た疑問に、鍋島は少しずつ答える。
「密貿易を行うには、交渉人が必要だから。彼らは向こうの国の言葉も話せるし、文化も知っている。宗教も同じだしね。もってこいってわけ」
 と、一呼吸置いてから、
「私は彼らを匿っている見返りとして、密貿易が出来る。幕府に知られる前に、ジュリアや、他の西坂機関の者が皆殺しにしてくれるし。彼らはカトリックの聖騎士(パラディン)であると同時に、佐賀藩の傭兵でもある。ま、私が生まれる前からそういう体制だったって話だから、今の今までずっとバレてないってことね」
 しかし、相当危ない綱渡りである。
 開いた口が塞がらない。そんなあくどいことをやっていたとは。堂々と幕府に反逆している。いや、幕府の力がここまで弱体化したということなのかもしれない。近藤と土方は、何も言う気にはなれなかった。
 その情報は、昨夜、山崎が土方にもたらしてくれた情報と、まったく同じだったのだ。鍋島の話は嘘ではない。
 そして、山崎の話が本当ならば、彼らは、隊士を一人殺している。
「では、実際に、話をつける必要がありますね…。西坂機関の長と」
「ああ、そう?ちょうど、彼らからもそういう話があったのよ」
 近藤が、心配そうに土方を見つめる。
「トシさん」
「近藤。お前はいい。私が行く」
「…」
 鍋島は、一瞬だが、土方の目に恐怖した。

 京都。
 この場所で、寺や神社と関係ない場所など見つけるのが難しいものだ。しかしなぜか、西坂機関は、八坂神社で交渉するよう要請してきた。土方は、山崎と沖田を少し離れた場所に潜ませると、腕組みをして相手の到着を待つ。
 かつ、かつ、という独特の足音を立てて、その者はやってきた。少し長い髪を短く束ね、眼鏡を右手の人差し指で触っている。真っ黒い洋装が良く似合っていた。土方が、その者を睨みつけると、青年は罰が悪そうに少し笑いながら、
「これは…失敬、時間を間違えましたな」
 青年の和やかな言葉に、土方は無言で相対した。青年は土方を見つつ、少し近づいた。
「西坂機関の長をやっております。中浦レオンと申します…レオンは洗礼名で、本名は弥次郎というんですけどね」
 長官という割にはずいぶん若いな、と、土方は思った。
「一体、どういうことだ。貴様」
「いや、まあまあ、落ち着いてください」
 中浦はそう言いながら、両手を相手に見せて、降参、とでも言いたげだ。しかし、土方は、その裏に何かがあると信じて疑わなかった。
「落ち着かずにいられるか…!貴様らは隊士を一人殺害したんだぞ!」
「…知るか」
 中浦の突然の一言に、一瞬、土方は凍りついた。中浦は、先ほどとはまったく態度を翻して、土方を睨みつけている。
「なんだと!?」
「…異教徒が何人死のうが知ったことか。死にたくなければ話を聞け。メス豚共」
 土方が刀を抜く瞬間に、沖田が土方の前に出ていた。既に刀を抜いていて、その切っ先は中浦に向けられている。しかし中浦は、その狂的な目つきを向けたままだ。
「私もあれからいろいろと調べましたよ。ふふ…噂にたがわぬ剣豪たちですな」
「お世辞は別にいいです。…死んでください」
「私は話をするためにここに来た…ですが、これでは、話など出来ない」
 山崎は見ていた。八坂神社の屋根の上に、両手に小太刀を持ったシスターが、仁王立ちしているのを。
「そーじ!上や!」
 ごおお、という風を切るような音が聞こえたような気がした。それほど早く、例のシスターが中浦の前に下りてきたからだ。シスターと沖田は対峙した。がちり、と、小太刀を例の十字架の形にし、シスターは沖田を睨みつける。
「ジュリア。このまま動くな。私はもう一度、土方歳江と話を…」
 中浦の言葉が途中で止まった。
 その背後で山崎が、鋭い仕掛け針を、中浦の首筋に今にも突き刺そうとしていたからだ。中浦はその気配に気づいたのだろう。楽しそうな目で土方を見つめた。土方は自嘲気味な笑みを浮かべ、
「これでおあいこだな…キリシタンの屑共」
 その一言で、中浦の緊張がそがれた。
「先に戻ります」
 カチャリ、という音を立て、ジュリアは小太刀を戻すと、土方に背を向け、足取りも軽やかに歩いてゆく。それが合図のように、沖田も刀を、そして、山崎も針を懐に戻した。
「死者が蘇る。その謎を君たちは解きたいわけだ」
「そういうことだ。貴様らは、化け物退治の機関だと聞いた。お手の物だろう」
「私たちは、それを追って長崎からここまで来た」
「では、そのゾンビを操っている奴は何者だ?」
「吸血鬼・天草四郎」
「なにっ!?」
 そう、声をあげたのは、山崎雀であった。
「天草四郎…。島原の乱の指導者だな」
 土方が、確認を求めるかのように言うと、中浦は頷いた。寛永十四年に九州で起きた、大規模なキリシタンの反乱だ。一概にはキリシタンとも言えないのだが、ここでは便宜上、そうすることにする。
 原城に立てこもった反乱軍は、老若男女、皆殺しに遭った。天草四郎もまた首を斬られ息絶えた。
 しかし、何故だ?分からないところが多すぎる。中浦は人差し指を眼鏡に当てて、ぶるぶると首を振った。これ以上は言えない、というより、分からない、というジェスチャーだろう。
 どうにもこうにも謎が多すぎる。

 夕方頃より、ぽつ、ぽつ、と、雨が降ってきたのが、夜がふける頃には土砂降りとなった。山崎は番傘を差し、一人、屯所を離れた。今頃屯所では、近藤と芹沢、そして土方が、今後について話をつけているだろう。山崎はまだ調べたいことが山ほどある。とにかく怪しいところを虱潰しに当たるしかない。
 雨が降ったせいで、異様な熱気とともに、ねっとりとした非常に嫌な空気が周囲を包んでいた。月明かりの中で、山崎だけが、一人、町を歩いている。ゾンビどもに囲まれても逃げる自信はあるが、少々さびしいようにも思えた。
「忍びの者やな…?伊賀か?甲賀か?」
 妙な気配を感じた山崎は、後手にクナイを構える。目の前に、びちゃ、という水っぽい音を立てて、何かが落ちてきた。一匹の茶色いヒキガエルが、月明かりにうつり、げろ、げろ、と鳴きながら、こちらを見つめている。
 山崎は唾を飲み込んだ。一瞬、間をおいて、ぽん!という音と共に、そのヒキガエルから煙が上がり、そこから長身の美丈夫が出現した。目元は涼やかで爽やかな顔立ち。左目が髪で隠れ、ずいぶんとゆったりした茶色い服を着ている。
「貴様…何者や」
「天竺徳兵衛…。根来の客人だ」
 間髪を入れず男はそう名乗った。
 紀州の葛城山の中腹に、根来寺というのがある。平安の末期に栄えて大寺院となり、おびただしい僧兵を擁していた。いつのころからか、忍法という奇怪な特殊技能を持った武力集団として知られるようになる。
 根来の忍びはそれぞれが肉体を改造され、動植物、そして昆虫の能力を持っている、という特徴がある。彼らは、改造忍者による日本征服を企んでいたと言われる。
「なにっ…根来やと?」
「喋り過ぎたな」
 徳兵衛の体から、白い煙のようなものが沸き立ち、広がっていく。しまった、近づきすぎた、と思った頃には、もう、山崎の体はぴくりとも動かなかった。
「根来忍法・痺れ蝦蟇。…ゾンビの群れに喰われるがいい」
 そう捨て台詞を吐くと、徳兵衛は素早く身を翻した。また、ぼん!という衝撃音がし、徳兵衛は煙の中に消えた。
 ざっ、ざっ、と、行進をするかのような足音が聞こえる。奴らだ。ゾンビの群れがこちらに近づいてきている。逃げようにも体が動かない。目が見える分、恐怖の度合いは大きかった。
 そんな時、遠くのほうで乾いた音が聞こえたかと思うと、目の前のゾンビの一団が爆発を起こした。がらがら、という、車輪を引きずるような音も背後から聞こえる。
「やっほ〜、助けに来たよ」
 大きな声が聞こえた。新選組局長・カモミール・芹沢の声だ。
 そして、また、短い銃声と共に、山崎の近くに居た数体のゾンビの頭が破壊された。
「雀ちゃん、大丈夫?体、動かないの?」
 虎徹を構えた近藤がかけよってきて、山崎のほうを見やった。
「すんません、ちょっと油断して…」
 と言いながら、山崎の頭の中には大量の疑問符が泳いでいた。

「…楽しいな」
 一人の男が、安楽椅子に座って、大きな水晶玉を覗き込みながら、愉悦を浮かべた表情でそう言った。その男は、両手を何度も叩き、笑いながら、楽しい、楽しい、と子供のように繰り返す。
 大きな水晶玉には、行進を続けるゾンビの群れと、赤いマントを羽織った一人の青年…天草四郎の姿が映っている。そして、その近くに、新選組の近藤勇子、カモミール芹沢、そして土方歳江の姿もあった。
「これで目的は達成されたようなものだ」
隣に立っている背の高い男は首をかしげる。今、我々が頭領と呼ぶべきこの男は、何を言っているのだろうかと。
 分が悪い。
 天草四郎と天竺徳兵衛だけでは、京を完全に破壊することも出来ないだろう。
「しかし…なぜ、二の手、三の手を出さないのですか。このままでは…」
「いいんだよ。こうすれば伊賀が動く。甲賀も動く」
「は…」
「作戦を続行しよう」



(おまけのSS by 若竹)
【土方】肥前守様。実は…
 と、三日前の顛末および、生きる死者、ゾンビについて、鍋島に問うた。
【鍋島】実は、ゾンビ化ガスが漏れちゃったのよ。
【土方】ゾンビ化ガス?
【芹沢】トライオキシン245ね!
【土方】なんだ、それは?
【武田】1969年にアメリカ陸軍が開発した死体をゾンビ化するガスです。
【土方】鍋島様、なぜそのような物騒な物を…?
【鍋島】何かに使えないかと思って輸入してみたのよ。
【芹沢】何に使うのよ、そんなもん。
【鍋島】迷宮入りした殺人事件の犯人を聞けたり、便利そうだと思わなくて?
【近藤】じゃあ、龍馬のお墓にかけてみよーっと。
【土方】近藤、余計な事をするんじゃない!


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