まかいてんしょー

第八章 新たな再会

「…ッ!」
 深夜。土方は飛び起きた。
 体中に汗がべったり纏わりついている。まるで、匙で目玉を抉り出されるような。ナイフで傷口を延々と弄ばれるような。嫌な感覚が土方を襲っていた。
「ちッ…またか」
 乱れていた呼吸が、徐々におとなしくなってくる。近くにある手ぬぐいで顔を拭くと、土方はまるで魂が抜けるかのような、大きなため息を一つした。それと同時ぐらいのタイミングで、扉が開き、伊東が入ってくる。
「…山南はんと坂本がやられたそうや」
「ああ」とだけ言う土方に、伊東は近くに座って、やれやれ…と呟く。
「仲間が死んだのにつれないな」
 数秒の沈黙があった後、伊東の口がもう一度動いた。
「どうやら山南はんは、坂本に裏切り者として殺されたようやな」
「…となると、以前山南が言っていた事は正しかったといえるのか?」
 伊東はゆっくりと首を振った。
「知らん…が、あいつらは恐らく帝都への攻撃を考えておらんやろな」
 土方は鼻で笑った。
「…伊東さん、ちょっと頼まれてほしい」
 その土方の言葉に、伊東は微笑んで見せた。
「…あんたが、うちに“さん”つけたの、初めてとちゃうか」
 土方は急に真っ赤になって、顔を左右に激しく振る。何かを否定したかったようだ。それはさておき、眠っている沙乃を尻目に、土方と伊東は密談に入った。

 さて。時間的には前後する事になるが…。
 ちょうど、島田たちが宿で真言立川流云々などと話していた頃。
 山崎はとっくの昔に竹林を抜けて、第二の結界があるらしい、山道に入っていた。先ほどの竹林とはうって変わって、足元は砂利と砂地が混じったような平坦な道である。しかし、ベトナム戦争のように、いきなり穴の下に竹槍がある、なんて事があるかもしれず、油断は出来なかった。
「…どうやら死人蝙蝠を倒したようだな」
 そんな声が周囲に響いたので、山崎は立ち止まった。声のせいもあるが、自分の目の前に広がっている「地面」に、妙な違和感があったからである。山崎は飛びあがり、少し離れた場所に降り立った。がばっ、と、山崎が立っていた一帯が陥没し、その中から一人の人間が飛び出てくる。やはり、奇妙な風体の忍者だ。体色が真っ白で、口からは牙が突き出ている。
「根来再生衆の二、地蜘蛛十郎」
 ん〜、と呟いてから、山崎は頭を掻く。という事は、この先に結界があるという事だ。なんという分かりやすい設定だろうか。まあ、Vシネマのお色気時代劇なんてものはそういうもんである。何を言っているんだか。
 何はともあれ、山崎は仕掛け針を抜くと、口に咥え、様子をうかがった。地蜘蛛十郎は無口な男らしく、何も言わずに回転すると(一応。根来忍法“地蜘蛛遁”である)、地面に潜っていってしまった。敵はこのまま地中で気配を消し、自分を始末するつもりなのだろう。
「その程度の忍法で…うちと戦おうなんて、百年早いわ!」
 山崎は、手を自分の目の前で交差させると、
「伊賀忍法…山颪やまおろし!」
 とたんに、山崎を中心として竜巻が出来た。風が、その物凄い勢いで砂利や砂を飛ばしていく。姿を曝け出した地蜘蛛十郎に、容赦なく山崎は針を突きたてた。
「時間が無いんや。分かってくれへんかなあ…」
 ふう、とため息をついて、山崎は呟いた。

 夜が明けてずいぶん経過したが、芹沢たちが宿泊している宿は静かだ。それもそのはず、斎藤と島田が戻ってきていないのである。もしや…という思いが拭いきれない。
「…変じゃない?」
 どんよりとした長い沈黙の中で、不意に芹沢が呟く。
「斎藤君が行ったのなら、奴らにとってはルール違反のはず。しかし、それらしい動きは起きていない…」
「連絡役らしい、坂本龍馬が死んだ…という事ですかね」
「二度死ぬっていうのも変な話だなあ」
 変な顔をする新は、まだ今までの出来事が信じられないようにも見える。そのまま、腕を組んでうつむいていたが、突然目を見開くと、立ち上がった。
「アラタちゃん。…死なないでね」
 何が起きたのか、察した芹沢がそう呟く。もう、新の頭には何か映像が見えていたようだ。
「…うん。分かってる」
 そう短く言って、新は駆け出して行った。それを確認すると、芹沢は立ち上がった。怪訝そうな顔をする如月を見て、芹沢は口を開く。
「あたし、島田くんと斎藤くんを探しに行くわ。…あなたは、すずちゃんのところに行ってあげて。どうせ場所知ってるんでしょ?」
「ええ、まあ。それは構いませんが…連絡はどうやって?」
「携帯電話ぐらい持ってるでしょ!」
「…それはそうですけど」
「じゃあ、それでOKね」
 如月が何か言う前に、既に芹沢は走って行ってしまっている。
「…さっさと結界壊せって事ね」
 如月はそう呟いてから、ふう、とため息をついた。

 体が震えるのは、その日が少し肌寒かったせいではない。
 今から出会う相手への恐怖。それだけが、新の頭の中にあった。
 足をふらつかせながら、どこかへと向かっている。風景から新にはその場所がどこか分かる。長い坂を上った後に、目指す清水寺があった。行きたくはなかった。まるで、体育のマラソンの授業を嫌がる子供のように、新は坂で何度も立ち止まり、後ろを振り向いた。しかし、どうしても行かなくてはならないようだ。それに、相手も自分をずっと待っていることだろう。意を決し、新は駆け出した。
「アーラーター!遅かったわねー!」
 通称「清水の舞台」などと呼ばれている場所。そこに、女が立っている。ずいぶんと背は小さく、新が居るところからは良く見えなかったが、声の調子で新は誰か分かった。
「沙乃…」
 一瞬、体が止まった。
 沙乃がこちらを向いて、得意げな顔をして立っている。
 一瞬帰ろうか、と思った。しかし、先に進まなければいけない。目の前の沙乃は、もう人間ではなくなってしまっている。蘇らされ、魔人の一人に成り下がったのだ。沙乃をこんな風にした奴が許せない…そう言い聞かせて、新は本堂まで駆けていった。
「待ちくたびれちゃうわよ、もう」
 ぶすっとした顔で沙乃が呟く。拍子抜けした新は、しばらく頭を掻いていたが、やがてゆっくり息を吐くと、何かを決めたような表情で沙乃を見た。
「試衛館で、どっちが強かった?」
「五分五分じゃねえのかな…」
「あっそ。じゃあ、どっちが勝ってもおかしくないってことね。沙乃が勝つけど」
 沙乃が槍を新に向けるのと同時に、新も刀を抜く。
「いいや、このあたいだな」
「なんでよ」
「…正義は勝つ!って言うだろ。言わない?」
 屈託のない笑顔で新が言うと、一瞬沙乃の槍を持った腕が震えたように見えた。また、新は躊躇する。彼らの組織は、政府の転覆を狙ってはいるが、それは士族たちの反乱ではない。ただ、「自分の宗教で日本を統一する」ための転覆だ。そこに正義はないと新は思っている。それはただの歪んだ欲望、言ってしまえばわがままだ。沙乃はそれを知っているのか?
 しかし、それを問いかけるよりも早く、沙乃は槍を繰り出してくる。清水の舞台を横に、鋭い突きを繰り出してくる沙乃と、それを避ける新という戦いが繰り広げられた。しかし、沙乃の突きは鋭いが、なぜか、新を避けているようにも感じられる。狙いが定まっていないのだ、と新は思った。沙乃は迷っている。
 何十回目の突きが、新の顔の側を掠めた時。
 そこで、槍が止まった。
「もう…もう無理!」
 槍をまるで投げ捨てるかのように、槍を握っている手が少し緩み、新の肩を槍の柄がなぞるようにして、落ちる。それとほぼ同時に、どさ、という音を立てて沙乃がその場にぺたんと座った。
「…どうしたんだよ?」
 新もしゃがんで、沙乃の目線になってそう言う。沙乃の顔が次第に赤くなると、大粒の涙がこぼれた。両手はぎゅっと握られ、震えたままだ。
「やっぱり…無理よ。もう、こんな戦いに意味なんかないよ…!」
「…知ってたのか。あいつらがやろうとしていた事を」
「や、や、山南さんが言ってた…」
 沙乃の泣き方は第二段階に入り、顔を痙攣させるようにしながら泣いている。あんなに強気だった沙乃が…と、新は思った。
「も、もう少ししたら…坂本が来て…」
「いや、坂本は死んだよ」
「…えっ?」
「沙乃。今からでも遅くない。あたいと一緒に、奴らを倒そう」
「…」
 沙乃はまるで貝のように、唇をぎゅっと閉じる。
「知ってるんだろ?あいつらは、明治政府を倒して、幕府をやり直すなんてこれっぽっちも考えちゃいないよ」
「…怖いの」
「えっ?」
 沙乃の口から意外な言葉が出てきた事に、新は単純に驚いた。
「…本当に…怖いの。あいつら…何考えてるか分からないし…」
 自分の中に“怖い”という感覚が生まれている事に、沙乃自身驚いている。自分は、これまで死をも恐れぬはずではなかったのか。自分は一度死んでいる。二度死ぬ事など怖くは無い。だが、これはどういう事だろう?
 沙乃の中に、新しい何かが生まれようとしていた。
「じゃあさ、あたいと一緒に逃げよう」
「…」
「大丈夫だって。芹沢さんには後で伝えるから」
「…来てるんだ」
 今まで泣きはらしていた沙乃が、初めて若干の笑顔を見せた。

 如月勘十郎は山道を急いでいる。
 確かに芹沢の言うとおり、場所は分かっていた。ポイントを山崎から教えてもらっていたからである。それが確かならば、山崎の考え方からいって、最後はこの場所にするはずだ、という、長い事山崎とチームを組んでいた如月の勘だ。
「もう少しのはずなんだが…道間違えたか…?」
 そう呟きながらきょろきょろと首を動かしていると、背後に気配を感じる。
「遅かったやないか、如月」
 そんな声が聞こえ、如月は振り返った。確かに山崎がいる。
「最後の結界が堅固でな、うちじゃ難しいんや。手伝ってくれへんか」
「いや」
 なぜか如月は首を振る。
「なんでや?」
「俺は、“本当の山崎”としか組まない事にしてるんでね」
「な…何を」
 さっ、と山崎の顔が変わる。
「馬鹿だなお前は。俺ぁな、てめぇよりずっと前から山崎の事知ってんだよ。てめぇと山崎じゃ気配が違いすぎらぁ」
「…」
「さっさと化けの皮ぁ剥いで、かかってこいよ」
 山崎が右手で顔をなぞると、山崎の顔が消えている。そこには何も無い。まるで卵のように、目鼻がないのだ。修羅場を潜り抜けてきた如月でも、これはさすがに驚く。一瞬後ろに引き、刀に手をかけた。
「…根来再生衆の三、傀儡隼人。俺の“傀儡化粧”を良くぞ見破った。しかし、これの真の恐ろしさ、貴様はまだ味わっておらんぞ」
 どこから喋っているのか分からないが(なんせ口が無いのだ)、声だけは聞こえる。
「寝言言うんじゃねえよ馬鹿野郎。ぼやぼやしてると叩っ斬るぞ」
 如月の背後に一陣の風が吹いた。しかし、如月は振り向かなかった。相手が誰か分かっていたからである。
「久しぶり」
 山崎はそう呟くと、懐から針を取り出してすかさず口に咥え、如月の隣に回った。傀儡隼人は何かごそごそとやっていたが、今度は左手で顔をなぞる。その瞬間、立ち振る舞いや姿かたちが完全に変わった。
「な…!」
 山崎が声をあげた。
 如月と山崎の目の前に、もう一人の山崎がいる。またしても、傀儡隼人は山崎に変身した。根来の忍法である傀儡化粧は正に魔法のような術で、相手の姿を完全に脳に記憶させてから、不思議な粉を手につけて自分の顔をなぞる。その代償として、手術をしたもともとの顔は完全に消えてしまうが、相手の姿になることが出来るのだ。しかも、姿を真似るだけではく、相手の身体能力、つまり、相手の技さえも自分の物に出来るのである。傀儡隼人の言う「真の恐ろしさ」とはこれであった。
「ふふふはははははは…!根来、そして伊賀の忍法を使える俺に、お前たちが勝てるわけが無い!」
 傀儡は手をクロスさせると、「忍法、竜巻地獄!」と叫ぶ。傀儡の方向から巨大な竜巻が、物凄いスピードで如月たちの方へと向かった。もっとゆっくりならば避けることも出来たのだろうが、竜巻は早い。山崎に直撃し、後ろの方に吹き飛ばされる。どうやら骨が折れるのは免れたようだが、全身が酷い打ち身をしたように感じた。山崎はゆっくりと起き上がると、なぜか、咥えていた針をしまう。そして、首を横にゆっくりと動かしてから、傀儡を睨みつけた。
「んな事聞いてる暇ぁ無いのや。奥義、使わせてもらう」
「奥義?」
 如月と傀儡が、同時にそう呟く。
「如月、後ろに退け。…あんたも術にかかるかもしれへん」
 その声を聞いて、如月はゆっくりと後ろに下がる。傀儡を見ながら、スキを見せないように。一方の傀儡は、侮ったのか逆にゆっくりと近づいてくる。
「馬鹿なことを言うな。お前の技は全て知っている。お前は全身が傷つき、飛び上がって俺の首に針を刺す事も出来まい。諦めろ」
「いんや。この状態でも出来る技があるんや。…奥義やからなぁ」
 すう、はあ、と、ゆっくりと深呼吸をしながら山崎が言う。
そのうち、山崎の口から大き目の丸い形をした妙な物が出現し、飛んでいった。一つや二つではない。いくつものシャボン玉のような物が、傀儡の方向へ飛んでいく。
 …これは…何だ?
 傀儡は薄気味悪いと思い、そのシャボン玉を手で突こうとした。しかし、その手はシャボン玉にくっついた。離れようとするが離れない。そのうち、傀儡の手に付着していたシャボン玉が大きくなり、傀儡はその中に閉じ込められてしまった。中から手裏剣や小刀で切りつけようとするが、シャボン玉は、ぼよん、ぼよん、と跳ね返してしまう。
「忍法…夢幻回帰」
 合掌をした山崎が、口を閉め、それからそう呟いた。あちこちに飛んでいたシャボン玉が、傀儡のものを除いて全てはじける。傀儡は呆けたような顔をして、ゆっくりと仰向けに寝転んだ。それを確認したかのように、傀儡を包んでいたシャボン玉がはじけて消える。
「おぎゃあ」
 傀儡がそう泣いた。
 おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ…
「な…!」
 如月も仰天するほど異様な光景である。傀儡隼人はまるで幼児のように、寝転んだまま泣き続け、時折、唇をまるでおしゃぶりでも咥えたかのように動かし、また泣く。山崎がゆっくりと歩き出し、針を傀儡の体の急所に突き刺すと、泣き声は止まり、傀儡の体は風化していった。
「…仕置…完了や」
 そう呟いて、ゆっくりと倒れる山崎を、如月が走っていってしっかり抱きとめた。
「もぉ、精も魂も…尽き果てたわ」
「おんぶして行くよ」
 山崎は何も答えず、そのまま如月の背に乗っかる。
 夢幻回帰。ある呼吸法によって、特殊なシャボン玉を口から放出する。シャボン玉に包まれた者は精神が退行し、最後には赤ん坊のようになってしまう(恐らく、シャボン玉をはじけさせる事で暗示をかけるのであろう)。赤ん坊になれば、戦闘能力はおろか、動く事さえ出来ない。夢幻回帰は、大勢の敵に囲まれた時に、敵全てを行動不能にするという恐ろしい技だ。
「…そりゃまた、大層な技ぁ使いやがったな」
「すまへんな、…今は動けん。もう少しすれば…」
「分かってるさ。後は結界を解除して…その後は、連絡すればいい。…全ては、終わりへと向かっている」
 そのまま、如月は走っていく。
「なあ…山崎」
 そう、如月は呟いた。しかし、答えは無い。寝ているのか、と思い、如月は続ける。
「…昔は…良かったよな」
 如月はそう呟くと、結界に向かって走っていった。
 …それがちょうど、芹沢が島田たちと会う十分前。


(おまけのSS by 若竹)
【土方】 ふむ、冷静に考えると傀儡隼人が如何な変装術の達人とは言え、
      そもそも男が女に化けるのには無理があるのような気がするな。
【島田】 そうか! もともと山崎に胸がないから男が化けても分からなかったんだ!
【山崎】 なんやてーーー!!!
【斎藤】 きっと胸に詰め物か何かをしてたんだよ。
【芹沢】 ってゆーか、傀儡隼人って、変装というか、女装よね。
【永倉】 変態だよなー。
【島田】 よかったな、斎藤。お仲間がいたぞ。
【斎藤】 ぼ、僕は違うよお!(泣)
【山南】 待て、みんな。傀儡隼人が男だとは、原稿のどこにも書いてないぞ。
【島田】 でも『俺』って一人称を使ってますよ?
【山南】 男言葉を使う女ならいくらでもいるじゃないか。
【島田】 なるほど・・・。
【永倉】 そこでアタイを見るなよ。
【伊東】 ちゅうことは傀儡隼人が女の可能性もあるわけやな。
【島田】 女が女に化けるのは簡単だが、逆に男に化ける場合はどうするんだろう?
【原田】 決まってるじゃない。サラシを巻くのよ。
【島田】 なるほど!
【近藤】 でも、これって、そういうワザだったのかな?


近衛様まで感想をどうぞー。

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