まかいてんしょー

第四章 剣鬼二人

 黒雲が、あっという間に空を覆った。真っ暗なのは、夜だから当然だが、雲のせいで星一つ見えない。さっきまで晴れていたのに…と、芹沢は首をかしげた。
「あなたは文久三年の六月に、五条河原で殺されたって…死体、私も見てるのに…」
 あっという間に、全身に鳥肌が立ち、顔から汗が流れ始めた。当然である。確実に死体を見ている。首から胴体が離れた死体を見ているのに、なぜ、目の前にいるこの女は、生きているのか。しかも、幽霊ではないという。
「確かに…私は、あなたの言うとおり、五条河原で…」
 そこまで言ってから、仏生寺が目をつむると、血のような赤い色をした涙が滴り落ちるのを、芹沢は見た。

 仏生寺弥生子、この人物について説明せねばなるまい。元々彼女は、越中射水郡仏生寺村というところの出身で、武士ではなく農民の子である。江戸へ出たところ、斎藤弥九郎と同郷だったという縁があって、練兵館の風呂焚きに雇われた。
 その後、薪を持って剣術の真似をしていたところ、それを見ていた弥九郎が「筋がいい」と誉め、風呂焚きの傍らで修行をしたという。斎藤弥九郎や岡田十松の手ほどきを受け、あっという間に免許皆伝を取ってしまい「練兵館の天才」と言われた。この時、名前が「弥生子」だけでは恰好が付かないというので、故郷の村の名前を苗字にしたのである。
 芹沢はその頃、同じ江戸の戸ヶ崎熊太郎という神道無念流の達人に師事し、練兵館にも良く練習試合のため行っていた。その時に、仏生寺と出会い、試合を行っており、その剣術に驚嘆したものであった。ちなみに、試合は仏生寺が全勝している。試合ではそんな結果だったが、二人の仲は良かった。
 その後、仏生寺は京の尊攘派の浪士に雇われたが、京の豪商から三百両を横領した事が明らかとなり、五条河原で惨殺された、と芹沢は聞いていた。

 芹沢は、仏生寺が蘇ったというのはようやく理解したつもりだったが、なぜ自分に恨みを持っているのかは理解できなかった。試合は全部仏生寺が勝っていたし、芹沢は、仏生寺に何も悪い事はしていない、と思っていたからだ。
「どうして…どうしてあなたが、あたしに恨みを…」
 その言葉には答えず、仏生寺はゆっくりと階段を下りていく。どんどん間合いを詰めているのだ。震えを感じながらも、芹沢は現実に勝とうとした。このまま、動揺していては殺されてしまう。こんなところで死ぬわけにはいかないのである。
「あなたは恵まれていたわ」
 少しの沈黙の後に、ぽつり、と仏生寺は言った。
「…どうしてよ。練兵館の天才って言われたあなたが、どうして」
「それが嫌だったのよ!」
 血のにじむ、まるで百舌のような目で、仏生寺は芹沢を睨みつける。ぎりり、と歯を食いしばって、まるで苦しみに耐えるかのように。
「私は農民だったから…みんなにいじめられたし、ずっと仲間はずれにされていたわ。免許皆伝を得た後だって、練兵館じゃ異物として扱われてた。私に友達なんて誰一人もいなかった!」
 彼女はずっと孤独だった。
「だから、練兵館を抜けて、京に出たのに…」
「でも、あなたは」
「三百両横領した?…あれはね、あいつらにいいように扱われてたのよ。あいつらは確かに、“攘夷のための資金調達”と言っていたわ。でも、いざとなったら、簡単に私を裏切った挙句、私を悪人にした。大勢で私を犯して…殺した」
 芹沢は沈黙した。
 晒された仏生寺の首は、既に判別できなかったというから、大勢に斬られた、ぐらいにしか芹沢は思っていなかった。練兵館では、免許皆伝を取ってから常に冷静沈着で、一撃も傷を負うことの無かった仏生寺。しかし、一対一の試合だけをし、大勢との戦いを経験しなかったのが、彼女の敗因と言えるだろう。
「弥生ちゃん…」
「そいつらは、転生してからすぐになぶり殺しにしてやったわ」
 一瞬だが、時が止まったかに思えた。
「そして、最後は、あなた。…これで、私の復讐は完結する。後は、命令に従うのみ」

「命令って、誰の…」
 その問いかけに仏生寺は沈黙で答え、そのまま芹沢に向かって突進した。仏生寺の剣さばきは凄まじい。そのまま突きかかり、横に薙いだ。だが芹沢もただ突っ立っているわけではない。素早くそれを持っている木刀で受け、はじいた。今度は上から来る仏生寺の刃を、また、芹沢は受ける。
 …三十三間堂で、木刀を持って相手と戦うなんて…。まるで武蔵みたい。
 鍔迫り合いを続ける最中、こんな事を芹沢は思っていた。自分が戦いを楽しんでいる。生きるか死ぬか、命のやりとりを楽しんでいる。もう、戦争は終わったというのに…。
「ちいいいいっ!」
 大声をあげて、両足をばねのようにし、仏生寺は大きく跳躍して、そのまま回転するとまた着地した。生前も出来たのか、「転生」してから出来るようになったのかはわからない。しかし、あの道場で見た冷静さ。あれを大分失っているのではないか、と芹沢は感じていた。思えば彼女は一度死んでから、その恨みだけで蘇ってきているのだ。冷静になどなれるだろうか。恨みだけで体を動かしていれば、冷静になどなれるはずがない。
「…弥生ちゃん。悪いけど、それは違うわ」
 まるで、悪さをした子供を諭すかのように、芹沢は言った。
「あたしが恵まれていて、あなたが恵まれていなかった、ですって?そんな事を考えていて、なんであたしに相談しなかったの…?あたしたち、友達じゃなかったの!?確かにあたしは練兵館にはいなかったわ。でもさ、ずっと一緒に話してたじゃない!」
 はっ、とした顔を仏生寺がするのを、芹沢は見た。
 動揺している。
「あなたは、プライドが高すぎたのよ。あなたは、免許皆伝を得てから、自分以外を見下していた。だから、悩みを打ち明けられないで、一人で苦しんで…」
「…黙れ。黙れ黙れ黙れ黙れえええええっ!」
「来なさいよ。あなたの迷い、あたしが解放してあげるから」
 もはや、芹沢の顔から迷いは消えていた。そのまま、ゆっくりと歩いていき、両手を広げ、仁王立ちした。それに呼応するかのように、仏生寺はまた、突進してくる。片手に刀をもったまま、突っ込んできた。
 …これは、横に薙ぐ。
 一か八か、の賭けだ。神道無念流免許皆伝、岡田十松から秘伝を教わったとされる仏生寺の剣、どこまで読めるか。
 しかし、今は、やるしかない。
 仏生寺の太刀が、芹沢を襲ったその刹那。
「ぐはっ」
 飛び上がった芹沢が持っている木刀が、仏生寺の脳天を直撃していた。つまり、鉄心があり、船の櫂を削って作ったという硬い木刀が、芹沢の人並み外れた力によって脳天に叩きつけられたのである。仏生寺は脳天から血を流しながら、後ろへと倒れた。
 その血に塗れた芹沢は、まるで救いを乞うかのように、天を見つめていた。
「…私を…倒したからといって、貴様らは必ず死ぬ…まだ、復活した剣豪はたくさんいる…」
 そんなうめき声を仏生寺が発している事に、芹沢は気づいた。
「だとしても。あたしたちは前に進むしかないの」
 仏生寺に顔を向けて芹沢は言う。仏生寺の炯炯としていた目が、一瞬、穏やかになった。
「もっと前から…カモちゃんと出会っていれば…」
 そのまま、口が動かなくなった。彼女は最後まで過去を見て未来を見る事はなかった。

 今、仏生寺弥生子は、再び死んだのである。芹沢が抱き上げようとした瞬間、仏生寺の死体は少しずつ風化していき、その場には、額に十字の印がついた頭蓋骨だけが残った。
「弥生ちゃん…」
 芹沢は、悲しみとも怒りともつかない、奇妙な感情に支配されていた。

「仏生寺弥生子、果てたか…」
 御伽兵部は、自分の部屋にある八本の蝋燭を見ながら、そう呟いた。ずっと火を灯していた蝋燭のうち、一本が消えている。
「死にましたか」
 後ろにいた藤波がそう呟くと、御伽はそちらに向き直って、頷いた。
「既に、彼らはすぐそこまで来ているな」
「はっ。それと」
「なんだ?」
「政府の密偵により、情報がどうやら漏れたようです。申し訳ありません」
 頭を下げる藤波に、御伽は首を振った。
「いや、情報が漏れたとしても、彼らの強さは揺るがん。しかし、誰が復活したかという情報が、京にいる連中にも知られれば問題」
 御伽は立ち上がった。
「そのために、忍びに頼んで結界を張らせておいたのだ。これ以降、京の町は通信回路が麻痺し、外部との連絡がとれなくなる」

 御伽の言う通り、如月は何度も川路の携帯に電話をかけたが、つながる事はなかった。

「どういう事だよそりゃ!やっぱり坂本龍馬は生きてたってことか?」
 そう叫ぶ新が、全員の心の叫びを代弁していたと言っていい。死んだ人間が生き返る。ホラー映画ではないのだ。そんな事があるはずがない、と、彼らは思っていた。
 そう話している間、足音が聞こえてきたので、彼らは耳を澄ました。
「やっほー…」
 すっ、と襖を開けて、芹沢が入ってきた。傷を受けている様子は見られない。しかし、顔を見る限り相当疲れているようだ。
「カモちゃんさん!」
 島田が近寄るが、そのまま、芹沢は島田に抱かれるようにして倒れこんだ。
「カモちゃんさん!どうしたんですか、カモちゃんさん!」
「見た感じ、疲れてるし…精神的にまいってるようやな。そのまま寝かせとき」
 いつの間にか背後に回っていた山崎がそう呟く。
「うわ、木刀に刀傷がついてる」
 芹沢が持っていた木刀を素早く斎藤が取り上げ、しげしげと眺める。
「じゃあ、芹沢さんが坂本と?」
「それもあり得ますが」
 永倉の疑問に如月がそう答える。
「とりあえず、明日になってから芹沢さんに聞くしかありませんね…。今日は、もう寝る事にしましょう」
 そんな事を言ったって、謎を頭の中に残したまま眠れるわけがないのだが、それよりも疲れの方が早かったらしく、皆、大いに眠った。

 転生衆は、幾度目かの食事を終えて戻ってきた。皆、口の周りに血がついており、誰もそれを拭こうとしない。これは拷問だ、と久美は思った。何も語らない転生衆とずっと一緒に住んでいたら、こちらもおかしくなってしまう。
「仏生寺が敗れたそうだな」
 佐々木只三郎がそう呟いた。しばらく転生衆は沈黙していたが、
「あっそ。なら、次は私ね」
 そう谷が呟いた。転生衆の一人が死んだというのに、にやにや薄ら笑いを浮かべている。
「仏生寺は自分の実力を過信しすぎたな。馬鹿な奴だ」
 土方はそう呟いてから、あははははは、と狂ったように笑った。
「土方歳江」
 そう、久美は思い出したように言う。
「は。なんでございましょう」
「お前たちは京にいた時分、士道士道とうるさく言っていたが…」
「あれはもう犬に喰わせてしまいましたよ」
 事も無く、土方は言った。
「犬に…?」
「あんな事を言っていたから薩長に敗れたのだと、後悔しております」
 転生衆が冗談を言ったのを、久美は今まで聞いたことがない。という事は、今の彼女の言葉も本心から出た言葉なのだろう。
「猫じゃないの?」
 そう言う沙乃に、土方は少し微笑んで見せた。
「そう言うな、そーじが来るぞ」
「あはははは」
 …そーじ?ああ、そういえば、沖田とかいう奴も新選組にいたな。
 そのうち、久美は妙な事に気づいた。
 …沖田鈴音。彼女も、新選組最強と言われながら、労咳で死んだと聞いている。そうだ。流山で処刑された近藤も。なぜ彼女たちは…転生しなかったのだ?
 そこに、何か秘密があるように久美は感じた。


(おまけのSS by 若竹)
【仏生寺】 あなたは恵まれていたわ。
【芹沢】 でも大きいには大きいなりのつらさがあるのよ!
【仏生寺】 あの…何の話?
【芹沢】 胸がないことをそんなに気にする事はないのよ。
【仏生寺】 あなたみたいに胸のある人にはない人間の気持ちなんて・・・・ってそうじゃなくて!
【芹沢】 大きいって悩みもあるのよ! 肩は凝るし!
【仏生寺】 だからそうじゃない!
【芹沢】 あなたに何が分かるって言うの! そんなまな板みたいな胸で!
【仏生寺】 う、うわ〜ん!!!

【島田】 あ、逃げた。勝ったんですかね?
【芹沢】 彼女なら分かってくれると思ってた。
【斎藤】 そうなのかな?


近衛様まで感想をどうぞー。

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