第一章 地獄変
竹刀の音と、怒号と、掛け声が響いている。江戸から、東京、と名を変えた、ここ、多摩の地に、一つの剣術道場があった。名を試衛館という。そう、あの試衛館である。戊辰戦争後、新選組の中で生き残った者数名がここに集まり、試衛館を再興し、剣術を教えているのだった。周囲の子供たちが集まって、号令と共に竹刀を振る姿は誇らしくもあり、可愛らしくもある。
どういう剣術を教えているのか、と思われるかもしれないが、一応天然理心流のようである。先生の流派がバラバラだから、新選組剣術と言ってしまってもいいかもしれない。
「こんにちはー」
懐かしい声が響いた。島田誠が戸を開けると、警察の制服を着た斎藤はじめが立っていた。彼も、試衛館に暇を見て出入りしては、子供たちに稽古をつけている。
隣には背の高い青年もいる。斎藤と親しそうだが、顔を見るのはこの日が初めてだ。
「あれ、斎藤、今日は仕事じゃなかったか」
「もう、いい加減覚えてよー。僕、藤田ごろーって名前なんだからさ」
「いやー、昔から染み付いているものってあるじゃん」
斎藤は先ほどまでの親しげな表情から、急に、真面目な表情になる。
「みんな、いる?」
「ああ、並ばせて稽古させて…」
「いや、子供たちじゃなくてさ。…芹沢さん、いる?」
「ん?奥にいるけど…」
「ちょっと、稽古はまた今度にしてくれないかな。みんなで話したい事があるんだ」
斎藤ともう一人の真面目な顔から、冗談ではないらしい。頭に疑問符が三つか四つほど浮かびながらも、島田は二人を道場に上がらせ、「今日はここまで」と子供たちに告げると、子供たちは万歳をして竹刀を投げ出し、すぐさま走っていった。
「あ、斎藤くん、久しぶり〜。何真面目な顔してんの?また川路にいじめられてるの?」
少し背の高い人物が面をはずすと、そこから流れる金髪で、ようやくカモミール・芹沢だと分かった。彼女は新政府の役人と顔見知りらしく、こんなところ(失礼)が存続しているのも、彼女のお陰、と言っても良い。
「ちょっと、話したい事があるんです。…奥の部屋で」
確かに、道場は開けっぴろげで、声を上げても聞かれてしまうだろう。島田たち四人は、島田と芹沢が主に事務作業を行う部屋へと入った。入ったのを確認した斎藤は、周囲に誰も居ないのを確認してから、ゆっくりと戸を閉める。
「おいおい、どうしたんだ?一体…」
まるで密談でもするかのような、そんな雰囲気に、島田はとりあえずそう呟いてみた。しかし、斎藤の口から「ただの冗談だよ」という声は出なかった。
「単刀直入に言いますが、僕らと一緒に京都に行ってほしいんです」
「京へ?」
芹沢と島田は、ほぼ同時に声を上げた。
「どういうこと?斎藤君。あたしにも分かるように、ちゃんと説明してくれる?」
「それは私から言います」
「いや、その前に、あんたは誰?」
「あ、申し遅れました」
青年は、深々と頭を下げた。
「元京都見廻組で、今は警察官の、如月勘十郎と申します」
そう、本当に簡単な挨拶を済ませてから、如月は話し始める。
「最近京都の町で、残酷な事件が起きているのは、ご存知ですか」
「あれだろ、バラバラ殺人事件」
島田がそう呟くと、如月は頷いた。
ここ数ヶ月の間、京都の街中で、どっと殺人事件が増えたのである。まるで幕末の頃の京都に戻ったかのようだった。違いがあるとすれば、あの頃の京都は役人がほとんど殺されていたのに対し、今回は、もう老若男女見境なし、老いも若いも殺されている。そして死体は、鴨川に捨てられていたり、路上に捨てられていたりするのである。京の民は恐怖し、日が落ちると誰も外に出なくなった。
「川路大警視の直々の命令によって、島田誠、カモミール・芹沢と共に、京の事件を探れ、との事です」
「でも、あれだろ?京都にも警察いるんだろ?なんで東京警視庁が行くんだよ。それに、なんで俺とかさ、カモちゃんさんが行かなきゃいけないんだ?」
「よっぽど人がいないのねえ」
「いや、違います」
斎藤は首を振った。
「…この話をすれば、嫌でも京に行きたくなりますよ」
「なになに?」
「いいですか、芹沢さん、島田。…京の町で、坂本龍馬を見た、という証言があるんです」
一瞬の沈黙。アニメ化していれば、ここでCMが入るところである。
「なにー!?」
「嘘でしょ!?」
思わず、島田は斎藤の肩をつかんだ。
「あの男がまだ生きてたってのか!?あいつは慶応三年に、確かに殺されたはず…」
坂本龍馬は慶応三年の自分の誕生日に、京の料亭で殺されている。殺害したのは京都見廻組とも、新選組とも言われているが、ここでは薩摩暗殺説を採りたい。薩摩との権力抗争で坂本は敗れ、殺されたのである。
「…薩長としては、坂本がいるとなると、いろいろまずいんでしょう。だから、僕らに探索を命じたんです。表向きは、殺人事件の解決、として」
「でも、なんで…」
「元新選組、元見廻組なら、坂本の隠れるような場所を知っていると考えているんでしょうね」
また、少しの沈黙があった。その後、がたん、という音がする。芹沢がこぶしを振り上げ、床を叩いたのだった。
「なんであたしたちが尻拭いしなくちゃいけないわけ!?みんな、あんな奴らの言う事なんか聞く必要ないよ。あたしが上手く言っておくから…」
その声に、至極当然だと斎藤は頷きながらも、目を光らせて話し始める。
「報酬出ますよ」
「やるよっ!島田くん」
芹沢は立ち上がった。
「ええっ!?カ、カモちゃんさん…」
「島田君、いつまでもこんなところにくすぶってる場合じゃないでしょ?」
「いや、でも、子供たちは」
「当分休業ってことにすりゃいいじゃない。さ、行こ行こ」
「あ、ちょっと待って」
一人ではしゃぐ芹沢を、斎藤が止めた。
「もう一人、仲間がいるんです。…そろそろ来るって言ってたんですが」
その時、がたん、という大きな音がした。全員が道場に向かうと、やはり、これまた見覚えのある人物が、ぼろぼろの服を着て立っている。
「おう、島田!それに芹沢さん!久しぶりだな!」
「な、永倉!じゃあお前も…」
「まあ、敵だった連中に命令されんのは嫌だったけどさ、坂本が生きてるっていう話を聞いたらいてもたってもいられなくなってさー、あはははは」
永倉は屈託のない笑顔を見せた。
とりあえず、出発は明日の朝、と決まった。その日は全員、酒を飲み飲み、昔話に花を咲かせたのである。
坂本と大田黒と共に、久美が連れてこられたのは、京の古寺であった。もう夜も更けた。妖怪が出るという噂から昼間も夜も誰も通らない。国家を転覆しようという連中が居る場所としては好都合というわけだ。それはありがたいが、カラスが鳴いたり、飛び立ったりする音が怖くて、久美は体を震わせた。
「帰ったぜよ」
そう呟いて、戸を開ける。本堂に、人影がちょうど七。坂本はその近くに行き、坂本を入れて人影は八つと増えた。
「…大田黒。これが、後ろ盾か」
「その通りにございます。ご覧なされませ!」
大田黒の声と共に、ぱっ、と、周囲の蝋燭に一斉に火が点いた。坂本を含め、頭巾を付けている人物が八名。蝋燭の光が、その頭巾を薄気味悪く、浮かび上がらせていた。久美は思わず目を見開く。
「挨拶を」
大田黒が言うと、久美に向かって一番手前の人物(つまり坂本龍馬だが)が、頭巾を取る。
「改めて。土佐の坂本龍馬」
隣の人物が頭巾を取った。
「練兵館の住人、仏生寺弥生子」
三人目が言う。
「京都見廻組組頭、佐々木只三郎」
四人目が言う。
「新選組七番隊組長、谷三十華」
五人目が言う。
「新選組十番隊組長、原田沙乃」
六人目が言う。
「新選組参謀、伊東甲子」
七人目が言う。
「新選組総長、山南敬助」
そして、最後の一人が頭巾を取った。う、と思わず久美は、うめき声を漏らした。
「…新選組副長、土方歳江」
以後数秒、聞こえるのは鳥の鳴き声だけであった。久美の手が震えている。
「ば、ば、馬鹿な…そんな事があるか。貴様らは、死んだはずの…!?」
「確かに、死にました」
そう、山南が言った。
「…しかし、秘術によって蘇生したのです。転生衆として」
「転生衆…?」
「それについては…」
今までに無かった声が、背後から聞こえた。老人の声だ。久美が振り向くと、袈裟を着た老人が座っている。どうやら僧侶のようだが。
「この、御伽兵部が申しましょう。…秘術“まかいてんしょー”の真髄を」
「まかい、てんしょー…?」
“魔界転生”とでも書くのだろうか、と、久美は思った。
久美の胸には、恐れと期待がない交ぜになって、渦を巻いていた。
(おまけのSS by 若竹)
【島田】 さいとー。
【斎藤】 ぼくの名前は藤田五郎だってば。
【芹沢】 どうして名前を変えちゃったの?
【斎藤】 だって、新選組の斎藤はじめはお尋ね者ですよ。
【島田】 俺たちはそのまんまだぞ。
【芹沢】 そーだよねー。
【斎藤】 そっちが変なんです!
【島田】 あーあ、本名、山口一から言われてしまったよ。
【斎藤】 どうして、ぼくの本名を!
【島田】 ふふふ。元新選組監察をなめるなよ。
【芹沢】 御家人株を買ったから斎藤はじめになったんだよね。
【島田】 いや、人を殺して上方へ高飛びする時に変名したんだったよーな気が・・・。
【芹沢】 で御陵衛士から抜けてからは山口二郎。
【島田】 女を捨てたんだよな。
【斎藤】 そんな事ないよ!
【島田】 壬生義士伝に書いてあったぞ。
【斎藤】 あれはフィクションだってば!
【芹沢】 会津藩が敗れたら一瀬伝八に名前を変えて、
【島田】 この時も女を捨てたらしいですよ。
【芹沢】 斎藤クンもやるなあ。
【斎藤】 それは・・・史実では、そうなんだけど・・・。
【芹沢】 最後が藤田五郎。
【島田】 五番目の名前だから五郎か。ひねりが足りないなあ。
【芹沢】 というか、犯罪者や結婚詐欺師が名前を変えるのと似てるよね☆
【斎藤】 そんな事ありません!
【島田】 でも、おまけの冒頭で自分で“お尋ね者”って言ってたじゃん。
【芹沢】 言ってた、言ってた〜。
【斎藤】 ううっ、反論できない・・・。
近衛様まで感想をどうぞー。