「例えばこんな黒猫奇譚」
思えば、長く生きたもので、ワシもそろそろ百に近いというところか。
黒猫生活九十余年。この京の街を縄張りとして、世の推移を見てきた。が、近頃になって我が同胞が相次いで殺められるという事件が起きておる。
それを誰が行っているかは分かっている。少し前にやって来た『新選組』とか言う連中じゃ。いや、奴らと言うのは正しくない。その内の一人…。
む、噂をすれば何とやら。来おったわい…。
「…けほけほ…」
あやつじゃ。あの眼鏡を掛けた娘っ子。ワシも近くで見たことがあったが、間合いに入った途端、猛然と切りかかって来おった。今こうして生きたおるのは、奇跡に等しい偶然のおかげじゃろうて。
「大丈夫か、鈴音?」
今日はもう一人おったか。…む、…ほうほう、あの男か。
近頃、あの娘と一緒にいるのを見かける男じゃ。人間の見分けはなかなかつけにくいが、あの二人は流石に覚えたの。同胞殺め続ける娘は当然じゃが、それといつも一緒にいれば自然にのう。それに、あれほど大きな人間は、そうそうおるまいて。
しかし、人の見分けはつかずとも、長く生きていれば、見えるようになることもある。
まず、あの娘、肺を患っておるな。多分、そう長くは生きられないじゃろう。因果応報と言うべきか、諸行無常と言うべきか…。
そしてもう一つ、あの二人、互いが互いを好いておる。気付いているかどうかまでは分からぬが。
うむ、ワシも若い頃は、あのような不器用な恋をしたものじゃ…。
そう、アレはまだ…。
………。
ハッ!? いかんいかん、思わず昔に浸ってしまったわい。間違えて娘の間合いに入ってしまったら事じゃからな、気を付けんと。
それにしても、あの男も不憫にのう。あやつのおかげで助かった同胞も少なくないと言うのに…。
少々抜けたところもあるが、あれがなかなかの益荒男っぷりでな。ブチの婿に欲しいくらいじゃわい。
…いや、種族の壁は厚いな、やはり。
っとっと、また空想に耽ってしまった。歳を取ると、こう、自分の考えに没頭してしまうことが多くて叶わんわ。
で、あの二人はどこに行きおったか?
いや、別に探す理由は無いが、顔を覚えた数少ない人間じゃし、なかなか興味を覚えるでな。
む、あそこの小屋に入りおったのか。しかし、あんなところに何の…。
………。
にゃにゃにゃにゃんと!?
う〜む、善き哉善き哉。仲良きことは美しい。若い内は、そういうのもよかろうて。
…帰って寝るか。
* * *
それからいくつ時が流れたか。世の中はワシが生きていた中で最も激しく動き、あやつらもまた、その渦流の中に飲まれていったようじゃった。
もう、京にあやつらの姿は無い。それは、同胞にとっては朗報であったが、わしにとっては退屈を告げるものじゃった。
ワシも、そろそろ齢百を超えよう。さりとて、化け猫になるつもりは無い。それでどう心境の変化が起こったかは、なかなか自分でも説明がつかぬものではあるが、あやつらに会いたくなった。
或いは、何かの決着を付けに行ったのかも知れぬ。あやつとワシは、ある意味生死を賭けた仲であったからな。
多分、死の恐怖が薄れていたこともあるだろう。しかし、覚悟を決めたワシが見たのは、残酷な現実じゃった。
強敵(とも)よ。今、友と呼ばせてもらう者よ。おまえはここまで小さくなっていたのか。
されば、最後の決着をつけようぞ。
ワシは、奴の間合いに入った。目が合う。その時、あやつもまた、ワシのことを覚えていたことを悟った。はっきりした記憶ではないかも知れぬが、あの激しく生きた京の街で出会っていたことを、確かにワシもあやつも感じていたじゃろう。
そして、あやつの刀は、しかしワシを切ることは出来なかった。
サラバだ、友よ。今決着はついた。そして最後に、ワシからの贈り物じゃ。
化け猫になるまであと数日。蓄えられた霊力の全てを使えば、おぬしを助けることもできようて。なあに、ワシが死ぬだけじゃ、気にするな。命は若い者に、そして新しい命に繋がれて行く物じゃ。
あの男と幸せになるんじゃぞ…。
* * *
う〜〜〜む。まいったわい。
どうやら、あの時ワシは、既に百を超えてたようじゃ。おかげで見事に生き延びてしまったわい。
そして今、ワシはただの猫としてここにいる。あの二人の間に出来た子の腕の中に。
あの後、あやつは奇跡的に病気を克服し、今に至っておる。それが、ワシの力によるものかどうかは分からない。だが、恐らくは違うのじゃろう。
多分、それは二人が望んだ故の奇跡。その間に、ワシの力など入り込む余地は無かったじゃろう。
ただ友よ、あの時の事を思い出すたびに、ワシは聞きたくなることがあるのじゃ…。
「ねえ、あなた」
「ん? どうした、鈴音」
「あたしね、今、すっごい幸せだよ」
聞きたかったこと。ワシと男は、同時に笑顔を浮かべる。
『それは何よりだ』
<あとがき>