「越後の蒼龍」

 慶応4年、俺たちが京都で相手にしていたキンノーと、会津・桑名などの藩兵が京都で激突。いわゆる「鳥羽・伏見の戦い」はこうして行われた。結局、旧式装備中心の幕府軍2万5千は、最新鋭装備のキンノー軍5千に完敗した。「勝てば官軍」という言葉の通り、この頃からキンノーは官軍と名乗り始め、多くの藩が官軍に恭順した。あの徳川の最精鋭と言われた彦根藩でさえ官軍に恭順したのだから、まあ…なんというか、うーん…。
 まあ、お偉方の考えることは解らない。
 そして、薩長土を中心とする雄藩連合は、錦の御旗を先頭に掲げ各街道に鎮撫軍を派遣。
これにより旧幕府軍は賊軍となってしまった。
 俺たちは官軍に対抗するため、大坂から富士山丸で江戸に戻る途中だった。
「島田、何をやっている?海を見ながら上の空ではないか」
 ちょうどナレーションのいい所なのに…。
「あ、副長」
 ちょうど、土方副長が外に出ていた。珍しく、土方さんにしては暗い顔をしている。何かあったのだろうか。
「どうしたんですか?」
「お前にはまだ伝えてなかったからな。…ついさっき、山崎が死んだよ」
「ええっ」
 その瞬間、俺の体から力が抜けたような気がした。山崎雀は、新選組結成と同時に参加した、大坂出身の浪人である。剣術の他に棒術が出来た。彼女の役職は諸氏取調役監察である。鳥羽・伏見の戦いで銃創を負い、この富士山丸で手当てを受けていたのだ。
「…傷口が化膿してなぁ。熱にうなされて、“近藤先生、近藤先生”と言いながら死んでいった」
「最後を看取れたんですね」
「…私だけはな」
 新選組局長、近藤さんでさえ少し前に御陵衛士の残党、安部十郎や富山弥恵らに狙撃されている。傷は深く、まだ寝たきりの状態が続いていた。
「近藤さんには?」
「言ったよ」
 土方さんの顔つきが、少し真っ直ぐになったような気がした。俺と同じ、海を見ている。
いつもは心地よい潮騒の音が、今は少し、悲しい。
「泣いているだけだった。私も伝えたくなかったさ」
 少し土方さんの目が赤いのが、俺にも解った。
 無理も無い。鳥羽・伏見では、源さんという愛称で慕われていた六番隊組長・井上源三郎が銃弾を受けて戦死していた。「おじさん、おじさん」と叫びながら、源さんの甥っ子が源さんの首を掴んで、走っていたのを俺は見ている。
 少し、近藤さんが心配だった。
「副長、俺、局長に会ってきます」
 それを聞いた土方さんは、少し苦しげな顔つきだった。
「…構わんが、あまり興奮させるなよ」
 部屋に入ると、近藤さんが横たわっていた。静かに眠っている。まずいな、と思いいったん出ようとした。
「あ…島田君」
 近藤さんが起き上がろうとしたので、俺は慌てて近くに寄った。
「あ、寝たままで大丈夫です」
「…雀ちゃんが亡くなったの、知ってる?」
「ええ」
「…信じられないよね。ついさっきまで、トシちゃんやあたしたちの近くにいたのにさ」
 俺は、うなだれたまま何も喋れなかった。
「…井上のおじさんだってさ、もういないんだよ。…あたし、もう…」
「何言ってんの!」
 大声と共に、ドアが開けられた。その幼児体形と、童顔は…
「うっさいわね島田!あんたは黙ってなさい!」
 俺を突き飛ばして、沙乃は近藤の側に寄った。
「勇子さん、いい!?沙乃たちのリーダーなんだから、しっかりしてよ!」
 2人とも、泣いている。
「でもさ…」
「死んだ源さんや、雀のためにも!それだけじゃない、他の死んだ隊士たちのためにも…
沙乃たちは、戦い続けなきゃいけないのよ!」
 力説する沙乃をよそに、近藤は寂しい目をするのみだった。

 江戸に戻った俺たちは、幕府のお役人たちからお手元金と大砲を賜り、甲陽鎮撫隊と名を変えて甲州へ向かった。だがそこでも官軍に惨敗、近藤さんの一言が原因で俺たちはついに空中分解した。もう、近藤さんは戦いをしたくない、と言ったのだ。
 斎藤と永倉は会津へ。土方さんと近藤さん、それに小姓の市村や相馬主計は一緒に下総流山へ。
「で…俺たちはどこにいくんだよ」
 俺は沙乃と一緒に、どんどん北上していた。
「島田、あんたね、向かっている方角で気づかないの!?」
「お、アラタたちと一緒に会津に行くのか!?」
「そーじゃないの。…沙乃はね、たくさんのキンノーと戦いたいのよ」
「は?」
「今後、この戦いで最大の激戦地になるところはどこ?」
 原っぱに腰を下ろして握り飯を食べながら、沙乃はいきなり謎かけをしてきた。唐突過ぎて考えるのに時間がかかってしまったが、まあ…ここじゃないか、という場所は頭に浮かんでいた。
「うーん、江戸かな」
「へえ、馬鹿のあんたにしてはなかなかやるじゃない」
「なんだよ、その言い方は」
「誉めてるのよ」
「お、誉めてるのか…って、いや、騙されてる気がする」
「でも、正解じゃないわ。いい?最大の激戦区はね、越後よ」
 すっと、原田は槍を進行方向に向けて指した。ちょうどそこに「長岡まで後40km」という看板がある。
何でこんなところにあるんだ、という突っ込みはナシだ。
「なんでだよ。あんなとこ、どこが重要なんだ?」
「いい?江戸城下では、勝海舟が江戸を戦火に巻き込まないために、様々な工作を行ってる。もちろん主戦派もいるけど、たぶん負けるわ。つまり、江戸では大きな戦争は起こらない。江戸はたぶん、新政府にとっても重要地点になるだろうからね」
 なるほど、明確な論理である。沙乃先生のご講義は続いた。
「で、官軍はそのうち、東北地方最強の藩、会津藩を攻略しようとするわ。でも、江戸から水戸を通って会津に向かう軍だけじゃ、会津は落とせない。そこで、越後が重要になってくるわけ」
「そうか!」
 俺はまるで爺さんのように、手をぽん、と鳴らした。
「越後を完全制圧すれば、官軍は会津を2箇所から攻撃できるわけか」
 そう、俺たちは今、長岡藩に向かっていたのである。

 その後は沙乃の予測どおりだった。最初から、官軍は部隊を東海道と北陸道に分けていたのだ。旧幕府軍の勝海舟と官軍の西郷隆盛との間で会談が行われ、江戸城を明け渡すことが決定された。北陸鎮撫軍総督は黒田了介(後の清隆)、副総督が山県狂介(後の有朋)である。
 俺と沙乃は長岡藩上席家老にして、軍事総督の河井継美を目の前にしていた。
そう、あの有名な「ガトリンガー河井」とは彼女のことだ。
「なるほど、新選組が加勢に来てくれたっちゃか」
 妙な方言を用いながら、彼女は茶を出してくれた。腰に剣を2本差し、髪はけっこう長い。うん、なかなか綺麗な人じゃん。口調が気になるけど。
「そりゃ嬉しいっちゃけど…うちの長岡藩は中立っちゃよ」
「中立!?」
 思わず、ばん、という音を立てて沙乃が両手を畳にたたきつける。だが、沙乃を前にして河井さんは一歩も引かない。
「…鯨波と小千谷を攻略されて、官軍は長岡に迫ってるっていうのに!?」
「そうだっちゃよ」
 彼女は端的に言いのけた。
「確かに旧幕軍の言い分も解るし、官軍の言い分も解る。だけど、戦争は起こしちゃあいかんっちゃあ」
 しかし、鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍が敗れると、彼女は江戸藩邸を引き払う際に家財をすべて売り払い、藩米を価格の高い函館で売却するなどして莫大な資金を調達した。継美は、その金でオランダ商人エドワード・スネルから最新式のミニエー銃と、当時日本に3門しか持ち込まれていなかったガトリング砲のうち2門を購入し、藩内に兵学所を設立し藩兵に徹底した軍事調練を施しているという。その結果、長岡藩は強力な藩に成長していた。そこまでしといて、何を言っているんだと言いたい。戦えばいいのに…。
「だって、河井さん。これだけ銃やガトリング砲を揃えといて、それはないでしょう」
「おみゃさん、島田さん…だっけ?」
 河井はぎゃあぎゃあわめく沙乃をそっちのけで、俺の方を向く。
「今や、うちら長岡藩の軍隊は、薩長にも負けない近代的な軍隊っちゃ。新政府の連中も、それを怖がってまだまだこっちには攻めて来ない。つまり、うちらの軍は脅威と見られているってことらよ?」
 どうやら、新潟弁は「〜だよ」が「〜らよ」になるらしい。
「この国が一度、新しくなるのは仕方の無いことかも知れない。でも、戦争でそれをやろうというのは駄目だっちゃ。それには、薩長と東北の藩が戦争をやめて、話し合わなきゃいけねぇっちゃあ。つまり!」
 ばんばん、と河井さんは講釈師のように、畳を叩く。いつの間にか、興奮していた沙乃もすっかり彼女の言葉に乗っていた。いや、馬鹿馬鹿しくて呆然としていたのかもしれないが…。
「うちは、東北諸藩と官軍との仲介をやろうと考えてるっちゃあ。そのためには、長岡は第3勢力として武装中立し、双方の仲間にはならんという考えをしめさなきゃあ駄目だっちゃ!解る!?」
「じゃあ、沙乃たちは見させてもらうわ」
 沙乃が小さく言った。
「本当に、武装中立なんてことが出来るのか。もし出来なかったら…」
「そうなったら、おみゃさんたちの出番らね」
 最後は笑って、河井さんは言った。

 最新兵器を装備するものの、旧幕府軍にも官軍にも属さない姿勢を示す長岡藩は、両軍にとって非常に危険な存在であり、どちらも長岡藩を味方につけるべく画策した。しかしあくまでも武装中立論を貫く河井さんは東北諸藩の連合、奥羽列藩同盟への参加を拒否し、両軍との調停を取りまとめるべく、5月2日に小千谷の慈眼寺の一室で開かれた、官軍との運命の小千谷会談に向かった。相手は、官軍東山道先鋒総督府軍監で土佐藩士の岩村精一郎。河井さんは、自分の考えを書いた嘆願書を岩村に渡すつもりでいた。そうすれば、上層部は解ってくれるだろうと信じていたからである。
「あのー、河井さん」
 俺は慈眼寺で河井さんに言った。もう、かなり足が痺れている状態だ。さっきから1時間もこの状態で待たされているんだから、かなりキビシイ。
「なんだね?島田さん」
「その…」
「んなぁ、いじいじするなっちゃあ!うちは、そういう奴嫌いだっちゃよ」
「その、“だっちゃ”ってのは長岡の?」
「いんや、佐渡弁だっちゃよ」
 一瞬、俺はがくりと転げそうになった。じゃあ、彼女は新潟弁と佐渡弁のミックスってことか。
「全然長岡弁じゃないじゃないですか」
「えー、だって、可愛いっちゃ。そう思わんっちゃか?」
「いや…まぁ…可愛いですけどぉ」
「なら、いいっちゃ」
 こんな状態なのに彼女はくすくす笑っている。どうしても、別のキャラが頭に浮かぶのは俺の気の迷いだ、
と言い聞かせた。
 沙乃を見ると、顔を真っ赤にしながら痺れに耐えている。健気だなあ。
「待たせたぜよ、河井継美殿!」
 大声で言いながら現れたのは、ずいぶん嫌味ったらしい顔つきで、頭には赤熊シャグマと呼ばれる赤い毛をつけた男、岩村精一郎である。背は低かった。
「我々官軍は現在、鯨波と小千谷を占領、これから長岡に向かうところぜよ。貴様たちが官軍に加わるというのなら歓迎するぜよ?今や、長岡藩は東北で1、2を争う強力な藩じゃからなあ」
「…長岡は東北じゃないっちゃよ」
 岩村は一瞬むっとしたが、少し咳払いをする。
「これから抵抗が無ければ会津に向かうところぜよ。官軍に加わるなら、軍資金と兵士の調達をお願いするぜよ」
 岩村は、「官軍に加わるなら」と何度も強調して言った。しかし、河井さんは首を振る。
「それはおやめください」
 河井さんは方言を使わずに言った。彼女、気を許す相手と許さない相手ではこうも違うのかなあ、と俺は思った。ずいぶんとキリッとした口調である。
「各地で旧幕軍の抵抗が起きるでしょう」
「ほほう、官軍に脅しとはいい度胸ぜよ?」
「脅しではないっちゃ…いや、脅しではない!我が長岡藩は武装中立を志している。どこにも我が藩は組せぬ!会津への征討は間違いだ。維新とは武力ではなく…」
「ふざけんな!」
 ついに岩村、切れてしまったようだ。
「時間稼ぎしちょるなぁ!?信用ならん!」
 立ち上がって、がたん!と岩村は座っていた椅子を後ろに蹴り倒すと、河井が渡した嘆願書(封筒に入っていた)をびりびりと破いてしまった。
「何するっちゃか!この土佐の田舎もんがぁ!」
 これには河井もぶち切れて立ち上がった。刀を抜こうとしている。慌てて、俺と沙乃が後ろから押さえつけた。
「河井さん!ここは交渉の場ですから!」
「うるさいっちゃ!もうこうなったら戦争もやむを得ないっちゃあ!そっちが最初からその気なら、民を守るために戦うっちゃあ!」
 あーあ、言っちゃった、と俺はため息をついた。ここに、北越戦争の火蓋は切って落とされたのだった。交渉決裂で、長岡藩は奥羽列藩同盟に参加(これによって奥羽越列藩同盟となった)、全軍をあげて約8倍の兵力を持つ官軍と激闘を開始した。

「これが地図だっちゃあ」
 懐から河井さんは大きめの越後の地図を出す。
「そうなると、長岡城を奪還するためには…ここね!」
 沙乃は指を「今町」と掻かれた場所に向けた。河井さんはにやにやと笑う。
 すでに、慶応4年の7月。最初は勝っていたものの、俺たちは長岡城を敵に奪われてしまっていた。俺たちの課題は、いかにして長岡城を奪還するかにあった。
 この間、江戸では天野八郎を中心とする彰義隊が官軍と戦ったが、肥前藩のアームストロング砲と総司令官・大村の采配により、わずか1日で全滅している。
「そうだっちゃ。うちらはこれから、今町を攻略するっちゃ。…山本くん、おみゃしゃんの力が必要だっちゃあ!」
 現れたのは、長岡藩家老・山本帯刀である。
「継美さん、私は何をすれば…?」
「いいかね?おみゃさんたちは部隊をつれて、官軍を驚かせるっちゃあ。わざと中央から突撃して、本隊と勘違いさせるっちゃ」
「は、それでその後は?」
「敵軍はおみゃさんの軍に戦力を集中させるっちゃ。そこで、本隊が本陣を強襲する!…ここは、元新選組の島田さんと沙乃ちゃん、おみゃさんたちに任せるっちゃあ」
 元、というのが悲しいが、ふつふつと闘志が沸いてきた。
 そして、事は河井さんの思惑通り運んだのである。今町で圧倒的勝利をおさめた我が軍は、ついに長岡城を奪還した。この戦いで、河井さんはこれまで使わなかった最強武器を披露した。ガトリング砲である。河井さんは自ら、このガトリング砲を操縦した。この雨あられと降る銃弾に、官軍は恐れをなして退却したのだ。その、「ガトリンガー河井」の異名どおりになった…かな。
 山県有朋は河井さんの奇襲に命からがら逃げ出すという醜態をみせ、江戸城の西郷が国許に新兵募集に駆け戻るほどだったらしい。横浜の外国筋は、この時期に官軍は負けると判断したとか。まあ、俺たちはけっこう強かったってわけだ。
「勝ったといって浮かれちゃ駄目っちゃよ。戦はこれからだで」
 ある日、彼女は俺に向かって言った。
「これから?」
「今は夏。うちは冬まで連中をここにいさせるつもりだっちゃ」
「そんな…」
「大丈夫、東北諸藩が協力してくれりゃあ何とかなるっちゃ」
 越後の冬は厳しい、というのは俺も知っている。河井さんは、南国育ちの官軍を越後の極寒に叩き込むつもりなのだ。それに雪が降れば進軍も難しくなる。
 官軍は長岡城をあきらめたわけではなかった。ちまちまと長岡城下で小競り合いが起こっていた。
 今日も、新政府の連中が集団で食料庫を襲っているという。俺たちは出陣した。しかし、それはどうやら罠だったらしい。あっという間に伏兵が現れた。
「くそっ」
 俺は吐き捨てるように言った。周囲から官軍が銃撃してくる。俺と沙乃は、慌てて物陰に隠れた。
「後で河井さんが応援に来るわ。それまで持ちこたえないと…」
「…なんか、どきどきするな」
「何変な想像してんのよ!」
「あのなー…沙乃、声が大きいぞ」
 次の瞬間、大きな音と共に、叫び声が聞こえた。まさか、と思い俺たちは音のする方向へ向かう。そこには、河井さんがいた。自ら、ガトリング砲の引き金を握っている。
「無事だっちゃか?」
「やっぱり、これからの時代、銃みたいね」
 沙乃は少し寂しそうに言った。河井はゆっくりと周囲を見ながら、
「…時代の流れっていうもんには逆らえないっちゃよ」
 また、敵が出てくる。河井さんがガトリング砲を乱射する。それが何度も続いた。少し時間がたったころだろうか。
「あ!」
 河井さんが、いきなりガトリング砲の掃射をやめてしまった。
「何やってんの!」
 慌てて沙乃が叫ぶ。だが、沙乃も河井さんが見ている物を見て立ち止まった。
 子供が、近くで泣いている。周囲は火の海だ。
「助けなくちゃ!」
 河井さんが駆けだし、子供を助けた瞬間。
 ―ぴしっ。
 一筋の銃弾が、彼女の足を貫いていた。彼女はそのまま子供を抱くようにして倒れる。
 河井継美、負傷。この情報は長岡藩兵の戦意を喪失させていった。新発田藩の裏切りもありついに新潟を陥落させられ、長岡は挟み撃ちにされる状態となってしまった。そして長岡城、陥落。この時火薬が誘爆、長岡城は炎上した。

「…ちくしょう、会津はまだかよ!」
 俺は棒を掴みながら呟く。もう、疲れきっていた。ここは八十里峠と呼ばれる場所で、新潟を陥落させられたことにより、もう退路はここしかなかった。ここから会津へ逃れようと言う考えである。
「また負けちゃったのね」
 沙乃は少し寂しそうな顔をしている。だが、会津で斎藤やアラタと会えば彼女の顔にも笑顔が戻るだろう。
 問題は河井継美であった。傷が化膿し、それが原因で高熱を出している。
「…沙乃ちゃん」
 担架に乗せられている河井さんが、小さく言った。沙乃はそれを聞くとすぐに彼女の側へ寄る。
「なあに…?継美ちゃん」
「…へへっ、一句出来たっちゃあ」
 一枚、河井さんは沙乃に紙を見せた。俺も沙乃の後ろから紙を覗く。沙乃は小さいから覗くのも簡単だ。

「八十里 腰抜け武士の 越す峠」

「未練だっちゃ」
 寂しげに、彼女は言った。

 会津の只見町まで来た河井さんは、会津中心部に逃れている長岡藩主・牧野候に手紙を当てている。敗戦を詫びる手紙だ。牧野候は河井の元に、医者の松本良順を派遣した。俺たちも良く知っている人物である。松本は、化膿した足を切断するよう指示したが、河井さんはかたくなにこれを拒否した。なぜかは解らない。
 8月16日の夜、なぜか河井さんは俺たちを集めた。
「…長いこと、ありがたかったっちゃ」
 微笑みながら、彼女は言う。意味は何となく解る程度だったが、言わんとしていることは解った。彼女は近くにある小さな袋を取ると、それを俺に差し出した。
「これ…。埋めてほしいっちゃ」
「なんです?これ」
「うちの髪だっちゃよ…。遺髪」
 いたずらっぽく、笑う。
「うちが死んだら、遺体は火葬にして。…ほら、早く…火を燃やす…っちゃあ」
「馬鹿!」
 沙乃が大声で言った。眼から、涙があふれ出ている。
「…少しは…望み持ったらどう!?継美ちゃん、死んでもらっちゃ困るのよ!」
「ふふ…あたし、もう駄目だって自分で解るっちゃよ。さあ、早く!」
 慌てて、周囲の連中が枯れ木を集め、そこに火をつけた。これから自分を焼くことになるであろう火を見つめながら、河井さん、いや継美はうわ言のように言った。
「…火が強いっちゃねぇ」
 それが、彼女の最後の言葉だった。
 慶応4年8月16日午後8時、河井継美死去。

 会津はその後、徹底的に破壊しつくされた。白虎隊や、会津の女性たちの悲劇は今ここで語るには枚数が少なすぎるし、俺の喉も限界だ。会津は陥落、そして土方さんが行った函館戦争でついに俺たちは完全敗北し、明治にいたる。
 明治、という時代になってから、長岡藩は酷く苦労をしたらしい。何しろ北越戦争で長岡の城下は灰燼に帰し、藩士の3分の2が死傷したのだから。それがために民衆の間では死後の河井継美を恨む者も絶えなかったという。後に、長岡は小林虎という女性と、長岡藩主・牧野家の家訓、「常に戦場に在り」という言葉によって復興することになる。
  今の時代、河井さんが生きていたら。いや、それだけじゃない。近藤さんや土方さんが生きていたら、あの人たちはどう思っているだろう。
 だが、もう時代は過ぎ去ってしまった。…今は、生きて、新選組のことを語るのが俺の役目だ、と思った。
 たとえ俺が、完全武装したアラタを引っ張り上げ、お汁粉を鍋いっぱい食べると勘違いされているとしても。…あれは冗談だってば(汗)


<おまけ・登場人物紹介>

河井継美(かわい・つぐみ)…長岡藩上席家老にして軍事総督。当時、藩をいってに引き受けていた。佐久間象山と山田方谷に学び、次第に藩の中で頭角を現していく。1863年に一度上洛しているから、新選組と会っているかも。彼女の頭に「武装中立」という考えはずいぶんと前からあり、一説にはスイスを元にしていたとか。だが、小千谷での会談は決裂、河井はわずかな戦力ながら北越戦争を戦い抜いたが、戦いの中で足を撃たれ負傷。その後長岡城は陥落、会津の只見町というところで死去する。
 髪は背中まであり、色白の美人である。「可愛いから」という考えで、佐渡弁と新潟弁をミックスした言葉を話す。聡明だが、切れると手がつけられない。

岩村精一郎(いわむら・せいいちろう)…官軍東山道先鋒総督府軍監(ああ、長い)。傲慢でまだ若いため、相手を見下す傾向が強く、河井を「ただの反抗者」としか見ていなかったらしい。小千谷での会談が成功していたら、多くの犠牲者は出なかったかもしれない。維新後、佐賀の県令となっている。

小林虎(こばやし・とら)…あっという間に有名になってしまった「米百表」を言った人。長岡には彼女の銅像があるぞ。


<あとがき>

 「行殺(はぁと)新選組」と銘打っていながら、河井継美ほぼオンリーの話となってしまいました(汗)。沙乃や島田君の活躍をご期待された方、申し訳ない。かなりとっつきにくかったのではないでしょうか?(汗)
 そもそも、僕は長岡ではないですが、新潟県の出身なんで…どうしても「北越戦争書きたいな」という思いがありました。もちろん、島田や沙乃は史実だとこの戦争には参加してませんけどね。
 河井継美はもっと魅力的なキャラにしなくちゃですね。
 読んでいただいてありがとうございました(ぺこり)


<参考文献>

 「新選組始末記」 子母澤寛 著 中公文庫
 「蒼龍起つ」
 「図説・幕末志士199」 学研
 「峠」 司馬遼太郎 著 新潮文庫
 「戊辰戦争」 佐々木克 著 中公新書


近衛様まで感想をどうぞー。

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