第四部 油小路のカモちゃん
深夜の酒宴で、芹沢は斎藤はじめが間者として伊東に流れたことを初めて知った。
「勝手に土方さんが決めちゃったんですよ」
島田が酒を一口飲んでから呟いた。
「俺だって斎藤と同期なんですから、別に俺でもいいじゃないですか」
「お前じゃ無理だ」
「そんな、酷いじゃないですか!」
(やっぱり、楽しいな)
芹沢はいくつもの徳利を空にしながら思った。
この会話の流れが心地よいのである。
慶応3年の3月、伊東たちは「薩長と親交を結び、彼らの機密を握るため分離する」という名目で一斉に隊を抜けていった。彼らは長円寺に行ったが、6月には高台寺の月真院に移り、「御陵衛士屯所」という看板を掲げた。そのため、彼らは御陵衛士とか、高台寺派と呼ばれている。
斎藤が高台寺にいたため動きは手に取るように解ったが、しかし伊東も策士である。配下の茨木司ら4名を隊に残していた。しかし、それすら土方には解っていた。
近藤は「キンノーっていう証拠がない」と決断を渋っていたが、斎藤の密書から近藤、土方、そして芹沢の暗殺計画が解るとついに決断した。
「キンノーも間者もやっつけなきゃ。ね、トシちゃん」
「ああ。早めにケリをつけなければいけないな」
「じゃ〜、高台寺にカモちゃん砲撃っちゃおうか?」
「いや、芹沢さんそれは駄目だ。まず、間者を斬る」
しばらくして、茨木たちが島田に呼ばれた。
「松平けーこちゃん様に急の用事があるから、お前たち、俺と一緒に黒谷までついてきてくれないか?」
疑うことなく茨木たちは島田についていった。帰ろうとしたが酒を勧められるので酒宴を開き、ついに夜となった。
「あ、俺、ちょっと厠行ってくるわ」
島田は立ち上がると部屋を出た。既に黒谷の周囲には、槍を持った新選組隊士たちがいた。リーダーは原田沙乃である。
「おーい、沙乃、起きてるか〜」
「まったく、時間ぎりぎりじゃない。飲みすぎ!」
「馬鹿、声が大きい。奴らは寝てるからやっちまってくれ。俺は急いで屯所に戻るから」
「解ったわ」
沙乃たちはあっという間に、槍で酒を飲んでいた茨木たちを串刺しにしてしまった。
「気づかれていたようやねぇ?」
高台寺で伊東は静かに酒を一口飲んだ。その杯に、斎藤が注ぐ。
「なんて酷いことを!犬にも劣る奴らだ」
「まあ、そう言いなはんな、服部はん」
斎藤は酒を飲むふりをしながら、彼らの声に耳を傾けていた。
しばらくして、1人の女性が御陵衛士屯所に現れた。公家の服装をしているが、ずいぶん服が汚らしい。しかしながら笑顔を絶やさない、不思議な女性だった。
彼女が、公卿の中でも実力派の部類に入る、岩倉知美である。彼女は公武合体を推進したために天誅の標的にされ、文久2年に御所を追放されていた。この間、岩倉は倒幕に目覚め、薩摩や長州と交流しているのである。
「これは岩倉様、ご機嫌麗しゅう」
伊東が慌てて熱燗を取ると、岩倉の杯に酒を注いだ。岩倉はそれを飲み干す。
「とにかく、新選組であらしゃいますわな。奴らは邪魔や。解るな?伊東はん」
「はっ、我々でも早急に手立てをしております」
伊東に急かされ、斎藤も岩倉の杯に酒を注ぐ。岩倉はにやっと笑って、斎藤を見つめた。
「あんた、確か酒を飲むと人斬りたくなるいう斎藤はんやな」
「はい、そうですけど…」
「簡単やないか。斎藤はん、近藤と土方を斬れるか」
「…スキがあれば」
「孝明帝は幕府がお好きなようやが、麿はあくまでも、朝廷に権力を戻そうと考えているんや。そのためには、邪魔者は消す。…新選組とかいう虫けらを潰すんや」
斎藤は唾を飲み込んだ。岩倉の性格を、ようやく斎藤は理解できた。あの笑顔は表向き、彼女こそ修羅そのものだと。
岩倉はその後たわいも無いことを話して、外に出た。
良い月が出ている。
「…新選組、御陵衛士、薩摩、長州。みんな、ちゃんとうちの手の中で、駒になって働いてもらわなね。チェックメイトはもう少し…」
御陵衛士屯所をちらりと見てから、岩倉はにやっと笑った。
蛇足だが、この年の12月、孝明天皇が崩御された。痘瘡で急死したという説が主流だが、岩倉知美に毒殺されたという説もあったらしい。
その後、斎藤は高台寺から消えた。間者ではないかという噂もあったが、どうやら女と島原で遊んでいたという形跡があり、金がなくなったので夜逃げしたのではないか、という噂が間者の噂を駆逐していった。
しかし、そもそも「島原で遊んでいた」という噂自体が嘘なのだが。
「斎藤、久しぶりだな」
島田は新選組に戻った斎藤を出迎えた。
「うん…」
思わず、斎藤は島田に抱きついた。島田もそれを抱きとめるような形になった。2人ともそのケはないのだが(少なくとも島田は)、どうも「男同士の熱い友情」というよりは「きゃあ、ボーイズラブ!?」のように見える。色気を感じられる抱擁(いやらしいな)なのだ。
「2人とも何やってんの?」
声がしたので2人ともその方向を振り向いた。芹沢である。
「斎藤君、あたしの島田君を取るつもり?」
「あ、いえ、別にそんなことは…」
「んじゃ〜、とりあえずこっち来て。話、聞かせてもらうから」
斎藤が近藤の部屋に行くと、既に土方と近藤、それに沙乃などの幹部たちが待っていた。斎藤が近藤の部屋で話したことは、高台寺の連中による新選組幹部暗殺計画が具体化してきたこと、伊東たちが各地でキンノー活動の遊説を続けていること、などである。
「こうなると、斬るしかない…のかな」
近藤は不安げに呟いた。無理もない。高台寺には試衛館時代、一緒にいた藤堂平がいる。皆、一様に藤堂のことについては口を閉ざしていたが、
「もう、しかたないんじゃないの?」
沙乃が静かに言った。
「へーは、へーの行きたい道を行ってるんだからさ」
「お、沙乃、たまにはいいこと言うじゃん」
「うっさいわね島田!」
「それまでにしておけ」
土方がそう言って、周囲を静かにさせる。
「伊東を暗殺し、その後高台寺の一味を斬り捨てる。期日は今月の18日だ」
無論、芹沢もそのつもりであった。
そうしなければ、自分がどうにかなってしまいそうだったからだ。
そして、その日がやってきた。前々から高台寺には、「伊東先生に国学を教えていただきたい」という書状を送ってある。場所は、京都の料亭であった。
「伊東先生…行くつもりなんですか?」
藤堂が心配そうな顔で言う。3日前には近江屋で坂本龍馬が暗殺されていた。藤堂が、それを連想したのも無理は無い。
「ん?大丈夫やって。うち相手に卑怯な手は使わんやろ」
「でも…」
「うちは、伊東甲子や」
そう伊東が言うと、皆静かになった。
料亭には近藤をはじめ島田、永倉、沖田らの旧友が集まっていた。
「伊東先生、さ、どうぞ」
島田に酒を注がれ、次第に伊東は上機嫌になっていく。島田はけっこう伊東が目をかけていた人物だけに、高台寺に一番熱心に誘ったが結局断られてしまっていた。しかし、彼に酒を注がれるのは嬉しかった。
午後から酒を飲み続け、夜10時になってしまった。ゆっくりと伊東は立ち上がると、
「そろそろ、帰らせてもらいますわ」
「甲子ちゃん〜また来てねぇ〜」
すでに近藤は酔っている。少し甲子は微笑むと、
「ん、また来るわぁ。なんか、楽しかったわ、今日は」
伊東は「酔いを醒ます」と言って、帰りは駕籠を使わず歩くことにした。沙乃と島田はすぐさま土方たちの待つ隣の料亭に駆け込み、土方たちは伊東が歩くと思われる道に先回りする。
暗殺実行部隊は、原田沙乃、島田誠。指揮は土方と芹沢だった。
「来た…」
沙乃が小声で言う。ゆっくりと、伊東が歩いてくるのが見えた。小路に隠れて様子を見る。既に手はずは頭に叩き込んでいた。まずは、沙乃だ。
沙乃は隙間から槍を突き出した。槍は見事に、伊東の喉にずぶりと突き刺さった。伊東の足が止まる。
「な、なにや、つ…!」
まだ声は出せるようだ。伊東の途切れ途切れの声が聞こえる。沙乃は槍を抜いた。血がだらだらと、首から流れ出す。それは伊東の体を汚していった。島田と沙乃が走り出す。
伊東はすばやく刀を抜いた。素早く島田に襲い掛かる。
伊東と島田の激しい鍔迫り合いが続いた。そのまま、伊東の勢いはとまらない。島田は伊東に押し倒されたような形になる。
「島田!」
沙乃が加勢しようと飛び出し、伊東の背中に槍を突き刺す。背中を貫通し、腹まで突き通っていた。伊東の血が島田の顔に滴り落ちる。かなりの深手のはずだ。だが伊東はまだ死ななかった。島田をそのままにして、沙乃の方を向く。口からも血が出ていた。
だが、沙乃に気を取られて起き上がっていた島田に気づかなかったのか、島田に背中を斬られる伊東は立っているのがやっとの状態だった。
物陰から、誰かが走ってくる。副長か、と島田は思った。だが違う。副長は金髪ではないからだ。そう、カモミール・芹沢その人だった。
「…芹沢はん…武田先生を…」
裏切るんか、とまでは言えなかった。伊東は芹沢の刀の一撃で額を割られていた。
「あんたは、ただサイちゃんを利用してただけ…あたしを引き入れるためにね」
芹沢の言葉に、伊東は死期を悟ったのだろう。その場にゆっくりと腰をおろす。
「土方の犬がぁ!」
ぞっとするほどの、大きな叫び声だった。伊東は仰向けに倒れ、静かになった。
「死んだか」
土方の声である。ようやく、土方が物陰から歩いてきた。島田が伊東の腹を突いてみる。だが、反応はなかった。
「いいだろう。この死体はオトリにする。油小路まで運べ」
その声と共に、周囲にいた新米隊士たちが伊東の周囲に集まり、大きな戸板に伊東を乗せると、そのまま運んでいった。
七条の油小路まで行き、そこに伊東の死体を投げ捨てる。そうすると、周囲に隠れ、様子を見た。土方は奉行所に使いをやり、高台寺に知らせるように言う。このまま伊東の死体を放置すれば、体は腐り、野犬に喰われ、見るも無残な状態になるだろう。それは避けるに違いない、と土方は考えた。必ず、高台寺の連中は死体を回収しに来る、と。
「本当に来るんでしょうかね?」
島田は隣にいる芹沢に小さく言った。どうかな、と芹沢は小声で言ってから、
「仲間が死んだんだから、たぶん引き取りにくるでしょ」
「うーん…」
「アタシが死んでるって報告が来たらどうする?」
「そりゃ、引き取りに行くに決まってますよ」
「ね、そうでしょ?」
芹沢は少し微笑んだ。島田はやっぱり可愛いな、と思う。思わず、抱きしめた。
「わ、ちょっと、カモちゃんさん」
「ちょっと、このままでいさせて。ね?」
怯えているのだろうか。芹沢の体が震えている。
いや、怯えているのではない。武者震いだ、と島田は思った。
しばらくして、高台寺の連中がやって来た。篠原泰子を先頭に、伊東の実弟である鈴木三樹三郎、服部、毛内、加納、富山、そして藤堂平である。実際の数よりは少なかった。
「姉さん…姉さん!姉さぁぁぁぁぁぁん!」
思わず、鈴木が変わり果てた姉の姿に涙する。藤堂が悲しげな表情で天を仰いでいた。
「新選組め…なんて事を!」
確信に満ちたような叫び声で篠原が答える。
「我々がお供についていけば…」
「悔やんでもしかたありもはん。さ、とにかく先生のお体を運びましょう」
富山がそう言いながら、死体に手をかけた時である。ぴいいいっ、と笛が鳴るような音が響き、周囲から新選組隊士たちが現れた。その奥で土方が叫ぶ。
「新選組だ!キンノー活動を行っていた御陵衛士を成敗する!」
おお、と全員がいっせいに叫び声をあげた。その声は周囲を震わせ、全員の闘争本能をかきたてるには十分だった。血戦はこうして始まった。
新選組の数は高台寺側の数倍。多勢に無勢とはこのことである。平隊士たちがまず高台寺側を囲んで逃げられないようにしてから、幹部が彼らと戦った。数は少ないものの、藤堂や服部がおり、油断は出来なかったからだ。
まず、毛内が刀を折られ、そこを沙乃が槍でしとめた。
服部の戦いぶりは見事なもので、服部は両手に剣を持ち腰に提灯を下げると、隊士たちを切りまくった。平隊士にも何人か犠牲者が出た。
「アタシが行く」
様子を見ていた芹沢が、ゆっくりと立ち上がる。土方は慌てた。
「芹沢さん、何も行くことはないでしょう!」
「このままじゃ、犠牲が増えるだけよ」
走っていくと、服部は鬼神のような戦いぶりを見せていた。気迫が違うのである。その気迫に押され、平隊士は怯えて手も出なかった。
普通に行ったらやられる。
芹沢は刀を右手に、鉄扇を左手に持ち、服部に走りよった。服部は芹沢と対峙して、すぐさま斬りあう。芹沢は相手のスキを見定めて、服部の右手の剣を鉄扇で落とした。服部が驚いたところを、芹沢は刀で服部の胴を斬る。服部は仰向けにばったりと倒れた。
沖田は篠原を追い詰めていたが、沖田が喀血して倒れる。一角が崩れたのを見て、篠原、富山、鈴木、加納は逃げ出した。
(へー…お前も逃げてくれ)
土方は無心を装いながらそう思った。藤堂はかなり斬られていたが、多くの敵を前にして一歩も引かない。まるで、殺してくれと言わんばかりだった。
「…へーを殺す」
島田が、小声で沙乃に言う。
「…逃がすんでしょ?」
「…あれじゃ、へーが可哀想だ。あんなに斬られてさ…」
「あたしがやるわ」
島田がやめろ、と言う間もなく、沙乃は刀を抜いて走っていく。藤堂が、それを見て少し微笑んだ気がした。藤堂は袈裟懸けに斬られ、ゆっくりと倒れた。
後始末をしてようやく屯所に戻れたのは、もう明け方だった。
「ごめんね、あたしのせいで…」
もう酔いも醒めた近藤が、そう呟く。土方は首を振った。
「誰のせいでもないさ。それより…おそらく、そろそろ情勢は動く」
すでに10月、徳川家茂の病没に変わり将軍となった徳川慶子が大政奉還をした。つまり、将軍職を辞したのである。これによって彼女は最後の将軍となったわけだが、納まらないのはキンノーの方だ。将軍が辞職すれば、倒幕の大義名分が消えてしまうのだから。
薩長は何かやらかすに違いない、と土方は見ていた。
「ん〜…今日はみんなでお酒飲めないかなぁ」
芹沢がそう言うのを聞いて、徐々に笑いが起きた。すでに芹沢は、帰ってから一杯やっているのである。
「芹沢さん!またあんたは…」
「まあまあ、歳江ちゃんそう怒らないでよ」
土方が咳払いをして、話をまとめようとする。
「大政奉還が行われたのに反発して、キンノーの連中はかならずなにかをやる。明日からは見回りを入念に行い、キンノーの活動を阻止しろ」
しかし、そろそろ朝日が昇り始めていた。5秒ほどの沈黙があった。
「今日は休んだ方がいいんじゃない?」
近藤がすでに眠そうな顔をしながら言う。だが、土方の反発は無かった。土方は、すでに熟睡していた。疲れていたのだろう。慌てて近藤が土方を寝かせる。
「それじゃ、今日は休みましょう。局長命令ねぇ〜」
芹沢の声を聞いて、全員がゆっくりと立ち上がる。芹沢は眠そうな島田を引きずりながら自分の部屋へ入っていった。島田の悲鳴が聞こえるがお構いなしである。沙乃と近藤、そしてアラタは土方を部屋へ連れて行った。
島田を隣に寝かせながら(つまり添い寝をしたかったわけだが)、芹沢は天井を見ていた。
いずれ、戦争が起こるというのは誰もが思っていることだ。
しかし…相手の勢力は薩摩、長州。一部の藩であることは間違いない。戦争となれば、ほとんどの藩が徳川方につくだろう。負けるわけが無いのだ。
だが−。
この震えはなんだろう、と芹沢は思った。
(近衛様のあとがき代わりのおまけSS・若竹作)
【土方】 御陵衛士などと、裏切り者が!
【伊東】 せやけど、うちは食費が一日800文や。食事は豪勢やで。
【原田】 ちなみに1両=4000文よ。新選組の月給は平隊士で3両だから、
食費だけで一日800文だと月の食費は60両だから、かなり贅沢よね。
【土方】 馬脚を現したな! 金で武士の魂を売る愚か者が!
【伊東】 しかも本部の高台寺は祇園までわずか500mの一等地。高台やから夜景もキレイや。
【芹沢】 うわーい☆ ごちそうだぁ〜。祇園だぁ〜。
【土方】 せ、芹沢さん!?
【伊東】 それだけやないで、スポンサーの島津藩は太っ腹やから、長崎のガラバ商会から仕入れた
最新の鉄砲をうちに回してくれるんや。見いや、これが7連発のスペンサー銃や!
【近藤】 あー、それって舶来の最新モデルだよね。いいな〜。
【伊東】 今高台寺に加入すれば、スペンサー銃を1挺プレゼント!
【近藤】 甲子ちゃん。ココにサインすればいいの?
【土方】 こ、近藤!?
【島田】 土方さんには、俺が北の果てまでついて行きます!
【土方】 ふん、ずいぶん頼りない味方だな。
【伊東】 そして何と、高台寺の女性隊士の隊服は、ナウなバニー。これで決まりやわ!
【島田】 土方さん、お世話になりました。
【土方】 島田ぁ〜!! 貴様ぁ〜!!
【土方】 ・・・・誰もいなくなってしまった。グレてやる〜!!!
こうして土方さんは髪を金色に染めましたとさ。
近衛様まで感想をどうぞー。