その時カモちゃんが動いた

第三部 伊東という人

 伊東甲子という人物は、つかみ所が無いと芹沢は思っていた。
 伊東はもともと鈴木という苗字で、神道無念流を学んでいたが、後に江戸にある伊東精一郎の道場で北辰一刀流を修め、免許皆伝の腕前であった。
 だが、伊東精一郎が死去。彼女は多くの門弟らによって跡継ぎに担ぎ上げられ、苗字を伊東と改めた。彼女は剣術ばかりではなく、国学、そして水戸学をも学んでいる。それに和歌なども詠む、正に万能人間であった。
 近藤は江戸へ隊士募集に行った時、お供をしていた藤堂平が伊東の名を出した。近藤と伊東は話しているうちに意気投合、伊東は多くの同士と共に新選組へ参加したのだった。

(そういえば、サイちゃんが言ってたなぁ)
 初めて伊東と出会ったとき、芹沢は武田の言葉を思い出していた。
「そういえば、鈴木っていう人がたまに手紙くれるのよね。凄い頭がいい人みたいでさー、手紙のはじっこにいつも和歌を書いてくるのよ」
 伊東の長い自己紹介を聞くうち、この女だったのね、と芹沢は確信を持って、まじまじと伊東の顔を見た。伊東はその長い自己紹介を終えると芹沢に頭を下げて、
「局長の芹沢はんどすな。どうぞよろしゅう」
「…サイちゃんに手紙を出してた人?」
「はて、サイちゃんとは誰のことですやろか?」
「あ、あのね〜、武田斎子って人。あたしの友達の…」
「も、もしやあなたは…」
「カモミール・芹沢だけど?」
 いきなり、伊東は慌てた様子で、どこかからサイン色紙を取り出した。
「ど、どうぞ一筆」
「えっ!?」
「藤田東湖大先生や、武田先生と交流のあるカモミール・芹沢先生は、うちの憧れの人ですねん。サインをお願いしたいんですわぁ」
 まあいいや、と芹沢は丁寧にサインしてやった。伊東はどうやら、自分の苗字しかまだ知らなかったようである。
 水戸学とは「尊皇敬幕」、つまり天皇を尊び幕府を敬うという思想だ。まだ、伊東は水戸学らしい尊皇攘夷に収まっている、と芹沢は見ていた。幕府を尊重し、天皇も尊重し、この神州から異人を追い出せ、という、純粋な水戸学の尊皇攘夷論である、と。
 ただ、これがいつ「倒幕」に転がるかは芹沢も解らなかった。

 年明けて元治2年。だが改元あって、慶応元年となった。その3月のこと。
「伊東参謀って、考えはアタシと同じだと思うの。水戸学を学んでたっていうしさー」
 夜、土方の部屋で芹沢は自分の意見を述べた。伊東に関する意見である。
「しかし…」
 土方は渋い顔をする。なぜか、土方は伊東が気に入らなかった。
「私はどうも気に入りません。何か心の奥底で、別のことを考えているような…」
「別のこと?」
「倒幕です」
 土方は言い切った。
 しかし、この時代、幕府が倒れることを考えない方がおかしい、と芹沢は思う。理由は水戸天狗党の処分の仕方である。指導者はまだしも、ただの党員たちまで斬罪に処した。幕府は焦っていた。すでに幕府は末期症状である、と誰もが思っていただろう。
「倒幕…か」
 芹沢はそう言いながら、外の景色を眺めていた。

 伊東は新選組に入隊したかと思うと、だんだん妙な動きを始めた。
 まず、薩摩藩士の富山弥恵という人物がふとした喧嘩から人を殺してしまい、藩を追われた。たまたまそれに出くわした伊東は、富山を新選組に入隊させてしまった。
 当時、薩摩藩は禁門の変で一応幕府の味方をしたものの、まったくその後の態度がつかめず、不気味な存在であった。土方も近藤も、最初は富山の入隊を渋った。
「薩摩人の入隊を認めるわけにはいかない」
「土方はん、薩摩は禁門の変で一緒に長州を倒した仲やないか」
「藩主はそうだ。だが、藩士は解らん」
「まー、いいやないの、ねえ?みんながみんな、キンノーってわけやないやないの」
「いいんじゃない?ね、歳ちゃん…」
 近藤の言葉に、土方は耳を疑った。何かがおかしい。
 結局、富山の素朴な人柄に土方も好感を持った。誰も、彼女が伊東と薩摩を結ぶ人物だとは気づかなかった。
 そう、土方の思っていた通り、伊東は一言で言ってしまえばキンノーだったのである。
 伊東を暗殺してもいいのだが、伊東には仲間がいる。暗殺は暗殺を呼ぶだろう。ならば、どうするのか。
 その日、土方は芹沢と密談を行っていた。
「伊東の仲間が隊にいるんじゃあ、伊東が殺されたら大変なことになる」
「ええ」
「…伊東ってさ、このところ毎日隊士を誘って飲みに行ってるじゃない」
「島田や斎藤、それに永倉も…あ、そういえば吉村も。…それがどうしました?」
「ん。…伊東はたぶん、隊を抜けるつもりだと思う」
 土方の目が、驚きに変わった。
「まさか!…抜ければ切腹、というのは奴も解ってるはずでしょう」
「…逃げる、という意味じゃないの。伊東はたぶん、何かしら理由をつけて、分離するつもりだと思うのよ」
「分離?」
「うん。新選組と敵対しないっていうなら、アタシたちと争う理由もないじゃん?」
「じゃ、じゃあ、島田や斎藤は…」
「誘われてるのよ。伊東にね。それだけならまだいい。歳江ちゃんが言う通り、伊東がキンノーだったら…」
 このままでは、全ての隊士がキンノーになってしまう。ショッ○ーも真っ青の、新選組乗っ取り計画であった。

「芹沢先生、今夜一杯どうやろか?」
 次の日の昼ごろ、カモちゃん砲を整備していた芹沢に伊東が声をかけてきた。
「ん?別にいいけど〜」
「それじゃあ、仲間と待っとりますんで、よろしゅう」
 場所は祇園の料亭だという。とりあえず、罠ということも考えてみたが、まさか自分を殺すわけは無いだろうと思い直した。伊東は自分を仲間に引き入れたいのだ。
 時間になると芹沢は、カモちゃん砲を引きずりながら歩き始めた。

 料亭に到着すると、既に伊東はいた。伊東の周りには、久留米出身の篠原泰子、武州出身で剣術の達人の服部、弘前出身の、お手玉や皿回しなどの曲芸が出来たため「毛内の百人芸」と言われた毛内もいる。富山弥恵や藤堂平もそこにいた。
 芹沢は上座に座らされ、目の前には伊東たちが並んだ。
「芹沢先生、今の新選組をどうお考えですか。私は不満を持っているのです」
 始めたのは篠原だった。
「不満って?」
「攘夷を行っていないということです。我々は今まで攘夷を思い行動してきた。しかし、今の新選組は幕府の犬になっている。これでは帝のために攘夷など出来ません」
「芹沢先生、うちら、隊を抜けよう思とるんよ」
 ついに、伊東が口を開いた。芹沢は驚いたようなしぐさをわざと見せる。
「局を脱するを許さず。あなたも解ってるはずよね?」
「局中法度、よーく頭に刻み込んどりますわ、芹沢先生」
「その、先生ってのやめてくれない?恥ずかしいからさ」
「じゃあ、カモちゃんはん」
 「カモちゃんはん」はちょっと微妙だ、と芹沢は思った。
「このままやったら、新選組どうなる思います?腰抜けの幕府にいいように扱われて、最後には崩壊してしまう思いませんか?うちは、それでは新選組は勿体無い思いますねん。うちは、そのために仲間を集めてますねん」
「…どういうこと?」
「2度目の長州征伐は失敗しましたん、知ってはりますやろ?幕府が、長州っちゅう小さな藩に事実上敗北したんや。もう、幕府はこのまま倒れるしかない」
「あんたたちはキンノーにくっつこうってわけ?」
 伊東はかすかに微笑んだ。
「まあ、確かにそうやわなぁ。…でもな、カモちゃんはん。うちにとっても、あんたにとっても、幕府は武田先生を殺した憎き敵と違いますか?」
 芹沢は唾を飲み込んだ。動揺しているのが自分でも解る。
「攘夷の魁とならんとした天狗党を、幕府はばっさり斬った。今や水戸は佐幕派が政権を握っている…解ってますやろ」
「…そう、だけどさ」
 一瞬、体が震えた。だが、自分には…
「あたしは、水戸学がある」
「古いなぁ」
「古い?」
「…水戸藩じゃあ、尊皇攘夷はやっていけん。どうせ、水戸は徳川御三家の一つや。徳川家が自ら、倒幕をしようとするわけがないやろ」
 倒幕。
 伊東甲子はもう、水戸学を捨てていたのだ。芹沢の考えは完全にはずれていた。いや、彼女は京に出てきた頃から、水戸学を捨てていたのかもしれない。
「うちらと一緒に幕府を倒そう?あの、武田先生を殺した幕府を」
 伊東はそう呟くことで、芹沢の説得に、王手をかけたかのように思われた。
 篠原が注いだ酒を芹沢は一口飲む。アルコールが入る事で、多少自分らしさが戻ったような気がした。
 思えば、武田の冥福を祈るように島田と飲み明かしてから、今までほとんど酒を飲んでいなかったような気がする。
 今飲んだ酒は、多少ながら美味しかった。ただ…。目の前にいる伊東たちは、酒をそれより美味しくしてくれる人ではない。
(ゆーこちゃんや歳ちゃん…それに島田君と飲みたいな)
 なら、こんなところにいる場合ではないのだ。
(帰らなきゃ)
 芹沢は立ち上がった。伊東を一瞥すると、
「悪いけど、素直に賛成出来ないなぁ」
「…ほんまですか?」
「あたしさ、今でも頭ん中は水戸学なのよ。解る?あんたらの考えにはついていけない」
 全員が静まり返った中、ほろ酔い気分で、芹沢は料亭の階段をおりていった。

 外に出ると、土方や島田、それに数名の隊士がいた。
「あれ、どうしたの?」
「カモちゃんさん!無事でしたかっ」
「え?」
「1人で行っちゃったっていうから、心配で心配で…」
 そう言う島田を、芹沢は強く抱きしめた。
 死ななくて良かった、と少し思った。
「ねー歳ちゃん、お酒飲まない?一緒にさ」
「…はっ?」
「あいつらの出した酒まずくてさー」
 芹沢は笑った。土方もそれにつられて微笑んだ。
 いずれ、伊東とはぶつかることになるだろう。
 だが、芹沢の思いは1つだった。
 自分が伊東を殺る、と。


(あとがきにかえて・今回も近衛様のあとがきがなかったので代わりに若竹がSSを書きます)

【伊東】 どうやろか、芹沢をうちらの仲間に引き込めば・・・・・
【阿部】 確かに、芹沢の火力は無視できません。
【篠原】 うまくいけば新選組を二分できますな。
【伊東】 やっぱり金髪にバニーは似合うと思うんよ。
【篠原】 ・・・・・
【阿部】 ・・・・・
【藤堂】 あっ、不条理95%。
【阿部&篠原】 ああああっ!!!伊東さんが壊れている〜。
【土方】 芹沢さんが生きてるからな。がんばってバニーを務めるように。
【伊東】 おおきに。
【芹沢】 うわーい☆ バニーだあ。
【島田】 誰も止めないんですか?
【土方】 不条理だからな。致し方ない。
【近藤】 いいのかな? それで。


近衛様まで感想をどうぞー。

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