その時カモちゃんが動いた

第二部 さよならサイちゃん



 新選組が結成されてから1年ほど経過した頃、芹沢に手紙が届いた。

 カモちゃんへ
 お元気してますか。武田です。京都の春はどうですか?
 今、水戸はけっこう大変です。昔みたいに、あたしやカモちゃんが堂々と歩いていた頃とは違います。
藩主、斉昭公がお亡くなりになってからというもの、尊皇攘夷という志はだんだん失われているように思います。
 ところで、藤田こしろー君、覚えていますか?
 彼が今年、攘夷の魁となるため、挙兵しました。もともと1人で突っ走る性格だったんだけど、
こんなことをするとは思いませんでした。
 私、なんとか藤田君をなだめて、幕府に投降させようと思っています。
 あまりお酒を飲まないようにね。ほどほどに。
 その代わり、あたしが京へ来た時には、一緒にお酒飲みましょう。約束ね。
 お元気で。それでは。

水戸藩家老 武田斎子

「尊皇攘夷…かぁ。懐かしいね」
 芹沢は寝転びながら、静かに言った。
 元治元年(1864年)の3月、水戸藩の尊攘思想の核である藤田東湖の第四子、藤田こしろーが筑波山に挙兵した。彼は昨年には、長州の久坂や桂小五郎とも交流し、故郷に戻って考えた結果、水戸で攘夷という志を天下に示そうということになり、武田に総帥になるよう懇願したが「時期が早すぎるわよ」と一蹴され、自ら天狗党の同士と挙兵したのである。
「あたし、京でこんなことやってていいのかなあ」
 芹沢は言った。“こんなこと”、とは「寝転んでいる」ということもあるし、「幕府に仕えている」という意味でもある。
 自分はこの兵に参加しなくていいのか。「尊皇攘夷」という運動に。追い出されたとはいえ、天狗党は芹沢の古巣である。武田以外にも気の合う仲間は何人かいた。
 しかし、今の自分は何をやっているのだろう?かつての「尊皇攘夷」の志とは裏腹に、今は会津という大きな佐幕の藩に仕えて、尊攘の浪士を叩き斬っているのである。
 ちょうど、土方がゆっくりとこちらに歩いてきていた。芹沢は手紙を隠すと、
「ねえ、歳江ちゃん」
「芹沢さん、何かありましたか?」
 とりあえず、聞いてみるか。と、芹沢は判断した。あまりにも無用心な行為である。
「天狗党が挙兵したの、知ってる?」
「筑波山でしたね。…心中、お察しします」
 歳江ちゃんにしては珍しいじゃん、と思い芹沢は少し微笑んでみる。
「もし、あたしがさ。天狗党の挙兵に参加する、って言ったら…斬るよね」
「それは、局中法度が判断することです」
 土方は静かに言った。しかし、悲しげな顔つきだ。芹沢は、いつも無表情か、怒っている彼女しか見たことがない。
「…あたしが水戸にいた頃は、徳川斉昭っていうおじさんがさー、えっちな人だったけど名君でさ。その時の流行だったのよ。尊皇攘夷っていうのはね。でも…」
「斉昭公が亡くなってから、次第に佐幕派が台頭してきた」
「そうらしいね。…どうしてこうなったのかな。水戸藩ってのはさ…。名君を生んだからこそ、名君が亡くなった後、争いが起こったのかもしれないね」
 そう呟いてから、芹沢は土方の顔を見てみた。難しい顔をしている。芹沢は慌てて、
「あ、ごめんごめん、寂しい話になっちゃってさ。あたしのキャラじゃないよね」
「芹沢さん」
 そう言って、土方はいつの間にか持っていた餅を差し出す。静かに、2人で分け合って食べた。言葉で語らなくとも、土方のその行動が語っていた。

 6月には、池田屋事件が起きている。芹沢はその数日前に、宴会場から一人で帰るところを何者かに襲われ、腹に一太刀入れられた。神道無念流の達人ではあったが、泥酔していたのがやられた原因であろう。発見された時は見るも無残な状態であったが、まだ息はしていたのでとりあえず隊内で回復を待とうということになった。
 誰もが、士道不覚悟により切腹という運びになるだろう、と悲観的に考えていた。「鬼の副長」と言われている土方のことだ。相手が局長であっても容赦はしないだろう、と。
 芹沢は、腹に包帯を巻いて横たわっていた。信じられない回復力で、傷はすでにふさがりかけていたが、それが元で高熱を発していた。
「カモちゃんさん、大丈夫ですか」
 入ってきたのは島田誠である。その瞬間、芹沢は飛び起きた。
「まだ寝ててくださいよ」
「ん〜…だいじょぶ、だからさ。早く動けるようにならないと…切腹、出来ないし」
「えっ?」
「それを伝えに来たんでしょ?…新選組局長カモミール・芹沢、傷が完治しだい、士道不覚悟により切腹…ってね」
 土方のまねをして、芹沢は飄々と言ってのけた。
「介錯は島田君がしてくれないかなあ…。それだけでもあたし、幸せだからさ」
「いえ、違うんです。カモちゃんさんは、切腹しなくてもいいんです」
「えっ…嘘でしょ?」
「いいえ。完治したら下手人を始末せよ、とのことです。…その、俺も手伝いますから」
 あまりにも意外だった。芹沢は目をぱちぱちとさせ、それから頬を叩いてみた。痛い、ということは夢ではない。しかし、やっぱり変だ。
 しかし、考えるのも今や面倒になっていたので、彼女は考えるのをやめた。
「…ま〜いっか。さ、島田君、こっち来てよ。お酒飲も♪」
「ちょ、ちょっと、まだ傷が…」
「まあまあ。酒は百薬のナントカっていうでしょう?」
 この土方の意外な処置に、誰もが驚いた。「副長は身内に甘い」という風評も立った。
「…ありがと、歳ちゃん」
 近藤は自室で土方に小さく言う。土方は複雑な表情をしていた。土方が甘い処分にしたのは、2つの理由があった。
 1つ目は、近藤が懇願したことだ。2つ目は、これは土方自身が考えたことなのだが、「この時期に局長が死なれては困る」、という思いだった。これがけっこう自分では出来が良かったので、これを自分自身、そして周囲への大義名分にした。
 土方も、もう芹沢にはけっこう情が移ってしまっていたのである。

 池田屋事件が起きてから数日後、ようやく芹沢は見回りが出来るほどの体になった。素晴らしい回復力である。芹沢は監察の山崎を使って調べさせた結果、すぐさま下手人が判明した。御倉と荒木田という2人の隊士で、芹沢が襲われた時のアリバイが無かったほか、そこで目撃されていたのである。どうやら長州の間者であるらしいという噂があった。
 芹沢は、「ねえ、祇園で飲もうよ〜」と2人を誘ったが、まったく応じないので島田が誘うことになった。島田が誘うと、なぜか2人は快く応じてくれた。
「なに、あのふたり〜」
 珍しく芹沢は怒っている。今日が殺害する日だというのに、既に熱燗を数本空けていた。
「あたしがわざわざセクシーに誘ってやってるってのにさぁ〜、全然なびかないなんてぇ」
 芹沢が怒っていた理由がこれである。島田は少し眩暈を覚えた。暑いからではない。
「たぶん、カモちゃんさんが下手人を探してるって知ってたからですよ」
 もう夜も更けている。芹沢は立ち上がった。
「じゃ、場所は例の小路ね。あたし、先回りしてくるから…」

 それから数十分ほどして。島田は、2人を連れて京の人気の無い小路を歩いていた。島田は提灯を持っている。
「2人とも、今日は腰据えて飲もうぜ!」
 島田がそう言うと、2人は遠慮がちに頷いた。その瞬間、島田の提灯が手から落ちた。暗殺の合図である。
 その暗闇の中で、後ろからこちらへ歩いて来るような足音が聞こえた。
「新選組局中法度、士道不覚悟を許さず〜」
 独特の間延びしたような妙な声が聞こえる。御倉と荒木田は後ろを向いた。もうこの時には島田はいなくなっている。芹沢の方に走っていったのだ。
「つーかね、あんたたちを斬るのに士道なんかどうでもいいのよ。長州とつるんでるってだけで、新選組にはいられないのよ〜」
 足音が早くなった。芹沢が駆けている。荒木田があっという間に頭部を割られて倒れた。凄まじい切り口である。頭蓋が割られ、脳漿が飛び散っていた。御倉の刀が震えている。だが、御倉も喋ることは無かった。背後から、芹沢が御倉の首を刎ねていたからだ。

 その後すぐに、長州は家老の福原越後、国司信濃らを中心として京に進軍し、会津・薩摩と激突した。京都御所の門の一つ、蛤御門でもっとも戦闘が激しかったことから、禁門の変とか、蛤御門の変、などと呼ばれている。
 この戦いで長州はこの戦闘で多くの人物を無くし、敗走した。
「あの時、福原越後って奴はねえ〜、烏帽子つけて鎧着てたんだってさ。ふっる〜い」
 新しいもの好きな佐賀藩藩主、鍋島直子はそう嘲笑したという。まだまだ、長州藩は幕府に抵抗できるような強さを持ってはいなかったのである。

 蛤御門の少し後から、芹沢は何者かに監視されていることに気づいた。
 しかし、相手は長州の者じゃない、と芹沢は考えていた。彼らは蛤御門でほぼ一掃されたと言っても良く、今や京の街を出歩くのも難しい状態だからだ。
(なんなの…)
 そう思いながらも、理由は解っていた。芹沢は単独で、黒谷へ向かうことにした。
「新選組局長、カモミール・芹沢です。会津侯にお目通りを」
 そう言うと、家老たちは会津藩主、松平けーこちゃんの前まで通してくれた。
「あれ、どしたの?お金足りなかった?褒賞金あげたはずだけど」
 のん気に松平はそう言う。芹沢は首を振った。
「あたしに監視をつけたでしょ」
「…やっぱり解っちゃった?」
「どうして?」
「…あんた、知らないの?」
「何を?」
「天狗党のこと」
「…痛いほど知ってる」
 松平はそれを聞いて、急に真面目な顔つきになる。
「やっぱりまだ知らないみたいね」
「だから、何だっていうのよ!?」
「…水戸藩家老、武田斎子が天狗党に参加して、京都に向かってるんだよ。旧友のあんたが、それに加わらないとも限らないでしょ?…加勢したら死ぬよ」
 芹沢は目を大きく見開いた。
(嘘…)
 あの、手紙の文面が思い起こされた。藤田こしろーをなだめるのではなかったのか?なぜ、一緒に乱に加わっているのだろう。芹沢には解らなかった。
「馬鹿…」
 芹沢の両手が震える。松平は静かに芹沢を見ていた。

 それから数日間、芹沢は自室に篭ってあまり喋らなくなった。いつもは部屋の片隅に酒の瓶や徳利が置いてあったのだが、最近はまったくない。隠れて酒を飲んでいるわけでもないようだ。
「島田、ちょっとこっちに来い」
 その日、土方は芹沢の近習である島田を呼び止めた。
「何ですか?」
 隊務をやらない芹沢を叱るのだろうと思ったが、土方の表情はそうでもない。
「いや…その、なんだ…」
「早く言ってくださいよ」
「急かすな。…ん〜、芹沢さんの様子がおかしいそうだが」
「ショックだったんじゃないですかね。例の、天狗党の件」
「ああ、武田斎子の話か…」
 土方はいきなり服の袂を探り、餅を取り出した。はたから見ると、少し妙な光景だ。
「ま〜、そのぉ、えーと、芹沢さんに餅でも食わせてやれ」
「あ、どうもすみません」
 また餅かよ、と言う言葉を懸命に島田は堪えた。
「断っておくが、私は芹沢さんが心配なのではない。隊が心配なだけだ」
 そう自分に言い聞かせるように言うと、足早に土方はその場を去った。
「芹沢さーん、島田です」
 そう言いながら、島田は障子に手をかける。
「あ、うん…入っていいよ」
 ゆっくりと開けると、芹沢はその場に座り込んでいた。
「副長から芹沢さんにって」
 そう言って、島田は芹沢に餅を渡す。芹沢は餅を一口食べた。
「そろそろ、巡回行かないと…」
「大丈夫ですか?」
「…島田くんさ。あたし、大丈夫だから」
「え?」
「そんなに弱くないからさー…えへへ。でも、心配してくれてありがと」
 島田には、芹沢が涙ぐんでいるように思えた。
 時代は流れ、11月。「尽忠報国」という志を朝廷に直訴しようと京に向かった天狗党は、越前の辺りで追っ手の加賀藩に降伏した。
 彼らは幕府に反抗したわけではない。ただ、攘夷を行おうとしただけである。だが、事情を知らない由比という武士の独断によって、彼らは「反乱軍」として扱われた。武田斎子、藤田こしろーら天狗党のメンバーは、越前の粗末な魚を干す蔵へ監禁された。食事も握り飯を時折投げ込まれるという、酷い有様であった。
「藤田君。こうなるって解ってたんじゃない?」
 蔵で、武田は藤田にそう呟いた。藤田はしばらく黙っていたが、
「…各地で浪士が呼応してくれるはずでした」
「確信はなかったんでしょ」
「…」
「どうして…あなたはそう、突っ走るかなあ。…若いから?」
 武田は少し微笑んだ。だが、藤田は静かにしているだけであった。
「…武田先生は」
「ん?」
「どうして、我々の軍に参加してくれたんです?…しかも、総大将となって。先生ほどのお方なら、勝つ見込みが無いのは解っていたはずです」
「そりゃ…あなたたちを助ける方法が、それしかないと思ったから」
「え?」
「処刑されるのは総大将や幹部たちでしょ?あたしは死ぬために来たのよ」
「武田先生…」
 あちこちで、すすり泣きが聞こえている。武田はゆっくりと立ち上がった。
「泣かないでよ〜。ほら、みんな生きて帰れるんだからさ。ね?」
 武田の頬にも、涙が光っていた。
(カモちゃん、ごめんね、あたし約束守れない)

 翌年の2月4日。武田と藤田は「見せしめ」として、全員が見ている中で、手を荒縄で縛られ、奉行たちの前へ引き出されていた。
 周囲では心配そうに仲間が見つめている。
「そのほう、倒幕を企てたのは疑いの無い事実である。よって、斬首に処する」
「我々は決して倒幕ではありません。我々は攘夷の魁として…」
「黙れ!倒幕の種を絶やすため、全員の首を斬る!」
「な…」
 武田は、思わず叫んだ。
「…貴様、それでも武士か!全ての首を斬るなど武士の風上にもおけぬ!」
「ええい、はよう、この者の首を斬れっ」
 武田が最後に何か言おうとしたが、その前に首に白刃が振り下ろされた。
 生き残っていた天狗党700余名の中、うまく言い逃れた者は流罪、15歳以下の少年少女は寺で僧となり、残り全ては町外れに連れて行かれて全員が斬首された。
 大きな穴を掘って、そこへ死体を投げ込む。そこは今、神社になっている。
 この処置で当然、幕府への批判の声はさらに強まった。幕府はこれで、自らの首をさらに絞めることになってしまったのである。

 それから少しして、芹沢の元に手紙が届いた。武田が獄中で書いた手紙であった。普通、このような場合は奉行所の検閲を受けるが、これは奉行所に見つかることなく人から人へ渡り、芹沢の元に届けられたものである。

 カモちゃんへ
 お元気ですか。越前はけっこう寒いです。
 なんで自分の命を縮めるようなことをするのかって、カモちゃん、言いそうですね。
 でもね、あたしは自分が死ぬことによって、多くの仲間を助けたかったの。
 あたしと藤田君が死ねば、残りの人は死ぬことはない。そう思った。
 もし、全員を斬罪にするようなことがあれば…幕府は滅ぶでしょう。
 少しお金を入れておきました。ま、これは正規の手紙じゃないから、誰かに盗まれてるかもしれないけど…。
 いつまでも、お元気で。
 約束、破ってごめんね。
水戸藩家老 武田斎子

 すでにこの手紙が届けられた頃には、芹沢も天狗党の末路を知っていた。読んだ後、心配する島田をよそに、1人で芹沢は外に出ると、やがて一升瓶を片手に帰ってきた。
「島田君…一緒に飲んでくれる?」
「もちろんですとも」
 島田は胸を叩いて言った。彼にも、芹沢の気持ちは痛いほど解っていたはずである。瓶を開け、島田が芹沢に注ぐ。そして、芹沢が島田に注いだ。
「…サイちゃんに」
「乾杯」
 2人とも、杯に入れられた酒を飲み干した。芹沢はそのまま静かにしていたが、やがて目から涙が溢れてきた。ぬぐってもぬぐっても、涙は止まることがなかった。



(あとがきにかえて)

【土方】 襲われて傷を受けて、相手を倒せなかった芹沢さんは、士道不覚悟で切腹!
【芹沢】 ゆーこちゃんだって伏見で銃撃されたとき、逃げ出したじゃないの。
【土方】 では、近藤も士道不覚悟で切腹!
【近藤】 ちょ、ちょっとトシちゃん!
【原田】 じゃあ、後任の局長は誰にするの?
【土方】 ふむ、では今日から島田が新局長だ。全ての責任はお前が背負うと知れ。
【島田】 何だか、嫌な予感が・・・・
【永倉】 あ、不条理のパラメーターが100になってる。
【島田】 うわあ!不条理100%エンドは嫌だぁ〜!
【土方】 さあ、島田局長、まずは天皇の暗殺からだ。コツコツ小さな一歩から。
【島田】 しくしくしく・・・。


近衛様まで感想をどうぞー。

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