謎の土方歳江

後編の壱 襲撃編

 山崎と土方は、京都、大坂の宿を転々とした後、数日後には大和に入っている。驚くほどのスピードだが、関西の土地に詳しい山崎が手引きしたのであろう。
 この時期、新選組のうち、土方歳江と山崎雀だけが、大和に出張している事が、いくつかの資料に見えている。多くの新選組研究家たちは、この出張が何の目的であったのか分かりかねているようだ。また近藤はこの時期、腹痛を原因として公務を休んでおり、記録には見えない。そして土方と山崎の出張も、ただ「出張」としか記されておらず、何があったのかはまったく不明だ。
「なあ山崎、敵は本当に大和に居るのか」
 大坂の定食屋で、うどんをずるずるとすすりながら、土方は不安そうに呟く。無理も無い。敵がどこに居るのかまったく分からない中、山崎はただ歩いているだけ…のように、土方には思えた。
「敵は動いてない思いますよ。相手は手の内を見せてない…ま、策士気取りの人物ですさかい。このタイプは部下を動かして自分は動きまへん」
「…柳生に関係するものだから、ということか」
「ま、そういうことですな」
「しかし、そう考えるなら、真っ先に大和から逃げると思うのだが…」
 山崎が、げほげほ、とむせている。
「ま、まあ、なんとかなりますやろ」
「…何も考えてなかっただろ」
「失礼な!うちがどんだけ手を回して…」
「山崎、鼻からうどんが出ている」
「えっ」
 本当に大丈夫なのか、と、土方はため息をついた。

 それからまた数日の後。
 昼過ぎから振り出した雨はその頃には豪雨となり、ざあざあ、という音と雷鳴が、周囲をにぎやかにしていた。傘を忘れていた人々が慌てて走り去っていく。
「あ、今日はカレーですね」
 部屋にある大きな寸胴鍋を見て、武田が本当に幸せそうな笑みを見せる。口にマスクを付けた隊士が、鍋を開けて、おたまでぐるぐるとかき回していた。
「島田さん、今日はカレーですね」
 念を押すように、武田は島田に聞いてみる。島田はおたまを置いて蓋を閉めると、
「そうです」
「よかった〜。今日は私、食べますから」
「は、はあ。たくさんどうぞ」
「嬉しい〜」
 周囲から花柄の絵がほとばしりそうな笑顔で、武田は「ふふふ〜ん♪」と鼻歌を歌いながら歩いてゆく。変な人だなあ、というような顔で、島田は武田の後姿を見つめた。
「島田、どうしたの、手が休んでるよ」
 もう一人の今日のまかない担当、斎藤の声で島田は我に返る。
「いや、別にいいんだけど…」
「何が?」
「いや、武田さんって変わってるなあ、と思って」
「でも、仕事はちゃんとする人だから」
 島田は、どこがだ、と言いそうになったが、やめておいた。武田とは何回か市中見廻りに出ているが、「ちょっと古本屋に寄ってもいいですか」という一声で何度も中断された記憶しかない。
「島田か」
 またしても、声。しかしその声の主は分かっていた。島田がその方向に振り向くと、土方が立っている。雨に濡れたのだろう、あちこちびしょ濡れだ。
「あ、土方さん!どうしたんですか、いったい」
「芹沢さんは?」
「あ、ご自分の部屋にいらっしゃると思いますが」
「そうか」
「…山崎さんは?」
「急用でな、私だけ戻ってきたんだ」
 島田が、ああそうですか、と呟く前に、土方はいなくなっていた。

 芹沢は自室で、イカの塩辛を肴にちびちびと酒を飲んでいた。あともう少しで食事だが、もう待ちきれないのである。いつもなら誰か酒に付き合うものを呼ぶが、なぜだか今日は一人で飲みたい気分だった。
 土方が出ていき、近藤は予断を許さぬ状況、新選組を束ねていかなくてはいけないというプレッシャーが、彼女にのしかかっている。水戸藩や水戸天狗党など、いくつもの組織を渡り歩いてきた彼女だが、本格的に組織を動かしてゆくというのは初めての経験だった。勤務表をどうするか。支出は。収入は。この手の面倒なことを、今までは土方が一人でほとんどやってきたのだ。
「なんか今まで、歳江ちゃんに悪い事してたかなあ」
 勝手に、島田と見廻りの回数を多くしたことなど何度もある。ちょっとわがまま言ってたかな、と、芹沢は反省した。
「カモミールさん」
 その懐かしい土方の声に、芹沢は振り返った。土方が笑みを浮かべながら、部屋の入り口に突っ立っている。芹沢は妙な違和感を覚えた。
「どしたの?歳江ちゃん。すずちゃんは?」
「急用が出来ましたので、私だけ戻ってきました」
「…あ、そ。何か面倒なことでもあったの?」
 土方は何も答えない。芹沢は立ち上がり、土方に近づいていく。すれ違う瞬間に、土方の刀を、芹沢は鉄扇で受けていた。虚を突かれた土方の額を、芹沢は鉄扇で一撃する。土方は頭を押さえ、よろめいた。芹沢は余裕の手つきで鉄扇を収める。
「なんだとッ…!?」
「…悪いね、あたし、気が立ってんだ。殺すよ」
「芹沢さん…どうして…」
 土方の言葉に、芹沢はかっこつけて息を吐いて見せるが、酒臭い空気しか出ない。
「あたしもなめられたもんね。…気に喰わないわ」
 芹沢は薄ら笑いを浮かべながら、刀を抜いて上段に、そして土方は下段に構えた。激しい雨音と雷鳴で、真夜中のように暗い中、行灯の炎と、二本の刀だけが光っている。芹沢が、真上から大きく斬り下げようとするのを、土方はその刀で受けようとした。しかし芹沢の怒りは限度を超えていたのか、それよりも早く、土方の頭蓋に芹沢の刀は落とされた。芹沢の豪腕のもと、土方の股下まで刀は振り下ろされる。芹沢が刀を抜き取った瞬間に、血しぶきが芹沢の体を包み、土方の体は身二つに分断された。
 これで終わった、と思った。しかし、芹沢はその死体を見て驚愕した。土方の姿はどこへいったのだろうか。そこには、新選組の服を着た、一匹の巨大な、体を真っ二つに裂かれた芋虫が、横たわっていたのだ。
「うげ…なにこれ」
 その気持ち悪い光景に、さすがの芹沢も、口元に手をやる。
 そんな中、慌てて走って来たのは斎藤と島田だった。
「あ、島田君。斎藤君も。敵は今片付けたけど…どしたの?」
「包囲されています!」
 そう、斎藤が焦った口調で叫んだ。
「え?キンノー?忍者?」
「それが…」
 斎藤が言おうとするのを遮って、島田が、信じられない、といった口調で叫んだ。
「土方さんなんですよ!土方さんが九人で…!」

 伊集院兼寛は、海江田の密使として四国・宇和島に来ていた。
 宇和島藩は、伊達政宗の庶子・伊達秀宗が、大坂の役の功により立藩したものである。もともと秀宗は政宗の嫡男であったが、秀の字から分かるように豊臣家と関係が深かった。そのため、秀吉の死後、時局の流れを読み取るのに長けていた政宗は、側室の子であった秀宗を嫡男から外した。そういう数奇な流れから、この宇和島の歴史は始まっている。
 宇和島城では、最初は門前払いになりそうになったものの、海江田の名前を出すとすぐに藩主まで取り次がれた。本当に、どういう関係なのか、と伊集院は首を傾げたが、あの朴念仁の海江田が、色恋沙汰になるとも思えない。
 藩主の部屋の襖が開かれると、部屋の奥の方に、背の高い女性が腕組をして立っていた。小さい眼鏡をかけ、髪は肩ほどまであろうか。伊集院よりも年上のような印象を受けるが、口元にはほんの少しあどけなさが残っている。眼光は鋭く、伊集院が部屋に入ったときから、伊集院を見据えて離さない。まるで蛇に睨まれた蛙のように、伊集院はそこで固まりかけたが、入り口で座っては話にならないので、近くまでいってから正坐する。それを見て彼女もまた、正坐した。…ほのかに不思議な香りが漂っている。
「私、海江田信義の部下で、薩摩藩士の伊集院兼寛と申します。…伊達遠江守様におかれましては、ご機嫌麗しく…」
「前置きはいい。用件は」
 眼鏡を手で直しながら、あくまで事務的な口調で、伊達は言った。
 きつそうな女だなあ、と、伊集院は頭を掻いた。あまり話したくない相手である。

 伊達遠江守こと伊達由城ゆきは、旗本、山口直勝の次女として江戸で生まれている。しかし祖父は伊達家から山口家に養子に入った人物で、伊達家との血の繋がりは薄くはない。当時の藩主・伊達宗紀になかなか子が出来ないため、宗紀の養女として宇和島入りした。
 彼女が藩主となった後は、宗紀の藩政改革を発展させ、石炭の埋蔵調査などを実施した。幕府から追われ潜伏していた高野長英を招き、更に長州より例の村田蔵六を招き、軍制の近代化にも着手している。かなりのやり手である。新しい物好き、ということで、鍋島肥前守直子とは仲良しであるらしい。
 伊集院が何も言わないのが気に喰わないのか、伊達は近くにある葉巻の袋から一本取り出して、手馴れた手つきで火をつけ、ニコチンをゆっくりと吸ってみせる。
「…村田蔵六について、教えていただきたいのです」
「もう少し、近くに寄れ」
「は…」
 一瞬戸惑ったが、伊集院は立ち上がると、伊達に近づいていく。伊達は何も言わず手で静止させると、脇にあったグラスに氷を入れ、大きな瓶に入っている茶色い液体を注ぐ。不思議な香りがたちこめた。さっき漂っていた香りだ。
「な、なんですかそれ」
「“凄い七面鳥”という名前の酒だ。…薩摩生まれのくせに知らないのか?」
「いや…」
「ウィスキーという。西洋の焼酎のようなものだな。これは米国で作られた奴だ」
 酒を飲まねば腹を割って話せないと言いたいのだろう。伊集院は口に含んでみる。喉が焼けるように熱いが、確かにこの感覚は故郷の芋焼酎を思い起こさせた。
「うまいか」
「あ、けっこう喉越しが爽やかで、私は好きです」
「そうか」
 ようやく、伊達は微笑んで見せた。
「鍋島の奴はワインばかりでな。土佐の山内はザルだから誘ってみたら、“日本の酒しか飲まない”ときたもんだ。まったく、困った奴らばかりさ」
「ははあ…」
 内心伊集院はほっとしていた。
「で、村田の話だったかな」
 伊達はウィスキーを自分のグラスにも注ぐと、ゆらゆらと手でまわしている。伊集院は、今、村田蔵六=大村がしようとしていることを事細かに説明した。うんうん、と真面目な表情で、伊達は、伊集院が渡した封筒に入っている紙を見ながら頷いている。
「しかし、あいつはもっと控えめで、優しい性格だったが…」
「ははあ」
「まあ、人は変わる物だからな」
「いや、しかし、その…村田…大村は、怪しい術を用いるような人間でしたか」
「いや、違うな」
「え?」
「あいつは、何が起こっても、必ず検証しないと信じない。ああ、懐疑主義者という奴かな」
「ははあ…」
「それに、剣の腕もからっきし駄目だったはずだ」
 妙だ。
 剣の腕前も凄まじく、妖しげな忍術のようなものを、海江田の話によれば大村は使っていたはず。伊達の話が正しいとすれば不自然だ。
 突然、伊集院は立ち上がった。
「私は戻らなければなりません」

「あの芋虫は…何なのです」
 海江田は、側に居る大村にそう言った。当然の疑問だ。大村は、視線を海江田に移し、嫌な笑みを浮かべた。
「ああ、海江田さんは知らなくてもしょうがないでしょう。…変異虫といいます」
「…?」
「“大陸に、妖しき虫を用いる術あり”と、古記録にあります。相手の髪の毛を食べさせた芋虫が、繭を成すとその者に変化する。能力は本人と寸分違わず、術者は己が思念にてこれを操れるとか…」
「なに…?」
「これさえあれば、もはや軍勢を作る事もたやすい。一人の剣豪の毛髪をもってすれば、我々の目的、幕府転覆は達成されるでしょう」
 海江田は、ごくり、と、唾を飲み込んだ。
 「黒谷に十匹、屯所に十匹、そして護衛用に十匹用意すれば十分」
 竜眼斎の言葉が、彼の脳をぐるぐると駆け巡っている。同時に、彼は、もはや大村にはついていけない、と思った。伊集院が戻ってきたら一緒にここを離れ薩摩へと帰ろう。
「大村さん。あんたは、いったい…何を考えてるんです」
「私は幕府転覆、それだけを考えています」
「馬鹿な…手段は何でもいいのかっ!」
 海江田は思わず、目の前のテーブルを手で叩いた。大村は少しもひるまず、涼しげな表情で海江田を見つめるだけだ。勢いあまって叫んでしまったものの、何の反応も見せない大村に、海江田は拍子抜けして黙ってしまった。
「…少し、散歩に行ってきます」
「…どうぞ、ご自由に」
 はああ、と大きなため息をついて、海江田は部屋を後にした。後ろで大村の高笑いが聞こえる。もう全て嫌になった。薩摩に帰って、豚の焼いたのを肴に芋焼酎でも飲もうか。と、そのアジトを去り、少し歩いたときである。何の偶然であろう、なぜか口元を押さえながら、こちらに走ってくる男が一人。よく見れば伊集院である。
「おお、伊集院か!」
「いや…帰りは宇和島藩自慢の蒸気船で送ってもらったんですが、船酔いしちゃいまして」
「で、どうだった」
 伊集院は海江田の近くまで来ると、ひそひそ声で、
「クロです。大村益次郎と名乗っている男は、恐らく偽者です」
「だとすれば…恐らく、何者かが鏡面を使い、本物の顔を盗み取った後で、本物を殺したのだな…自らの欲望を成就させるために」
「じゃ、じゃあ、我々は…」
「手垢のついた言い回しだが、奴の意のままに動かされる駒という役回りだ」
「海江田さん。今すぐ戻って奴を…」
「待て。ここは静観する」
「えっ!?」
「奴が何者か分からなくなった以上、手を出すのは得策ではない。ここはじっくり、奴の手を見てみようじゃないか」
 そう呟きながらも、海江田は、いつかケリをつけると心に刻み込んだ。

 時間は少し戻って新選組屯所。大雨の夜、芹沢は屯所内にいる隊員たちに非常呼集をかけ、その中から数名を残し、残りは屯所の一番奥に匿わせ、井上源三郎、山南敬助をその警護に当たらせた。斎藤、島田の他に、沖田鈴音、原田沙乃、永倉新、藤堂平、武田観奈が残った。
「いったいどういうことなの…?トシさんが屯所を襲うなんて…」
「しかも九人。わけが分かりません…」
 沙乃やそーじがぼそぼそと呟く。それはここにいるみんなもそう思ってるはずだ。
「観奈ちゃん、データは出た?」
 武田は先ほどから、なにやらパソコンらしき物のキーボードを叩いていたが、ぴい、という音とともに、屯所の大まかな地図、敵の配置、味方の配置が映し出される。
「敵は九人、完全に屯所を囲んでます。なんか変なんですよね〜…反応が人間っぽくないというか」
「あたしが殺したのは、斬った後に芋虫になったのよ。あいつら、芋虫が何かの術で歳江ちゃんの形になってるってわけ。…でも、腕は互角みたい」
「えーっ、じゃあ、滅茶苦茶強いってことじゃないですか!結局のところ、土方さんが九人もいるんでしょ!?無理無理無理!」
 叫ぶ島田を沙乃が小突いて静止させる。とはいえ、状況はまったくこちらに不利だ。要らぬ犠牲を避けるため、芹沢は精鋭のみを残したつもりだったが、しかし土方が九人、どう考えても互角に戦えるとは思えない。二・三人は倒せたとしても、スキをつかれて全滅するのがオチだろう。
 雨は少し落ち着いてきて、だんだん弱まっていく。うるさかった雷も鳴らなくなった。九つの反応はまったく動かない。我々をじわじわと追い詰めようという腹なのだろう。
「あのう」
 芹沢が悩んでいる中、す、と、武田観奈が手を挙げる。
「ん…何?」
「私に策があるんですが、宜しいでしょうか?」
 皆が不思議そうな顔で武田を見つめる。武田が目の前のパソコンを操作すると、うぃいいいん、という変な音がして、突然、芹沢たちが立っていた畳が動き始めたのだ。芹沢たちは慌てて畳から離れる。畳が動いてそこに空間が出来ると、そこから、小さな戦車のようなものがせり上がってきた。ただし、砲塔にはパラボラアンテナのようなものがついている。奇妙な戦車である
「…こんなこともあろうかと、作っときました」
 にこやかな笑みで武田は呟いた。手が震えている。どうしても言いたかったらしい。芹沢は、何か言いたげな、苦い表情でこの奇妙なメカを見つめていたが、不意に、
「これ、アイデアは近衛君でしょ?」
「近衛忠房さんですか?その通りです」
「やっぱりね…あの子は、人として軸がぶれてるからねえ」
 近衛忠房は一応左大臣という役職の公家だが、実際のところは父親にほとんどの実権を握られている。彼も変わった趣味を持っているため、こんな物の案を出すのは彼しかいないだろう、と思ったのだ。
「まあいいや、使おうよ、これ」
「分かりました」
 武田は真っ黒いラジコン操縦機のようなものを取り出すと、それについている十字キーを動かし始めた。きゅいきゅいきゅい、という不快な音を立てて戦車は動き出す。押し寄せていた土方「たち」の波に、戦車は突進した。そして、戦車から突然赤い光が発せられたかと思うと、土方の集団九体は焼き払われ、塵となって跡形も無く消えたのである。拍手と歓声が沸き起こったが…少しして、戦車は盛大な音を立てて自壊してしまった。
「わっ、どうしたの、あれ!」
 芹沢の叫びに、武田は苦笑いしながら、
「ああ…ちょっと、エネルギーの調整を間違っちゃいましたかねえ…出力が強すぎたのかな」
 見れば、土方部隊だけではない、その周辺の建物までもが、一瞬で業火に包まれているではないか。慌てて芹沢はバケツリレーで火を消させた。とはいえ、これでは苦情が出るどころか、弁償ものだ。
「と、ともかく…敵はまだ来るかもしれないから、油断しないでね」
 と言ってみたものの、芹沢は、敵はもう来ないのではないかと踏んでいた。その前に本物の土方が敵を倒してくれるだろうと予測していたからだ。

 会津の本陣がある黒谷。
 深夜、その黒谷へと向かう十の黒い影があった。顔に覆面をしているが、その髪の長さ、服装は紛れも無い…そう、黒谷に向かった土方の複製部隊である。音も無く疾走していた彼らは、突然、その場で全員が、まるで何かにひっかかったかのように止まってしまった。見れば、全員の足元に、木が絡みついているではないか。
「ほほ、悪いがの、お主たちの企みは見切った」
 そう声が響き、土方たちの目の前に、突然、巨大な木が出現し、更にすくすくと伸びていく。一つの枝に花が咲き、大きな実がなって、そこから、一人の老人が出現した。その奇怪な光景に、土方たちはそれをただ見ているだけだ。老人はそこからゆっくりと地面に降りてゆくと、眼前の敵を見据えた。
「貴様…何者だ!」
 土方の一人が叫ぶ。老人はにやり、と笑って、額をぴくぴくさせながら、その問いには答えず、
「果心居士、しがない幻術使いじゃ。どうせ竜眼斎の奴も聞いとるんじゃろうが…大陸から、変異虫のような物を持ち込んだ貴様の罪は重い」
 果心居士が、ぶつぶつ、と何事か唱えたかと思うと、土方たちの足元に絡まっていた木が突如伸び始め、土方たちの体に巻きつき、そのままぎりぎりと締め付ける。正に五体がばらばらになるような恐るべき苦しみの中で、最初は抵抗していた者たちも、徐々にその反応が薄れ、うめき声しか聞かれなくなっていった。
 果心居士が、両手をぱん!と叩いたかと思うと、木は極限まで締め付け、それに耐え切れなくなった、十人の土方の体が一気に、頭、両手足、胴体とばらばらになり、血飛沫とともに飛び散っていく。この世の物とは思えないおぞましい光景だったが、老人は眉一つ動かさなかった。
 その死体は、地上に落ちる頃には芋虫の奇怪な骸と成り果てていた。果心居士がそれらに目をやると、芋虫の骸は青白い火をはなって燃え出した。
 まだ危機が去ったわけではない、本命はまだ残っている。

後編の弐 終幕

 大和国、柳生の里に入る一歩手前。丘の上に、古びた陣屋の跡が残っている。
 灯台下暗しやな、と山崎は思った。あちこちで聞き込んだ情報によれば、キンノーのアジトはここらしい。土方も自分も、突入できる準備は万端だ。
「ここで間違いないな」
 土方は、柄に手をかけると、刀を抜いた。気が早すぎる、と山崎は思ったが、それも当然だろう、と、あえて何も言わなかった。
 一方、その丘の上のアジトでは、大村益次郎がそれを待っている。
「大村さん、我々が出て様子を見ましょうか」
 海江田のその気遣いを無視し、ただ、大村は遠くから土方たちを眺めて笑っているだけだった。
「大村さん」
「…あ、いいえ、あなたがたの手を煩わせなくとも良い、のです。ま、ここは私に任せて欲しいのです」
 そう呟くやいなや、大村は例の竜眼斎と名乗る老人を連れて部屋を出て行く。それを確認して、海江田は舌打ちした。それを聞いた伊集院が、
「本当に勝てるんでしょうかね」
「何か策があるんだろうよ。あの男のことだ…俺たちは、それをゆっくり眺めようじゃないか」
 その部屋の奥で、小さな人形がカタリ、と動いたのを、誰も気づかなかった。

「わっ、な、なんだあれはっ、や、や、や、山崎っ」
「し、知りまへんよっ。土方さんは一番ご存知なんじゃ」
「知らんっ!私は何も知らん!」
 当の二人はがたがた震えだしている。無理も無い。丘の上に土方が十人立って、こちらの様子を伺っているのだ。奥の方には涼やかな表情の青年と老人が、嫌な笑みを浮かべながら突っ立っていた。
「あ、あれは…」
 山崎が老人を一瞥し、思い出したように呟く。
「芦谷竜眼斎…」
「な、何?」
「大陸で修行した悪しき陰陽師だと聞いています。あの、十人立ってる土方はんは、奴の術に違いありません」
 敵方、十人の土方は、一斉に刀を抜いた。それと同時に、奥の方に居た青年が一歩前に出て、しゃべり始める。
「私は、キンノーの大村益次郎といいます。降参しなさい。降参すれば命だけは助けてあげましょう」
「ふざけるな!私の顔を盗み、しかも、大切なものを奪おうとしている…貴様だけは、許すことが出来ない」
「ああ、早い早い、一秒で交渉決裂ですか。仕方ありませんね、土方一号から十号、相手をしてあげなさい!」
 その叫び声と同時に、芦谷竜眼斎が持っていた奇妙な形の笛を吹くと、土方軍団は一斉にこちらへ駆け下りてきた。馬には乗っていないが、これだけでも強そうだ。土方は、自分がどのくらいの力があるか、一番分かっているつもりだ。明らかにこちらの状況は不利だが、なぜか、土方は楽しかった。戦うのが楽しいのか、自分と戦うのが楽しいのか、自分でも良く分からない。
 山崎は数本の鍼を口に咥え、尚且つ、太ももに備え付けのクナイを二本、左手に持った。じりじりと近づいてくる土方軍団を、得意のジャンプで飛び越え、虚を突かれた一人の首筋にすかさず鍼を打ち込む。ぶるぶる震えたかと思うと、相手は奇怪な虫に変化した。
「相手が虫なら話は早い」
 真後ろから襲ってきた敵に対して、土方は慌てず騒がず、すぐさま逆袈裟に切り上げる。振り上げた刀でまたもう一撃、横の敵の首筋を薙いだ。これで、三人倒した。
「四人目!」
 山崎はそう叫びつつ、あちこちから降り注ぐ刀の雨をたくみに交わし、眼前の敵の額に鍼を打つ。山崎にとって問題なのは、まるで、自分が一人で戦っているような錯覚に遭うことだった。もはや誰が誰やら判別できない。唯一分かる事、といえば、本物の土方は決して自分に攻撃しないだろう、ということぐらいだ。やりにくいことこの上ない。一方の本物の土方は、鬼神の如き戦いっぷりを見せつけ、二人を刀で田楽刺しにすると、もう片方の手で脇差を抜き、構えて周囲を睥睨している。二刀流などやったこともないが、こうやらないと必ずスキが出来る、と土方は考えた。
 六人倒した。残り、四人。
(厳しいな…)
 土方と山崎は、お互いの背中をくっつけながら、同時に同じようなことを思っていた。
「土方はん、ここはうちに」
「なに!?」
「親玉はまだぴんぴんしてはります。土方さんは、あいつを」
 それしか策は無いだろうな、と土方も考えていた。土方は頷くと、敵の壁をかきわけ一気に大村の元へと突き進んだ。
「ここは私がやりましょう。あなたは、忍びの方を」
 そう呟き、大村が刀を抜くと、葦名は頷き山崎の方へ向かっていく。山崎は後ろに飛び上がって、口に含んでいた二本の鍼を投げる。それは見事に、敵の土方(紛らわしいなあ)の額に突き刺さった…これで後二人。
「伊賀の忍びか。動きでわかる」
 葦名は、山崎から大よそ十メートルほどの地点で、そう言い当てて見せた。それを聞いた山崎は不敵に笑いながら、少しずつ後ずさりした。逃げたのではない、敵との間合いを計っているのだ。それに、今から使う技は、ちょっと距離がないと使えない。
「なら、百地家直伝の技、拝ませてやるわ!」
 山崎の周囲から風が起こった。それと同時に周囲の草むらから、なぜか木の葉のような物が舞い上がり、敵…二体の土方めがけて飛んでいく。それは物の見事に、土方の顔にわさわさとかぶさった。山崎は飛び上がると手にクナイを持ち、凄まじい速さで二人の土方の首筋をえぐる。えぐられた首筋から血飛沫が飛び散り、顔が土気色に変わっていき、醜い毛虫の姿となった。
「な、なに…?全滅だと…!?」
 穏やかだった葦名の顔に動揺が走る。その動揺を見逃さず、山崎は背中に背負っていた忍者刀を投げつける。どす、という鈍い音がして、それは葦名の喉笛に突き刺さった。この老人は、あくまでもサポートを得意とする陰陽師で、実戦で戦ったことが無かったのだろう。
 とりあえず、目の前の敵は倒した、後は…。山崎は走り出した。

「キンノーの大村といったな。なぜこんなことをした」
「なぜ?」
 大村は余裕なのか、刀を収めて両手を広げ、欧米風のポーズを取る。あきらかに馬鹿にしている、という思いが、土方の心を一層熱くさせた。
「なぜかと聞いているっ!」
「楽しいからですよ」
「なに…?」
「私は戦いというものが、戦争というものがたまらなく楽しい」
 大村は薄笑いを浮かべた。
「土方はん、こいつの御託は聞かん方がええ」
 いつの間にか、土方の背後に山崎が来ている。
「柳生如風斎はんから話は聞いたで。大村、いや、柳生俊正はん」
「…ほう、僕の本名を知っていますか」
 後ろの方で眺めていた、海江田と伊集院はギョッとして、お互いを見合わせた。
「山崎!聞いてるのは私だ!」
 さらに、何事か言おうとした山崎の言葉を遮って、土方が叫んだ。
「楽しい…だと?」
「裏柳生の一忍びだった私が、いまや、キンノーの一軍師として、キンノーを裏から操っている。私は楽しい。やがて幕府が滅びれば、私は国の重要な職につける。私の能力を誰もが尊敬してくれる」
「下衆!」
「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らん…とはよく言ったものですね。お相手しましょう」
 大村は薄気味悪い笑みを浮かべると、刀を抜いた。
「柳生新陰流と立ち会ったことはおありですか」
 えー、ここでまた薀蓄。
 柳生新陰流の元を辿ると、室町時代の兵法家・愛須移香斎という不思議な名前の人物にたどり着く。その弟子で剣聖と謳われた上泉信綱が、奥義を受けたのち技を工夫し新陰流と名づけた。彼はまた初めて竹刀を発明した人物だと言われる。
 諸国修行の旅の中で多くの門弟を取り、彼らは多くの新しい流派を開いた。弟子である柳生石舟斎もまたその一人であった。これが柳生新陰流と言われている。石舟斎は柳生新陰流を、息子である宗矩と、兵庫助へ伝えた。宗矩は江戸、兵庫助は尾張に居たため、前者を江戸柳生、後者を尾張柳生と呼ぶ。
 しかし柳生新陰流は柳生家のお家芸ではなく、多くの者たちによって全国へと広まった。新選組にもコレを使う物が居るし、土方が知らない剣術ではないが…。

 大村の問いかけに土方は無言で答えた。大村は懐から、あの仮面を取り出す。土方は大きく目を見開いた。鏡面…それを土方が言うまもなく、大村は仮面を着け、土方になった。
「天然理心流という剣術に興味がありましてね…」
 その言葉は嘘だろう、と土方は思う。
 彼はただ、新選組をいたぶって楽しんでいるだけだ。
 山崎は少しずつ後ずさりした。助太刀しようとは思わなかった。今そんなことをやれば、土方に後で殺されるかもしれない…土方からの異様な殺気を、山崎は感じ取っていた。
 先に動いたのは大村の方だ。薄笑いを浮かべながら近づいてくる。思っていたよりも動きは早い。土方は脇差をもう一度鞘に戻すと、太刀一本で大村を迎える。二本の刀が揺らめき、がちり、と重なった。形勢は土方が不利。それは、そうだろう。先ほどの戦いでかなり体力を消耗している。大村は足のばねを使って一気に土方を押し返した。荒れた、緩やかな坂を土方は転げ落ちていく。大村はそれを眺めることなく、相手に第二撃を加えんと土方に向かっていった。
「死ね!土方歳江!」
 土煙がもうもうと立つ中、大村は坂を一気に駆け下り、跳躍して土方の背中から太刀を突き刺さんとした。どす、という音がする。しかし手ごたえは無い。…大村は、土方の能力を低く見すぎていた。あれだけの格闘をした後では、もう力は残ってはいまい、と踏んでいたのだ。太刀が虚しく地面を突き刺したその刹那、脇にいた土方の刀が、素早く、そして正確に、大村の首を薙いでいた。一瞬の静寂。そして、大村の首と胴が離れ、ごろん、と前に落ちると同時に、胴体もまた真後ろに倒れたのである。
 ひどく荒い息を吐きながら、敵の血を全身に浴びて、土方は呆然と立ち尽くしていた。
「やりましたね」
 それを見届けて、山崎が駆け寄ってくる。
「…山崎、帰ろう」
「…」
「近藤が。そしてみんなが待っている」

 海江田と伊集院は、アジトに戻り帰り支度をしていた。
「やっぱり新選組って強いんですねえ」
 いかにも、感激しました、というような口調で叫んでいる伊集院を、海江田は小突いてたしなめる。
「馬鹿をいうな。あれは俺たちの敵だぞ」
「ああ、そうでした…。ところで海江田さん、これからどうしましょう」
「そうだな。ひとまず、宇和島を通って薩摩に戻ろう。伊達遠江守様と例の蒸気船の件で話をしたいし…」
 と、突然、真後ろで、がたがたっ、という何かが倒れたような音がした。二人が驚いて振り返ると、ホコリが巻き起こった辺りに人が倒れている。二人は目を見開いた。先ほど、土方と戦い、首と胴体が離れて死んだはずの…大村益次郎、その人であったからだ。大村はそのホコリにげほげほと咳き込みながらも、ゆっくりと立ち上がり、二人の方を向いた。
「やれやれ…」
 大村の第一声がそれである。
「御魂返しという技を使いました。あらかじめスペアの肉体を、葦名竜眼斎に作らせておいたのでね」
 黙っている海江田と伊集院を尻目に、大村は滔滔と喋った。
「私も長州へ戻ります」

 それから数日して、太陽がさんさんと照りつける日のこと。
 ボロボロになりながらも、土方と山崎の二人は、ようやく京へたどり着いた。
「あ、トシさん、おかえり!」
 屯所の入り口で待っていた沙乃が出迎える。にこり、と微笑んだ土方は、すぐに怪訝そうな表情になった。
「…ああ。ところで芹沢さんは?」
「トシさんが居なくなってから、激務に身が持たないみたいで、昨日からダウンしてるの」
 隊の仕事などしたこともない芹沢にとっては、倒れるほどの激務だっただろう。
 しかし、それももう今日で終わりだ。今日からはまた三人の体制になる。
「島田の阿呆はどないしてん?出迎えに来いへんとは、あいつ…」
「あ、なんか部屋の隅でいじいじしてます、トシさんが怖いからって」
「いつものことだろう」
 山崎と沙乃の掛け合いに、土方はそう呟き、ため息をついた。
 だがようやく日常が戻って来ている。
 近藤は既に自室にいるという。土方は足早に近藤の部屋へと向かった。襖を音も立てずに開けると、そこにはベッドに横になっている近藤と、その傍らに付き添っている武田が居た。
「近藤は無事なのか?」
「ええ、順調に回復してます」
 武田は笑みを浮かべながら呟いた。
「ついさっきご飯も食べましたし…今は、寝かせてください」
 土方は思わず膝を着いた。その、どさり、という音に反応したのか、近藤が目を開ける。近藤はむっくりと起き上がって、土方を見つけた。
「…トシちゃん、どうしたの?」
 しかし、土方がその言葉を聞くことは無かった。疲労感と、近藤の姿を見た安堵感で、土方はそのままうつ伏せになって寝てしまっていたからだ。山崎が起そうとしたが、それを近藤が首を振った。
「ん…いいの」

補稿 明治二年

 その後の歴史を簡単に記そう。
 明治二年九月四日、京。
 木屋町の旅館に向かおうとしていた大村は、目の前に人影を見て立ち止まった。
「どなたですか」
 そう答えるが反応がない。歩み寄ってみると、自分が見知った人物であるということに気づいた。しかしその人物はずいぶんと殺気立った顔つきである。
 大村がその名前を呼ぼうとした瞬間、背中に鈍い痛みが走った。まるで周囲の風景が、スローモーションのように見える。
「海江田…信義…貴様か…」
「何でも自分の思い通りになると思うな。…この下衆」
 よく知った男の声が、勝ち誇ったように響いた。

 刺客によって背中を突き刺された大村は、辛くも命を取り留めたが、意識不明の重体。長州藩邸に移送され、数日間の治療を受けた後に、大坂の病院に入院し蘭医ボードウィンの手術を受けるが、十一月五日、容態が悪化し死去した。享年四十六。
 ちょうど、藩邸に大村の斬奸状が送りつけられ、人々が気を揉んでいる最中の惨劇であった。
 数ヶ月に犯人らしき男が逮捕された。当時、東京警視庁のトップであった川路利良は、すぐにそれを弾正台へと護送した。しかしそれが突然、送り返されてきた。証拠不十分だというのだ。
「ど、どういうことだっ!」
 川路は、思わず座っていた机を平手で叩いた。煙草が詰まった灰皿が下に落ち、灰が床を汚す。机を破壊せんばかりの勢いだ。
「お、落ち着いてください」
「これが落ち着かずにいられるかっ!証拠は提出していたはずだ!」
 しかもその書状には、大村が死んだのは自業自得である云々、と書かれていた。維新後、大村はいわゆる徴兵制度を考え、その仕組みを作ろうとしていたため、侍であった人々から憎悪の対象とされていた。だから、しょうがない…などというのだ。元々生真面目な川路にとっては許されざる行為だ。
「弾正台の長官を連れてこい!どうせ長州の奴らだろ。俺が行って…」
「いえ、長官は…海江田信義さんです」
「かいえだ…」
 川路は、まるで憑き物が落ちたかのように黙った。
 その後、彼はこの件について一言も発しなかったという。

 しかし海江田の目論見とは正反対に、時代は大村の予見したとおりに動いた。
 大村の徴兵制度は、その後山県有朋によって整備され施行。その後の日本の歩んだ歴史はご存知の通りである。大村は徴兵制度を作る事で何をしたかったのか。
「私は戦いというものが、戦争というものがたまらなく楽しい」
 日本の近代以後の歴史を考える時、彼のこの言葉が、私の脳裏をたまに掠めるのである。

補遺

 なお、大村益次郎別人説については、小谷善三郎『大村益次郎は忍者也』(大正八年、疑人書店)に詳しく記されており、本稿はこの本に依ったものである。



(おまけのSS by 若竹)
【原田】いったいどういうことなの…?トシさんが屯所を襲うなんて…
【沖田】しかも九人。わけが分かりません…
【芹沢】9人…。 そうか、野球ね!
【島田】こっちは、カモちゃんさん、俺、そーじ、沙乃、 永倉、武田、斎藤、へー、おやっさん、山南さんで10人ですよ。
【芹沢】じゃあ、井上のおじさまは監督ね☆
【斎藤】そういう問題なんでしょうか?


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