謎の土方歳江

中編 悲劇

「その、仮面の術というのを、使われたわけだな」
 無表情のまま、土方は山崎の報告を聞いている。山崎は、ええ、と呟いて、
「恐らく、キンノーの何者かが、柳生の里で鏡面を盗んだに違いありません。うちらの評判を落とすために使ったのではないかと」
「しかし、妙だな…」
「妙?」
「一つ、相手は柳生家、天下の武芸者集団だ。その、暗部を司る裏柳生の、秘中の秘とされる鏡面というのが…なぜ、キンノーの耳に入ったのか。二つ、なぜ柳生ともあろう者が、キンノーに鏡面を奪われたのか」
 その土方の問いに、山崎は沈黙で答えるしかなかった。キンノーは、確かに武芸者もいるが、所詮はただの不逞浪士の集まり、言ってしまえば愚連隊のような物だ。そんな彼らが、どうやって裏柳生の情報を知り、かつ、鏡面を盗む事が出来たのか。
「答えが一つだけ。…内応者が居たとしか思えません」
「しかしそんな…。有り得ん事だ…」
 裏柳生からキンノーに内応する者が出たとすれば、大スキャンダルである。裏柳生が秘密裏に暗殺しようとした理由もこれで頷ける。しかし土方は納得できなかった。天下の柳生ともあろう者が…である。江戸柳生、尾張柳生、そして裏柳生と、幕府に盲目的とも言える忠誠心を有し、幕府転覆を図る輩を、柳生十兵衛をはじめとして、多くの柳生家の者たちが秘密裏に抹殺していった、という話を、土方は子供の頃に知っているし、それが、柳生家のステータスでもあった。幕府を守るはずの柳生から、キンノーとなった者が居たとあっては、柳生の権威は失墜する。御家取り潰しという事にもなりかねないだろう。
 しかし今は動乱の時期である。そんなことが起きてもおかしくはない、と、土方は自分に言い聞かせた。山崎は「調査を続けます」と呟くと、あっという間に目の前から消えた。まだ土方には多少の余裕があった。

 果心居士は既に、山崎と柳生如風斎が接触するということを、如風斎に確約していた。如風斎の立場の弱さというのも手伝い、如風斎はこれを了承している。指定された、京都の寺に着くと、如風斎は既に居り、石段に座って、持っている風車に息を吹きかけて回していた。
「お初にお目にかかります。新選組監察、山崎と申します」
「果心居士殿から話は聞いている」
山崎は如風斎の隣に腰掛けた。
「裏柳生口伝に曰く…という言葉を、果心居士から教えられました」
 山崎の言葉に如風斎は苦笑した。
「裏柳生口伝に曰く、戦えば必ず勝つ。これ兵法の第一義なり。人としての情けを断ちて、神に会うては神を斬り、仏に会うては仏を斬り、然る後に、初めて極意を得ん。かくの如くに、行く手を阻む者、たとえ悪鬼羅刹の化身なりとも、あに、遅れをとるべけんや…」
 山崎は浪々とその言葉を紡いだ後で、「いい言葉です」と結んだ。
「柳生新陰流の祖、柳生石舟斎様の言葉と言われている…ま、わしの子供の頃から聞かされておったから、本当かどうか分からんがな」
「敵が誰であっても斬る、戦いの厳しさを説いた言葉です。…敵が身内であっても」
 如風斎は鋭い目で山崎を見た。
「…やはり、知っていたか」
「勘のようなものです」
 山崎の一言に、如風斎はため息をつき、観念したかのように、話し始める。
「我々の身内からキンノーに走る者が居た。柳生の名を持つ者がな」
「では…身内というのは」
「文字通りの意味だ。柳生の姓を持つ者だ」
 早く始末したいというのが、山崎にも良く分かった。
「新選組にも迷惑をかけたな」
 如風斎は頭を押さえ、声を絞り出す。このまま切腹しそうな雰囲気である。
「いや、謝罪は事が終わった後でもできます。対策を考えましょう」
 山崎は慌ててそう呟いた。とはいえ、問題は何も解決していない。

 数日後の夜。島田はなぜか、土方の部屋に居た。来たかったわけではない。なぜか、土方が「私に付き合え」と言ってきたのである。島田は、何かあるのか、といろいろと期待して行ってみたが、なんのことはない。自分の仕事に関するお説教であった。
「山崎は、お前が入る事で多少は負担が少なくなったと言っているが…」
「そりゃ、当たり前ですよ。雑用はみんな俺が…」
「だからダメだというんだ。お前は山崎みたいに身も軽くないし…」
 と、その時、がしゃーん、という音が土方の耳元で聞こえた。床の間に飾ってある花瓶が割れて、水浸しになっている。島田が慌てて雑巾を持ってきて、拭いてやった。
「どうしたんでしょう」
 土方は唾を飲み込んだ。
「今日の見回りは誰だった?」
「え、確か、えーと…斎藤だ!いや、斎藤だったのが、朝から腹が痛いとかいって休んで、代わりに…えーと、確か、あ!近藤さんです」
 反射的に、土方は立ち上がった。
「嫌な予感がする。山崎、居るか」
 奥の襖を開け、山崎が顔を出す。
「うわ、いつの間に」
「…そんなのはどうでもええやろ」
 島田の言葉に冷たく返した後、山崎は歩き出す。その後を土方が追った。島田は、二人も行くなら別にいいだろうと思って座っていたが、山崎の「あんたも来いや!」という怒鳴り声が響き、あわてて走っていった。
 外はひどい雨だった。番傘を持った三人は足早に、いつもの巡回路を歩いていく。と、山崎が屯所からほんの少し歩いたところで、変わり果てた近藤の姿を見つけた。
「…」
 土方は番傘を投げ出し、走っていく。近藤は雨の中倒れていた。頬をさすってみる。冷たく固まっておりぴくりとも動かない。当然だが顔色は悪く目は虚空を見つめていた。
「あ…あ…あ…」
 腹部からは血が出ている。土方の手が血でにじんだ。
 うわああああああ、と、土方は、絶叫した。

「…気ぃつかれましたか?」
 しゅんしゅんと沸き立つやかんからの湯気の音、そして、山崎の言葉で土方は起き上がった。周囲を見渡すと屯所の治療室である。
「土方はん、気ぃ失って倒れはったんですよ。それを島田はんが抱きかかえて」
「…こ、近藤は…近藤は!?」
 動こうとしたとき、後頭部に痛みが走り、「うッ」と呻いてしまう。山崎は首を振った。
「倒れた時に頭打ったみたいですわ。少し、動かん方がいい思いますよ」
「近藤は…いったい」
 山崎は何も言わない。土方の不安ばかりが募っていく。
「ま、まさか…!」
「…腹部を刺し貫かれたようです。奇跡的に命は取り留めましたが、意識はまだ」
 最悪の状態は免れたようだ。しかし、まだ予断を許さぬ状況だ。
 疑問も残る。
「…そんな馬鹿な。馬鹿な…近藤が油断するとは…」
「せやから、うちもそれが気になったんです」
 山崎は持っている小さなかばんから鍼を取り出すと、手馴れた手つきで土方に近づき、
土方をうつ伏せに寝かせ、上着を少しはだけさせると、鍼を打ち込んでいく。鍼を差し込むときに痛みが走るものの、後は、差し込まれた鍼から痛みが抜けていくように、引いていった。
「近藤はんが油断する理由いえば…」
 山崎がそう言わなくとも、土方も、うすうす気づいてはいた。
 もう一人の、土方歳江が居る。
 それは、キンノーとつるみ、内山彦次郎を暗殺し、そして今、土方の大切な仲間をも、奪おうとしているのだ。山崎の鍼の効果か、自分の治癒能力かは知らないが、後頭部の痛みはもう消えていた。土方は起き上がると、浅葱色の服をしっかりと着なおし、そばに置かれていた自分の刀を二本差す。そして、視線を山崎に移した。
「相手は…何も感じなかった。何も感じなかったはずだ」
「…土方はん」
 両手がぶるぶると震えている。怖いのではない。口が、なぜか鉄の味がすることに土方は気づいていた。唇が血でにじんでいる。あまりの怒りに、口の中を噛み潰してしまったのだろう。鈍い痛みが口の中に広がった。
「敵はどうやら、内部からうちらを攻め立てる作戦のようです。次の敵の行動は、恐らく真正面から打って出るはず」
「ならば、私がやる。この手で、この手で…」
 殺す。そう、土方は断言した。山崎が大きく息を吐いたのに、土方は気づいている。あきれたのだろう。自分を止めようとするかもしれない。しかし、土方は動じなかった。山崎が自分を止めようとしたら、山崎を殺してでも、自分は…。
「土方はん…」
「無謀だ、と言うのだろ?」
「うちも行きます」
 土方は黙った。

 次の日。朝早く土方は皆を呼び集めると、今までの経緯を淡々と説明した。当然ながらそれは衝撃を持って迎えられた。泣き出す者、怒りを露にする者、などなど…。「土方さんがいっぱいかー、嫌ですね」などと呟いていた島田も、近藤の話を聞くと、ひっそりと黙った。ただ一人だけ、芹沢が冷静な瞳で土方を見ていた。修羅場は何度もくぐっていると言いたげに。
「芹沢さんに、当面の新選組の指揮をとっていただけませんか?」
「ええっ、あ、あたしっ!?」
 芹沢は思わず目を見開いた。
 しかし、当然の人選だろう。もう一人の局長は芹沢だからだ。芹沢は黙った。
「敵はどこに居るか分からないが…しかし、我々は戦わなければならない。奴らの卑劣な手段にも、新選組は屈しないという事を見せ付けてやれ!」
 その土方の一言で、周囲は大いに沸いた。

 広い新選組屯所の中に、「科学班」という奇妙な文字が書かれた部屋がある。がちゃり、と鈍い音を立ててその扉が開けられた。中は本、本、本の山。地震が来たらどうにかなってしまうほどの量の蔵書数である。土方は、古本臭に少し嫌な顔をしながらも、目当ての人物を探した。
「武田、武田はいるか」
 と、奥の方から、煙草を咥え、髪を長くして、黒ぶち眼鏡をかけた、白衣姿の女性がのっそりと姿を現す。新選組五番隊組長、武田観奈。剣術は強くも無く弱くも無く、といった程度だが、その頭脳は天下一品である。
 もともと、出雲の母里という田舎出身で、本名を福田広子という。地味な名前だ。脱藩して長崎で科学を学び、それから新選組に入ったという変わり者である。土方は接近戦に欠ける彼女をあまり使わないが、科学に関しては誰よりも詳しいので、よく相談を受けている。
「近藤の生命維持装置に関してなんだが…」
「大丈夫です」
 片手に本を持ったまま、独特の、とろんとした口調で、武田は言う。いつも武田の姿を見ているが、この服を着ていない武田を見たことが無い。ちょっとだけ、土方は嫌な気分になった。
「まったく異常ありませんから…」
 武田はそう呟きながら、なぜか、左右に揺れている。
「おい、どうした」
「いや、ちょっと…。最近、本当にお金が足りなくって…」
 その言葉に、土方はため息を漏らした。
 武田のような、蔵書狂や愛書狂という種類の人々は、江戸時代、本が大量に普及したことと、識字率の増加によって、爆発的に増えたと言われる。いわゆるビブリオマニアの方々のことだ。本の内容を愛し、形を愛し、臭いを愛し、本のために生活が崩壊しても構わない、という、まあ言ってしまえば破滅型である。
 武田も、貰うお金のほとんどを本につぎ込んでいるという有様であった。
「平隊士たちに交替で料理を作らせているはずだ」
「いや、ご飯を食べる時間がないんですよ。時間が勿体無くて…食べることより先に本を…カレーライスだったら、本読みながらでも食べられるからいいんですけど…」
 土方は頭を抱えた。
「頼むから、今は、近藤の事に集中してくれ」
「はい」
「もし何かあったら切腹ものだぞ」
「あ、それは、嫌です。死んだら本が読めなくなります」
「そう、それでいい」
 土方は胸をなでおろし、部屋を出た。…彼女の活躍は、また別のお話。

 またしても、海江田信義は、憂鬱の中に居た。
 しきりに、自分の知らない話や、興味の無い話を話す大村益次郎に、である。ああ、もう死んでしまいたい。そこまではいかないものの、もしかしたらうつ病なのではないか、と、真剣に悩んでしまうほど、海江田は嫌な気分だった。あれから食事もなぜか豆腐ばかりになり、深酒も続いている。このままでは体が壊れてしまう。
「近藤勇子の暗殺は、重傷を負わせただけで失敗したという。それに、新選組はどうやら我々の居場所を探っているらしい。大村さん、あなたの計画は頓挫したと言えます。どうするつもりですか」
「いえ、そんなことはありませんよ」
 大村は冷ややかな目つきで海江田を見る。
「第二段階は失敗しましたが、これは失敗しても良い。むしろ、時間稼ぎと言っていいほどです」
 くだらねえ言い訳をしやがる、と、海江田は叫びそうになるのを、ぐっと我慢した。
「じゃあ、教えてもらいましょうか。その先の、第三段階は…」
「その話をしようと思って、今日、ある人物を連れて来たのです。私たちの仲間です」
 ドアを開けて現れたのは、才槌頭の怪しい老人であった。左目が潰れて片目となっているのが不気味さを増している。大きな杖をついて、よたよたと歩いているが、しかし瞳には精気があり、その今にも倒れそうな動きも演技のように見えた。大村が老人の方を見て、
「…陰陽師の、芦谷竜眼斎ろんがんさい殿です」
「おんみょうじ…?」
 この気に及んで何を言い出すのか。陰陽師といえば呪い師ではないか。まじないなどに頼ろうというのか。
「竜眼斎殿…。例のものは」
 芦谷竜眼斎は、にやりと笑って懐から朱塗りの小箱を取り出した。小箱の蓋を開けると、中には奇怪な、薄紫色をした二匹の芋虫が蠢いている。海江田は嫌な顔をした。
「既にこれを、三十匹用意しておる」
 芋虫を三十匹集めて何をすると言うのか?しかし、海江田には説明せず、大村はニヤニヤと笑みを浮かべるだけだった。
「三十匹。それはそれは…」
「黒谷に十匹、屯所に十匹、そして護衛用に十匹用意すれば十分」
 海江田は、話に加わらせてもらえない、いじめられっこのように、むすっとしてしまった。大村はそれに気づかないのか、竜眼斎と一緒に部屋の奥へと入っていった。海江田は自分が使っている部屋へと逃げるように去る。その場においてあったポットから、湯飲みへと無造作にお湯を入れると、一口含んだ。
「海江田さん、お疲れですか」
 その懐かしい言葉で海江田は我に返った。見れば、後輩の伊集院兼寛である。海江田と同じく示現流の達人であり、また友人関係を作るのが下手な海江田と違って、伊集院は顔が広く行動力もあって、西郷や大久保などとの関係も深い。そういう意味では使える後輩であった。
「あの大村ってヤツ、本当ヒドイですよね。同情します」
 海江田はインスタントのコーヒーが入った筒を取り出すと、近くにあった湯飲みを伊集院の方へ置き、コーヒーの粉を入れ、お湯を注ぐ。自分のところにも入れ、飲んでみたが、分量を間違えたらしく、苦いだけだった。
「伊集院君。頼まれてくれるか」
「え…?何を…ですか」
「ちょっと、宇和島まで行って欲しい」
「嫌です」
「嫌ですじゃないだろ、お前」
「だって遠いじゃないですか!」
 海江田は思わず、唇に人差し指を当てて「しーっ」と言う。
「まあ聞け。宇和島藩主、伊達宗城様は、俺のことを良く知っている。俺の名前を出せば大丈夫だ」
「いつの間にそんなフラグを…」
「いいから、早く行け」
「いや、あの、何を聞けば…」
 すかさず海江田は、ふところから一枚の封筒を取り出した。
「これを見せればいい」
「はあ…」
 伊集院は怪訝な顔をしつつ、「では」と呟いて部屋を出ていった。
 海江田はコーヒーを一口飲んで考える。幕府、そして新選組が憎いのは事実だが、このような手を使うのは気に喰わない。海江田は、呪い師などという得体の知れない物は、まず疑ってかかるタイプだった。言ってみれば懐疑主義者と言える。だからこそ、はいはい、と賛成は出来ない。本当にとてつもない妖術であったらなおさらだ。そんな手を使って勝てば末代までの恥となるだろう。
「なんとかケリをつけなきゃな」
 自問自答するように、海江田はそう呟いた。海江田の飲むコーヒーは、苦い。



(おまけのSS by 若竹)
【土方】敵はどこに居るか分からないが…しかし、我々は戦わなければならない。奴らの卑劣な手段にも、新選組は屈しないという事を見せ付けてやれ!
 その土方の一言で、周囲は大いに沸いた。
【芹沢】で、具体的にどこで誰と戦うの?
【土方】「分からない」と言っただろうが!
【芹沢】歳江ちゃん、それって無責任・・・。


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