謎の土方歳江

前編 仮面

「土方さん、ちょっと…」
 自室で一人、黙々と本を読んでいた土方は、二度目かの島田の声で気づいた。
「なんだ?」
「なんだ、じゃないですよ。今日、土方さんは夜の見廻りに当たってるじゃないですか」
 わざわざ、島田は勤務表を指差して確認してみせる。土方は読んでいた本に栞を挟むと、立ち上がってそれを見た。なるほど、確かに今日は自分が当番の日だった。
「そうか…。すまなかったな」
「いや、別に謝らなくてもいいですけど…」
 島田の呟きをよそに、土方は一人、屯所の入り口のところにある提灯を持ち、火をつけると足早に歩いていく。京都の町は治安が悪く、それが夜ともなると、天誅と言われる暗殺事件があちこちで発生している。何が起きてもおかしくは無い。土方は刀の鯉口を切り、いざとなったらすぐ刀を抜けるような体勢で歩いた。
 壬生を出て少しして、大きな道に差し掛かったときである。土方は背後に殺気を感じた。
(つけられていたか)
 土方は驚くと同時ににやりと笑って見せた。もう少し歩けば小さな稲荷がある。そこに入れば人気も無く静かなはずだ。土方は足取りを少し早くし、稲荷へと向かった。階段を上がり、幾つもある鳥居の前に出る。まだ背後に殺気はあった。ここでなら大丈夫だ、と思い、土方は後ろを振り返ってみせる。案の定、四つの影法師が並んでいた。
「…何者だ」
 影法師は少しずつ近づいてくる。近づいてくるにしたがって、その姿が明らかになる。怪しい姿から、不逞の浪士ではなく忍びであると土方は察した。その忍びのうち、三人が刀を抜いている。
「新選組副長、土方歳江と知っての事か!」
 そう叫んで見せたが、相手はたじろがないどころか、近づいてきている。
「お命、貰い受ける」
 一人がくぐもった声でそう言うと、四人が一斉に襲い掛かった。土方は慌てず刀を抜く。しかし相手は、土方の予想を上回る中々の使い手であった。思わぬ攻撃を受け、土方の髪の毛が何本か切れる。その太刀筋の凄まじさに、ただの忍びではない、と土方は悟った。正面から切りかかってきた相手を、土方は辛うじて胴を薙ぐ。その体は血煙をあげて転がった。
 その時…何かが自分の目の前に飛んできた、までは分かったが、その刹那、土方は何も見えなくなっていた。顔を何かにふさがれたようだ。
(しまった、このままでは…!)
 前が見えなくても、土方は必死に戦闘態勢を取ろうとする。しかし奇妙なことに、相手は手を出してこない。相手からはまったく殺気が伝わってこないのだ。そして、顔を覆っていた物は少しして取れた。その物は、敵の忍びの手に握られている。赤と黒に彩られた、妖しげな仮面であった。
「一体何を…!?」
 土方のその問いには答えず、忍びたちは少しずつ後ずさりし始める。
「これで我らの目的は果たされた」
 勝ち誇ったかのような声が響いた。次の瞬間には、忍びは霞の中に消えていた。土方は自分の顔を触ってみるが、別段変わったところも無い。近くに水溜りがあったので、月明かりに顔を映してみた。やはり、おかしなところはどこにもなかった。
 帰った土方は、今日の一件を、不逞浪士に襲われたが撃退した、ということにし、それ以上は何も語らなかった。話がややこしくなると思ったからだ。
 しかし、土方はそれから後に、自分の判断が間違っていた事を思い知ったのである。

 薄暗い部屋で、何者かが熱心に書を読んでいる。
「ようやく手に入れました」
 その声に、青年は笑みを浮かべた。まるで労細工のように美しい容貌をしている。忍びたちが現れると、青年に例の仮面を渡す。
「同志が一人やられましたが…」
「こういったことには犠牲が付き物ですからね」
 青年はにっこりと微笑む。その言葉に忍びたちは安堵した。

「どうも最近、おかしな噂を耳にしまして」
 そう言うのは、監察の山崎雀であった。
「噂?」
 土方は大福を食べながら答える。
「ええ。副長らしき人物を見かけた、と」
「…?」
「それも、キンノーの浪士たちに紛れて」
 土方は大福が喉に詰まったのか、げほげほ、と咳き込む。
「何を…馬鹿な」
「馬鹿な、ではすまされへん状態です。これが、公儀に漏れたら何とされます?」
 新選組は一応、会津藩がスポンサーとなっている。新選組の副長ともあろう者が、キンノーの浪士に混じって行動していたとしたら、新選組はもとより、会津藩もひどいバッシングを受けるに違いない。バッシングならまだいい。最悪の場合取り潰しとなるのではないか、と、土方の妄想が膨らんでいく。
 奇怪な事件は続いた。大坂町奉行所与力、内山彦次郎の首級が天満橋に晒されていた一件である。新選組が大坂出張した折、局長であるカモミール・芹沢と力士の間でいざこざがあった。その時、内山が力士に協力し、新選組に不利な裁定をしたというもっぱらの噂であった。そのため、新選組が内山を暗殺したのではないかと言われていたが、決定的となったのは、またしても、土方であった。土方が内山を暗殺したのを見た者がいる、というのだ。
「これは、ちょっとなんとかしてほしいなー」
 松平けーこちゃん様は、土方を直々に呼び出し、難しい顔をしてそう呟いてみせた。
「しかし、私は…」
 土方には真っ当なアリバイがあった。その日、土方は京都に居た事は誰もが証言している。大坂で内山を殺せるはずが無いのだ。しかし、大坂奉行所は会津藩に、土方が内山を殺したのを目撃している者も多い、と詰め寄ったという。結局ウヤムヤにしてしまったものの、妙なしこりが残った。
「こりゃ、あなたが二人居るとしか思えないよ?」
 けーこちゃん様のその呟きが、土方の目を光らせた。
 その夜、土方は山崎を自室に呼び寄せると、以前の稲荷での一件を話した。謎の仮面を土方にかぶせた、怪しい忍者たち。山崎雀は、伊賀忍術の修行を受けた者であり、今でも伊賀とは交流がある。蛇の道は蛇、というわけだ。
「仮面を…ですか」
「山崎。たとえば、だな。仮面をかぶせた相手にそっくりの顔になる忍法とか…」
 山崎はふるふると首を振る。いくら、忍びや裏の世界まで知り抜いている山崎とはいえ、仮面を使う忍法などというのは初耳だった。
「山崎でも駄目か…」
「ただ、そういう技がもしあるとしれば、今回の事件はそれで説明がつきますね。副長に恨みを持っている誰かが、その秘術を使って、副長そっくりの顔になって、とか」
「恨みか…」
 土方は自嘲気味に笑って見せた。鬼の副長として名の通っている土方である。恨みなど買いすぎているだろう。
「仲間に聞いてみますわ」
「すまん、頼む」
「土方はんだけやない、新選組と会津藩の危機やさかい、頑張ります」
 そう言うと、山崎は土方の目の前から消えるように見えなくなった。短気なのが玉に瑕だが、山崎はしっかりと動いてくれる。そのことに安堵するとともに、一連の騒動の原因が自分であるという事に、土方は暗澹たる気持ちで一杯だった。いつもは隊士たちを叱咤激励する立場であるのに、今はそんな気分もなく、一日本を読んで過ごす日が続いていた。病は気からというが、体調も悪い。
 みんなはどう思っているだろう。いつもは考えないような事を今は考えてしまう。
「歳江ちゃん、大丈夫?」
 現れたのは芹沢だった。手に小瓶を持っている。普段なら何か理由を言って追い返すのだが、今日はなぜか、話をしたくなった。
「…すみません」
 芹沢に酒を注がれ、少し飲んでみる。あまり酒に強い方ではないが、ゆっくり飲むのは平気だ。
「おかしいよね。どういうことなんだろう」
「ええ…」
「内山は確かに嫌な奴だなと思ったけど、元はといえばあたしが喧嘩したのが原因だし」
「いや、その話はもう…」
「いいんだ、別に。問題は、今回の敵が何者か、ってことでしょ」
 一体誰なのだろうか。土方は言い知れぬ不安の渦の中にあった。

「こりゃあ、量が多いなあ」
 杖を持った背の低い、才槌頭の老人は、目の前に置かれた料理を見て仰天した。ご飯、味噌汁、漬物。そしてなぜか、焼きそばがついている。
「焼きそばとご飯を喰えってのかね?」
「これはそういう料理やからね。焼きそば定食」
 山崎は仏頂面のまま、同じく、ご飯、味噌汁、漬物、そしておかずとしてお好み焼きがある、お好み焼き定食を腹の中に収めている。老人はしぶしぶ、焼きそばを食べ始めた。
 老人の名は果心居士という。幻術使いであり、伊賀・鍔隠れの里の最高顧問という立場にあって、常に、当主の補助をしている、鍔隠れの知恵袋といった存在である。
「で、さっきの話やけどね」
 山崎は果心居士の、紫色の目を見ながら話を続けた。
「その仮面の話じゃな?…わしが今まで生きていた中で、一度だけその術を見たことがある。大和の悪大名、松永弾正久秀に会った時じゃったか…」
「ほんまか?」
「うむ。出所不明の術じゃが…鏡面、という」
「鏡面…」
「二枚の同じ仮面からなる術じゃ。仮面に術をかけ、相手にかぶせると、術者は相手と瓜二つとなる。術者の精神はそのままに、相手の能力を身につけ…」
「そ、それや!土方はんは、鏡面の術を何者かに仕掛けられた…」
「嫌な予感がするの。わしもな、鏡面の話をしようと…」
 すっかり味噌汁がぬるくなってしまったが、果心居士は話すことに集中していた。

 発端は、今から二ヶ月ほど前、紀州にある柳生の里から、伊賀へある人物がやってきたことに始まる。柳生の里とはありていに言えば大和の柳生藩のことだ。柳生但馬守宗矩に始まり、代々柳生新陰流をお家芸とし、小藩ながら、将軍家の剣術としてその名を轟かせた藩である。
 但馬守が、各藩に睨みを聞かせていた徳川幕府創立期、彼はもう一つの柳生を起した。忍びの技に長け、各藩に忍び込んで、徳川へ叛逆する者あれば即座にそれを知らせたり、命令により暗殺したりする。すなわち忍びの役割をする者たちである。しかも彼らのほとんどが、柳生新陰流の使い手であった。
 これを、裏柳生といった。
 しかも、伊賀へは、その裏柳生の長である、柳生如風斎自らがやって来たのである。
「如風斎殿自ら来られる。しかも、この老いぼれに面会を求める。どういうことにござりましょうや」
 挑戦的な果心居士の言葉に、如風斎は苦笑した。乱れるままにしている白髪が揺れる。背は高く、剣術をやっていた者特有の筋肉質の体をしているが、見た目は六十歳以上であろう。
「困った事に相成り、伊賀の助成を求めに参った」
「困った事?」
「左様。何者かに鏡面が盗まれた…」
「なにっ」
 鏡面は、もともと大陸にあったという。伝説によれば、慶長年間に裏柳生の者が秘密裏に手に入れたらしい。しかし、その恐るべき術に誰もが恐怖し、これを、柳生の里に封印するという形で代々伝えられてきた、禁断の品であった。
「天下の裏柳生ともあろう者が、そう簡単に…?」
 その問いかけに、如風斎はため息で答えた。
 つまり如風斎の申し出は、その人物を秘密裏に殺して欲しいというものだった。甲賀にも同じことで出向いていくつもりだという。
 しかし、これだけ馬鹿馬鹿しい申し出というのもないだろう、と果心居士は思った。探し出して殺してくれとはいえ、相手は鏡面を持っている。既に誰かに変化しているかもしれぬ。それを殺せというのは無理がある…。

 どうも、嫌な日々が続いている。
 海江田信義は、仏頂面をしたまま、ある男と向かい合っていた。薩摩の出で元の名を有村俊斎という。その弟は井伊大老暗殺に参加し自害している。示現流の達人で、その豪腕は岩をも砕くと恐れられている。海江田はキンノーの一味として脱藩し京都へ来ていた。そして、長州出身のある人物と組むように言われたのだが、非常に癖のある嫌な人物で、その日から海江田の人生はまったく楽しくなくなってしまった。そう書くと大げさに聞こえるが、その人物は本当に、海江田と合わなかったのだ。
「冷奴がありますね」
 その人物は微笑みながら、自らの前にある冷奴を指差す。
「冷奴に、ごま油と塩をかけるとうまいのです」
「はあ…」
「ぜひやってみてください」
 そんなことを言われても、である。海江田は頭を掻きながら、目の前に居る青年の料理を見た。ご飯、味噌汁、そして豆腐。おかずは豆腐しかない。この青年は、豆腐が主食なのではないかと思えるほど、毎日豆腐を食べている。
「そんなに豆腐がお好きなんですか」
「豆腐はですね」
 青年は人差し指を立てた。その質問を待っていました、と言いたげに、うきうきしているようだ。もっとも、いつも笑顔なので表情なぞ読めないのだが。
「栄養価は高いのです。西洋で言えば、チーズと同じです」
「村田殿。あの」
「いや、大村と呼んでください。分かりましたか?大村益次郎、です。海江田さん、少しは名前を覚えてもらいたいものですね」
 その生意気な発言に、またも大村は仏頂面になるのだった。
 大村益次郎。もともと村田蔵六といった。なんのことはない、長州の医者の出である。しかし長崎に一年間留学し、西洋の知識を身につけていたことが縁となり、新しいもの好きの大名である、宇和島藩主・伊達宗城に請われて家臣となる。それを、逸材に驚いた長州藩が慌てて「我が方の臣なり」として呼び戻したという逸話を持つ、輝かしい経歴の持ち主だ。
 海江田にしてみれば、初めて出会ったときから、この者はただの理屈屋で厭味な青年のように思えてならなかった。しかしなぜか、剣の腕前は恐ろしいものがある。なよなよとした軟弱な体から、恐るべき一撃を繰り出してくるのだ。
「それで、本当なんですか?」
「何が…ですか?」
「いや、その…例のお面」
「鏡面です」
「…はいはい」
「はい、は一回で宜しい、のです」
「…」
 大村は満面の笑みを浮かべた。
「これさえあれば、新選組を跡形も無く消し去る事が出来る、のです。うふふふふふ」
 目の前においてある、赤と黒とに彩られた、大陸風の仮面。大村はその仮面を手にすると、す、と、自分の顔に持ってきてみせる。海江田は息を飲んだ。大村の顔が、姿が…女に変わっている!
「少し前に、新選組副長、土方歳江の姿を奪ったのです。新選組抹殺計画、計画は第二段階に入ります」
 大村は、いつもの笑みではなく、ぞっとするような鋭さを称えた瞳で、海江田を見た。



(おまけのSS by 若竹)
その時…何かが自分の目の前に飛んできた、までは分かったが、その刹那、土方は何も見えなくなっていた。顔を何かにふさがれたようだ。

【芹沢】パイ投げ?
【土方】(じたばたじたばた・・・・ぱたっ)
【近藤】あ、倒れた。
【原田】窒息ね。
【キンノー】結果オーライか。
【沖田】でも前編で話がおわっちゃいますよ?


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