「古高俊子のソンナ一日」


 桝屋の朝は早い。
 京の一角で薪炭所を営む古高俊子は、日課である掃除から、一日を始める。
 朝日を拝みながら、これからの一日に思いをはせる。今日も、いい日でありますように…。

 賑やかな町を、賑やかな集団が歩く。最近大きな顔をしている新選組という連中だ。都の治安を守るという名目で、凶刃を振るう者達は、受け入れている者とそうでない者、大体半々といったところか。古高は、後者だ。
 天子様を担ぎ上げ、回天を目指す勤皇志士達を切り捨てる、新選組の何と憎たらしいことか。奴らの脳みそは、旧態依然にゴリゴリと固まっているに違いない…。
『あ…危ない!』
 と、そのとき、切羽詰った声と、風切音が響く。
 何事かと目を向けた古高のすぐ脇を、ハンマーが唸りを上げて通り過ぎる。
 店の壁を破壊し、中をグチャグチャにしたそれを呆然と眺めていると、間抜け面した男が走り寄って来た。
「すいません。怪我はありませんか?」
 羽織からして新選組の一員のようだ。
 彼は古高の体をざっと眺めると、怪我はしていないようだと判断する。
「お騒がせしました。 …永倉! しっかり握っとけよ!」
 頭を下げるだけ下げると、とっとと仲間の元へと走る。そこには、未だ立ち直ってない古高が残される。
「壁…」
 風通しのよくなった壁を前に、しかし、声をかけるべき相手はいなかった。

 とりあえず、大雑把な補修を済ますと、気を取り直して商売を始める。
 本来なら、新選組に修理費を請求するのだが、飢えた狂犬相手にそんなことできるわけが無かった。
『たのも〜』
 と、そこに声がかかる。
「はいはい」
 笑顔を作り直した古高が見たものは、それを凍りつかせる相手だった。
「新選組です」
 さっき見たような間抜け面と、金髪の大柄な女が、揃いの羽織を着て立っていた。
 京の商人廻報で恐れられている、押し借りが来た事を悟った。それを回避する手段は一つ、クイズに勝つことだ。
 こう見えても、古高はクイズに自信があった。今まで、二度の来訪を退け、逆に儲けを出している。
「は〜い、それじゃあ、ちゃんと契約しようねぇ。おたがいに、誤魔化したりできないように」
 そう言って、女の方が、紙を出す。いつもはそれは、古高の方がやっていることだったが。
 準備のいいことだと内心思いながら、サインをする。
 そして一問目。古高は、負けた。
 一問目を正解されたことで、警戒心が沸く。良く相手を観察してみると、ここ最近、勝ち続けていることで有名な男だった。
『間抜け面とて油断は禁物、か』
 気を引き締める古高の耳に、とんでもない言葉が飛び込んできた。
「やった〜。これで、とりあえず三十両だよ」
「な…ん!?」
 掛金が十両で、一問正解するごとに、二倍していくルールのはずだった。が、女は慌てず騒がず契約書を見せる。
「え〜、ここにちゃんと三倍って書いてあるよ」
 確かに、書いてあった。さらに、続けてこんなことも。
『こちらが負けた場合、全額支払ます』
 聞いていなかったらしく、男が仰天する。が、女はケラケラと笑うだけだった。
 とにかく、これはチャンスだった。一問目は負けてしまったが、これで最低三十両は確保されたのだ。問題に特に規定が無い以上、古高には勝てる自信があった。
 そして、しめて二四三〇両を、失った。
「カモちゃんさん、これはちょっと…」
 困ったように言う間抜け面を、心の中で応援する。が、女は非情だった。
「何言ってんの。契約を破るって行為が知れ渡ったら、商人としてはおしまいなんだよ」
「二四三〇両持ってかれるのは、おしまいじゃないんですか?」
 そうツッコミを入れるものの『じゃあ置いていきましょう』という展開にはならないようだった。
 そして、二人が去った後には、灰になった古高が独り残された。

 しばらくして正気を取り戻した古高は、とりあえず、玄関に塩を撒く。
 内心、壁を壊した新選組相手に、さらに金を持っていかれる理不尽さに憤っていたが、契約書が、ある限り、如何ともし難かった。
 気を落ち着けるため、水を撒くことにする。
 パシャ、パシャ、と、ささやかな音を立てる水が、幾分か気持ちを和らげる。
 が。
 バシャッ。と、音を立て、飛沫が裾にかかる。最初は、隣の商家が撒いた水がかかったのかと思った。だが、それにしては妙にベットリして生臭い。それに、何か悲鳴のようなものが聞こえてたような気も…。
『あああああっ、そーじ!』
 つられて見やると、そこには首と胴とが分かれた猫の死骸。その傍には、血のベッタリついた抜き身の刀を持ち、血を吐きながら倒れる少女と、それを介抱する間抜け面な男の姿。そして、よくよく見ると、足元には血溜まりが…。
 誰かの叫ぶ声、走り回る音、その他諸々が聞こえた様な気がした。が、それを確かめられる神経は、古高の元からどこかへとすっ飛んでいた。

 あれから―――。
 店の周りの血を洗い流し、ありったけの塩を撒き、ついでに供養とかいろいろした古高は、験が悪いと店を閉めてしまった。
 今は、布団を被ってとっとと寝る態勢だ。
 遠く、砲撃のような音が響いていたが、気にしない。今の古高にとって、この世の悪いこと、理不尽なことは、すべて新選組の仕業だった。
 しかし、彼女にとって、それは、あながち間違いでは無かった。
 神ならぬ身の古高は、あの砲撃のうち一つが、目標をそれて、自分の店に直撃することを知らない。
 今はただ、願うだけだった。
 アシタハキット、イイヒデアリマスヨウニ…。


<あとがき>
 


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