風景
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我が家のガーデニング
わが家の長男家族
家族
天狗山リス公園にて
            自己紹介

               
生い立ち

生まれは勿論小樽です。小林多喜二が一時身を寄せていた、三つ星というパン屋さんは、有名な龍徳寺の向かいにあり、我が家はそこから50メートル程手前で酒屋を営んで居りました。我が家の本家はこれも有名な五百羅漢の隣にあり、小さい頃はよくあの辺りで遊んだものです。遊んだとい えば、これも歴史の古い龍徳寺本堂の屋根に登ったり、鐘付堂で鬼ごっこをして住職さんによく怒られたものです。こんな腕白者でし たのであの運河を肝試しとやらで泳いだりもしました。龍徳寺には戦時中陸軍が駐屯しており、、炊事当番の兵隊さんから「おい!坊主こっちへ来い」と言われ近づいてゆくと、「お前は可愛いな」と言いつつ抱き上げられ、握り飯を度々貰ったたものです。当時は茶碗一杯の米粒があれば、芋とか、かぼちゃを混ぜて4人分の食事が作れた時代でした。きっと故郷の吾子をを想い起こして居たのでしょう。間もなく終戦となり港町の小樽には大挙して進駐軍が上陸して参り、幼い子供が一番最初に覚えた英語が「ギブミーチョコレート」なる言葉でした・当時珍しかったチョコレート欲しさにジープを追いかけていたのです。然し私はプライドが高かったのか、恥ずかしかったのか一度もその言葉を口にしたことはありませんでした                

              趣 味

音楽鑑賞 高校時代新聞部に在籍していた当時好意を抱いていた女性と卒業後、新聞社の主催するレコードコンサートに出掛けてのがきつかけでクラシツク音楽を今でも聴いています。当時はコンサートと云っても、新聞社の古ぼけた一室で「電気蓄音機」を聴くだけのものでした。

文筆
 新聞部時代5人位いた女性部員の割り当て記事を一手に引き受けて代筆の上、編修をし男子部員のひんしゅくを、かっていました。

カメラ
これも高校時代 上記の女性を写して喜んでいたものです。という事で私自身の原点は如何やら高校時代にあったようです。ところが結婚した相手はこの頃の方々とは全く関係のない、お見合いだったのです。

ガーデニング
定年後退屈紛れに始めたのですが、物事にのめり込む性格から、今では春になるとソワソワしはじめます・


               
現 況

銀行を停年後早8年、(2005年現在)その間始めたビデオは、長年のカメラの趣味のお陰で抵抗無くこなしましたが、パソコン操作では苦労の連続でした。今では何とかパソコンの組み立て位は出来ます。制作しだビデオは5.000にも及ぶ膨大なカットの中から、約250をパソコンで選びながらの作業で気の遠くなるものでしたが、根が凝り性の為何とか無事に制作を終える事が出来ました。

と、此処まで、書き込みをして、若かった頃を想い起こして居る内に、何故か切なくやるせない想いの自分に気が付きました。気は若い心算りなのですが、流れれ去った時間は取り戻す術も無く何故か今非常に寂しいのです。ビデオ制作やホームページに打ち込む事、これって昇華なのでしょうか?。