明治29年4月2日に兵庫県知事から「神道金光教会新在家仮説教所」として認証を受け、御用をはじめて120年を迎えました。もちろん金光教は一つの教団として独立が認められていなかったので、「神道」という教団(今日の神道大教院)の下部組織としての金光教会での仮説教所でした。初代は山口出身者、親教会は明石というまったく無縁な状態、無から有を生ずるという極めて厳しい布教状況であったと想像されます。その教会も昭和20年3月17日の空襲によってレンガ塀を残して、瓦礫の山となりました。しばし当時の教会長が疎開した松山に仮移転せざるを得ませんでした。先代教会長が復員してきた時にはその教会長も亡くなっており、もちろん復興のめども立っていませんでした。ともかく先代の父親である三代教会長の10年祭をと願い、親教会にて昭和21年9月に式年祭を仕えたことが復興の第一歩になりました。そしてその年の11月10日、焼失を免れた信奉者宅にて復活の月次祭が仕えられ、御祈念帳に記されている限り7名の信奉者がお参りをしています。月一回のお祭りでしたが、教会復活が、無から有を生み出す第二の歩みが始まりました。
一年以上にわたって教会が教会として機能せず、建物もない現況で、四散していた人々が連絡しあってお引き寄せをいただかれての復活でした。その方々の金光教を思い、親先祖を思い、共助かりを祈る姿勢に、今にしても心震わされる思いがするのは私だけではないでしょう。 ところで、昨今「ゼロ葬」とか「宅配便で納骨」という言葉を耳にしませんか。コラムやインタビュー等でも、葬式不要論が語られ、三回忌すら八割の方々が仕えられなくなり、檀家消滅という言葉に、私達をとりまく環境、意識の変化が予想以上に大きなものになってきていることは否めないことです。一つには人口が、特に子どもが大きく減っていく中で、後々のことを子、孫等に頼めないという意識は、コスト意識に大きな関心がむく現代的な意識も加わり、高まることはあっても低くなることはないでしょう。自分の存在を先祖とのつながりで確かめてきた祖先崇拝の先行きが見えなくなりつつあります。こうした事象は、何も世間に照らし合わさなくとも、わが教会でもかなりの頻度で起きてきています。 開教120年、復活70年というお年柄にあたって、無から有を生ずるという我が道の信心の伝わり方は、大変厳しい現実に直面していると言わざるを得ません。そうした中、私達はここからの歩みを「ひとり信心」に求めて、神様と自分との関わりを貫きたいとの願いを立てて七年目を迎えます。教会誕生120年、復活70年という年月を重ねると、いつしか歴史とか伝統にあぐらをかいて、ひとり信心というよりもひとりよがり信心に陥ってしまいがちになっていることは否めません。 信心は日々の改まりが第一じゃ。毎日、元日の心で暮らし、日が暮れたら大晦日と思い、夜が明けたら元日と思うて、日々うれしゅう暮らせば、家内に不和はない。(金光大神御理解より)信心の稽古も三日坊主にならないように、今月今日改まりゆく姿勢を忘れずに、元日の心で日々うれしゅうにくらしていくおかげをいただきたいものです。
2 育て愛 |
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