崔さん裁判について
―― ここでは『長崎新聞』2004年9月24日付、28日付、29日付、10月8日付、9日付の紙面をもとに、裁判-控訴に至る経緯をまとめてみました。
崔季K(チェゲチョル)さんは長崎で入市被爆。その後、韓国に帰国されました。
↓
崔さんは1976年と80年に訪日され、長崎市で被爆者健康手帳の交付を受けました。日本滞在中は健康管理手当を受給していましたが、その後、帰国に伴い支給は打ち切られてしまいました。
↓
崔さんは20数年前に手術で人工関節を埋め込みましたが、その部位が痛み、5年前くらいから寝たきりの状態になられてしまいました。
↓
日本政府は2003年3月から、在外被爆者に対する各種手当の支給を開始しました。
ただし、その施策では、在外被爆者が手当を申請するためには本人が日本に行かなければならない決まりになっています。
しかし崔さんは寝たきりのため訪日することができませんでした。
↓
“このままでは、崔さんが手当を受給する道が永久に閉ざされてしまう…”。
崔さんの衰弱する姿を目の当たりにして心を痛めていた長崎の支援団体の人々は、04年1月長崎市役所を訪ね、事情を説明し、崔さんの代理人として手当を申請することを認めて欲しい、と要望しました。
しかし長崎市はあくまで「本人による申請でなければ、受理することはできない」として、代理人による申請を却下しました。
↓
そこで支援団体は2月、
「在外被爆者が日本国外から手当を申請することを認めて欲しい」
「在外被爆者の代わりに、日本にいる代理人が手当を申請することを認めて欲しい」
と、長崎市を相手取り長崎地裁に提訴しました。
↓
しかし原告側の願いも空しく、崔さんは7月、息を引き取られました…。
↓
9月28日、長崎地裁は
「長崎市に住んでいないことを理由に、崔さんの申請を却下したのは違法です」
「“申請するためには日本に来なければならない”とする決まりは、被爆者援護法の趣旨に反するもので、無効です」
との判決を下しました。
つまり原告勝訴となったのです。
「在外被爆者が手当を申請するためには、必ず本人が日本に出向かなければならない」とする現行の決まりは「違法」であるとする司法判断が下されたのです。
↓
! ところが10月7日、敗訴となった被告・長崎市は、長崎地裁の判決を不服として、福岡高裁に控訴しました。
伊藤一長・長崎市長の話(『長崎新聞』2004年10月8日付より)
「…崔さんの遺族には申し訳ない…」「個人的には『被爆者はどこにいても被爆者』と考えている…」「(しかし在外被爆者援護行政は)国からの法定受託事務であり、…長崎市だけの単独プレーはできない」
これに対し、市民団体や社民党・福島みずほ党首は、長崎市の控訴を批判し、控訴の取り下げを強く訴えています ――