記録映画 制作プロジェクト“がんばれ”

監督  ロベルト フェルナンデス
O movimento falso Filmes

プロジェクトの経歴

ドキュメンタリーの要約

記憶 と 平和 / 制作の年表 / プロジェクト制作費 / 協力団体

監督、音楽担当の略歴


プロジェクトの経歴

頑張れ: 忍耐、勇気と力で困難に立ち向かえ!

 “頑張れ ― 100年” …これは 私が ブラジルにおける日本移民100年祭を記念して企画していたドキュメンタリーのタイトルで 2008年6月18日に発表する予定であった。

 2007年1月から研究を始め、 7月にはあらすじが決まり “ブラジル日本移民100周年記念協会”の承認を受け、 9月には 協力を申し出たプロデューサーを通じて法的資金調達の手順も整え、 12月には ブラジル日本移民史料館の協力も確定。

 しかし 2008年6月までに いろいろ難問が発生。
 協力者であったプロデューサーは 会社に法的な問題があり 資金調達は不可能となる。

 私は また一人になり 振り出しに戻った。

がんばれ!

 2008年9月、 最初の“頑張れ ― 100年”企画の一部を 自費で作成することを決意。

 日本移民は ブラジルの農業において大切な役割を果たしたことは明確である。
 しかし このことは もう少し時間を置いて検討も可能では…と 判断。

 待ったが利かないのは ブラジルに住む被爆者(原爆犠牲者)の証言と 平和への取り組みを記録すること。

 最初は ブラジル広島センターにコンタクトを取り 同センターの活動を知った。
 その後、ブラジル被爆者平和協会に行き、そこで初めて被爆者との交流を図った。

 そして その時から 私のドキュメンタリーが 協会の協力で動き始めた。

 今考えてみると 最初の企画であった“頑張れ ― 100年”が不可能になったことは 結果として最良であったと思う。
 それによって 3本の的を絞った記録映画を 心行くまで目指すことが出来た。

 “1945年 08時15分” “1945年 11時02分” “伊藤氏”。

 被爆者の方々に 証言を頂いた事、世界平和への熱い思いと献身的な活動を記録して、私の選択が正しい と 確信を持てた事に 心より 感謝する。

 私の 新しいプロジェクト“がんばれ”は 3本の記録映画であり 映像の90%は すでに撮り終えて編集の段階である。

 “がんばれ”は 今 完成に向けて企業の協力、援助を呼びかけております。

 完成時には このプロジェクトの一番の目的:

〜 未来を背負う若者たちに 核の脅威を自覚してもらい 平和への願いを受け継いでもらうこと 〜

この目的が達成されることを願って止みません。

ドキュメンタリーの要約

1945年 08時15分

 1945年8月6日 アメリカ合衆国は 原子爆弾を広島市民上に投下。

 ブラジルに住む被爆者(原爆被害者)は 証言する。

 被爆者森田隆氏は 1984年サンパウロにて “在ブラジル原爆被爆者協会”を設立。
 第一の目的は 在外被爆者に 日本在住被爆者と同等の援護を 日本政府に要請すること。
 被爆者援護政策では 在外は常に差別を受けているが 被爆者は 全員同じ放射能被害で苦しみ続けている、と。

 ドキュメンタリー “1945年 08時15分” は 核の危険性、放射線被害への懸念、たとえば1987年 ゴイアニア(ブラジル)でおきた “セシウム137”事故 などを通して 現在 人類が危機にさらされていることを示す。
 その政治対策:正当性、非情性…

1945年 11時02分

 1945年8月9日 アメリカ合衆国は 第2発目の原子爆弾を 長崎市民上に投下。

 ブラジル在住被爆者は証言する。

 1997年、長崎市において 新しい若人の活動が始まる。
 彼らは核兵器廃絶と 世界平和への願いを 署名を集めることで願う。
 街頭で収集した 署名は “平和大使”によってジュネーブの国連本部に手渡される。

 2007年、ブラジルと 韓国は 自国の平和大使を送る。

 “1945年 11時02分” は 2007年度の平和大使で、現在大学生の 日本代表と 韓国代表の 青年2名が 2009年ゴイアニアを訪問し 放射能“セシウム137”事故被害のシンポジウムに参加したことを 記録する。

伊藤氏

 もう1本のドキュメンタリーは 8歳で原爆被害を故郷長崎で体験した 偉大な芸術家の人生の一部を公開する。

 “伊藤氏”は 16歳でイタリア留学を果たし 17歳においては すでに 先生と呼ばれていた。

 “伊藤氏”は 生徒たちに専門知識を伝承する傍ら 平和活動にも取り組む。

記憶 と 平和

ドキュメンタリーの最大の目的:

 “未来を背負う若者たちに 核の脅威を自覚してもらい 平和への願いを受け継いでもらうこと”

 この3編のドキュメンタリーは、ブラジル日本移民史料館に提供され、史料として保管される。

 この3編のドキュメンタリーと証言資料は すべて ブラジル被爆者平和協会に寄贈され 同会の平和運動記録の一部として残される。

制作の年表

 作成 前期 2008年9月〜12月
 録画作成期 2009年1月〜12月
 作成 後期 と 仕上げ工程 2010年2月〜7月
 試写会、配布期間 2010年8月

プロジェクト制作費

 前期の制作費: R$ 13.500
 2009年9月までの制作費: R$ 24.890

 録画完了までの費用: R$ 6.500
 ポルトガル語へのインタビュー翻訳費: R$ 15.873
 作成後期と仕上げ費用: R$ 78.650
 公開費、配布費: R$ 36.300
 スペイン語と英語への翻訳、字幕作成費: R$ 12.660

 総額: R$ 188.373
  (現在の投資額:     R$ 38.390
  (完成への必要投資額: R$ 149.983

協力団体

 ブラジル日本移民百周年記念協会

 ブラジル日本移民史料館

 ブラジル被爆者平和協会

 ブラジル広島文化センター

略歴

監督  ロベルト フェルナンデス

 1960年 アルゼンチン、ブエノスアイレス市で生まれた。
 "Taller de Cine Contemporaneo"専門学校卒の映画監督。
 S.I.C.A.で 脚本家の資格も獲得。
 映画監督 Emir Kusturica氏が主催した国際セミナー"Estetica y Cine"に参加。
 1992年 "Noche Americana"映画制作会社を創立。監督、制作者、企画者として 下記記載の依頼を受け、完成作多数。
Presidencia de la Nacion - Ministerio de bienestar Social e a Secretaria de Ciencia y Tecnica. Erven Lucas Bols. A.T.C(Argentina Televisora Color) Telecom de Argentina S.A. ACER.
 短編16mmフィクション"Quien mira a mirar" では 監督兼企画担当。
 2000年には 16mmフィクション"Para nosotros el deseo" が イタリア・トリノ映画祭に招待され、アルゼンチン ロザリオラテンアメリカ映画祭でも選ばれる。
 ブエノスアイレス市主催、SAVI と INCAA にて 自作短編フィクションビデオ"Literatura"で1等賞獲得。
 2000年から2005年まで アルゼンチン カトリック大学 ソシアル コミュニケーション科で教鞭。
 TVセンターを拡張し デジタルテクノロジーを導入。ジャーナリズム、プブリシチー(出版)科の学生を対象に 制作後オーディオ、ビデオ デジタル化専用 トレーニングオフィスを開設、指導。
 2006年 ブラジルに移住。サンパウロ カトリック大学 コミュニケーション科で教鞭。
 2008年 映画制作会社 "O movimento falso Filmes" を設立し、 下記記載の依頼を受け、多くの作品を完成。
TV USP(サンパウロ総合大学テレビ局), LEER, Campak Brasil, Sundown Motos, Sistema PRI, Grupo Kagura do Brasil.

音楽家  クラウヂオ ゴメス

 1964年 アルゼンチン、ブエノスアイレス市で生まれる。
 作曲家、音楽家である。
 1986年 制作活動を演劇場で始める。
 子供向け、及び大人向けの舞台演劇音楽を作曲。作品名:"La Sonrisa del mudo", "tresbreves tres", "Tango Buenos Aires".
 ダニエル バゼン ラザルテと共に 音楽作曲活動を続ける。
 ロベルト フェルナンデスの短編 "Para nosotros del deseo"では アレジャンドロ アルバレス と共に作曲。
 他の音楽家を招待し ソロでレコード2枚録音。
 ヴィルジニア ラミレス と一緒のタンゴ演奏は 市議会にも招待され 他にも "Univercidad popular de Madres de Plaza de Mayo", "Costanera Sur" そして "Casino Flotante de la Ciudad de Buenos Aires" でも演奏。
 "Centro Cultural de la Cooperacion" の 最初の歌手-作曲家グループ所属。
 最近では土地バンドと契約し "Facultad de Comunicacion Social" で 音楽家として オーディオビジュアル研究室の協力者。

(2009年11月25日 「ブラジル被爆者平和協会ホームページ」掲載)