正面とはどこの正面か?それはかっては
方広寺の大仏殿の正面ということだった。かってはと書いたのは、大仏殿は秀吉が造営してから大地震や火災で何度か倒壊や焼失し、昭和48年の火災で焼失してしまってからは再建されていないからである。
残っているのは、大きな石垣と豊臣家滅亡の原因となった(陰謀)「国家安康 君臣豊楽」の大梵鐘のみである。徳川の陰謀(なんくせ)は、なんとこの梵鐘に刻まれた「国家安康」の文字が家康を分断したと言うものであった。
2枚目の写真は耳塚。秀吉の命で朝鮮出兵した文禄・慶長の役で討ち取った朝鮮兵士の首の代わりに耳や鼻を削いで塩漬けにして持ち帰った。そのときの供養塔である。
方広寺のというか今は豊国神社の正面から通りは始まる。ここから本町通までの数百mは4車線の広い道が続くが、だんだんと通りは西へ行くに従って狭くなり、鴨川を越える正面橋辺りから一方通行の1車線の道になる。
RootMap上の水色の線(下側)が正面通である。上側は行きで走った万寿寺通だ。 地図を見てわかってもらえるか?正面通は、まず
渉成苑(枳穀邸)にぶつかって途切れ、次に
東本願寺にぶつかる。三度目は
西本願寺に突き当たる。この後、大宮通からは終点の千本通手前まで真っ直ぐ伸びている。 全長1.6kmほどの通りである。